土曜日です。みゆぴよです。

 

教員採用試験が近づいています。

「あなたが目指す教師像を教えてください。」

面接時に聞かれそうな台詞です。

 

私が目指す教師像、つまり、これが良い教師、と考えるのは、

「盛り付け上手な教師」

です。

 

これは私が浪人していた時に出会った声楽の先生の言葉です。

盛り付け上手?それは教師の仕事ではなくて、料理人の仕事では?

と思われるかもしれません。

 

しかし、声楽の先生は、子どもたちのことを、料理を盛る器、

料理のことを、教師が持つ知識、

に例えて話をしてくれました。

 

料理を盛る器には、大きさや形、色までも様々な種類があります。

そこに、料理を盛り付けていくわけです。

しかし、盛り付ける人が、その器の特徴を考慮せずに盛り付けた場合、どのようなことが起こるでしょうか。

小さい器にやみくもに料理を盛り付ければ、料理はこぼれ出し、テーブルを汚すかもしれません。これは美しくありません。

反対に、大きい器のほんの片隅に料理を盛り付ければ、食べる前から物足りなさを感じるでしょう。

 

どれほど味の良い料理を作ったとしても、最後の盛り付けの仕方によっては、本当に美味しそうな料理だと胸を躍らせるか、味気ない食卓になるか、分かれてくるのです。

 

料理、つまり教師として働く上で必要な指導の技術や教科の専門性は、自己の研鑽の上で積み重ねられていきます。

しかし、その料理は美味しく食べてもらわないと意味がないわけです。そして、器に盛り付けなければ食べることができません。

それぞれの器に合わせて、その良さを生かしながら盛り付けを考える。

そして、それは教師の役目であるということです。

 

私はこの話を聞いてから、子どもに限らず、人に何か教える時にはいつもこのことを思い出します。

 

 

 

そして、この考えを念頭に置いて、この半年間取り組んできたことがあります。

 

それは、後輩への楽器指導です。

 

先日、以前所属していた管弦楽団の定期演奏会があり、エキストラとして参加しました。

そのエキストラを依頼された際に、自身の挑戦として、半年間で後輩自身が楽器を演奏することが楽しいと感じるレベルに技術を向上させる、ということを目標にして、月に数回レッスンという形を取りながら一緒に練習することを提案しました。

一緒に参加するのであれば、お互いにも気持ちよく演奏がしたいという思いと、自分も人に教えることで勉強したいという思いがありました。

後輩達は、初心者と、中学生の時だけ吹奏楽部に所属し、ブランクがあるという状況でした。楽器に関しては、基礎練習の仕方もよく知りませんでした。上手になりたいけど、その方法が分からない、自信が持てない、という状況でした。

 

ポイントとしては、後輩自身が楽器を演奏することに対してこれまでよりもポジティブな感情を持つことだと思いました。

後輩も教員を目指しており、楽器のプロフェッショナルを目指している訳ではありません。

そこで、取り扱う作品の作曲の背景が書かれた文献を持ってきて話をしたり、手作りの楽器で一緒に遊んだりしました。

将来、子どもに演奏して聴かせられるような簡単な童謡も一緒に練習しました。

 

また、技術的な面については、自分自身が器用な方ではなく、技術を習得するための試行錯誤に多くの時間を費やしています。その分、楽器を始めたばかりの人が直面する疑問やつまづきには、器用な人よりも気付ける感覚があり、その感覚と合わせて、それぞれに合ったつまづきの攻略法を考えました。

 

すると、最初は緊張した様子で練習をしていた後輩でしたが、次第に楽しそうに練習に取り組むようになりました。

ついには、自分の楽器を購入するまでに!

 

そして、本当に嬉しかったことが、定期演奏会後に後輩からプレゼントしてもらった色紙です。

 

 

中でも嬉しかった言葉が、「実感」という言葉です。

自分の技術が上がっているという変化を実感できた、と、一緒に練習をしたほとんどの人がメッセージに書いてくれていました。

私が提案したことが、ただの押し付けで終わらず、後輩達の経験として残ってくれたのではないかと、この言葉から思いました。

料理と器の関係を考えて盛り付けをしていく際、こだわり抜く料理人としてのプライドも必要になると考えます。

楽器が、音楽が、その人にとって一生大切なものになるように、その過程に苦労することがあっても、最終的にポジティブな印象を持ってもらいたい、ということが、日頃から自分の意志としてあります。

今回はそれも少し伝わったのではないかと、本当に嬉しく思っています。

 

教員を目指す方、教員として仕事をされている方は、誰もがこのようなやりがいを一度は感じたことがあるのだと思います。

ですので、その中で言えば、このことは決して特別なことだとは思いません。

 

しかし、私にとっては、この経験と喜びは、今後の糧になると感じています。

 

最後は何だか自分の話で終わってしまいましたが、やはりこのような感動が、教育に関する様々なことを考えていく上での原動力になるのではないかと思い、備忘録も兼ねてお話させていただきました。

 

いつも上手く行く訳ではありません。しかし、このような瞬間を目指して、今後も試行錯誤していきたいと心から思います。