どうか冗談で言ったことが本当にならないように
ネガティブな発言なんて嘘でもするものではないのかもしれません
言葉が無意識のうちに深層心理に突き刺さる
でも無意識だから、私にはわからない
一緒にいるのが当たり前になった老夫婦
体の関係、心の関係、あらゆる関係を越えてきたと思う
もはや他人とは呼べなくなった
その二人がいざ離れて生活してみると、
見えていなかった愛情が浮かび上がる
それをみると
原点に好きという感情があったのだろうと
知らない過去に思いを馳せる
自分がしてあげられることは何だろう
自分の価値観に飽きたので、他のひとの目で世界を見てみたくなった
気づけば俄然その人に興味をもちだして
インタビュアーになっていた
ただ知りたいだけだった
その人が何を思い、考えているのか
その人なんて誰でも良かった
自分と違ってさえいれば
「近頃、外で遊ぶ子どもが少なくなった」と
そんな声をよく耳にする。
それは当然だなと思った。
子どもから公園の遊具を奪ったのは誰だろうか
ゲームを子どもに与えているのは誰だろうか
むかし遊んでいた公園の
2、3歳児用かと思える
小さくなったすべり台をみて、そんなことを思った。
なんだか年末だというのに季節感のない文章で恐縮です。
夜はわたしを恥ずかしくさせる。
静かな夜は自分のコントロールを失う。
眠れないとき、風の音しかしない道を歩くとき
想像は止まらない。
そんなときは
自分の夢をいくらでも語れる。
好きな人に好きと伝えられる。
そんな気持ちになる。
夜が明けて朝になると
夜の自分が恥ずかしくなる。
夜に言えたことが、朝に言えるだろうか
いや言えない。
ああ、
気づけば日付が変わっている。
そうやって夜を越えていく
からだの震えで目を覚まし、牛乳を多めにいれたインスタントコーヒーを表面に膜がはるくらい熱々にして飲む。
いつも通りの朝の身支度をして家を出る。
いつもと違うのは、部屋に檸檬を置いて出てきたことだ。
きっと帰る頃には吹き飛んでいることだろう。
僕の部屋と憂鬱が
どうやら出版業界の話によると、紙媒体というものは無くならないと言われているようです。
一方で音楽業界の話によると、CDは無くなってしまうようです。
LPほどの趣きもないので、本当に亡くなってしまうのでしょう。
自分にとって昔も今もおそらくこれからも馴染みのあるCD。
仲良くなりたい人とまた話したいから
CDを貸して、まあ会える機会を作ったりしていたのに
それがなくなったら
どうやって仲良くなればいいのでしょうか?
CDには音楽だけ収まっていたわけではないと思うこの頃です。
人は表現をしながら生きている。
それぞれのやり方で。
おおむね、それは発声による。
なぜならそれが人間に与えられた大きな特徴であるから。
とはいっても猫がペンを持つことはないし、
犬が踊り始めることもない。
村上春樹の世界だけは、
全てが虚構となり、
全てが現実となりうるが。
例えば君が発声をやめて、書くことだけに表現を限定してみる。
周りの人からは煙たがられるかもしれない。
しかし、君はどうだろうか。生きやすいだろうか。
どっちが生きやすいか天秤にかけてみようか。
異端者になる覚悟はあるのか。
異端者は自らそうなったのではない。
自分のやるべきこと、やりたいことを求めた必然性のある結果だ。
かれらはバランスをとることが下手で、極端なひとだ。
だからこそ、
人々の多くに名の知れた存在になれたのだろう。
そして、彼ら独自の表現の仕方をもっているのだろう。
君は普通の人間だ。
いまは。
その先はわからない
あなたなりの表現方法を見つけるかもしれない。
見つけようとしていくなら。
地元で
買えもしないのに、焼き鳥屋の前で自転車に乗り
ショーケースを指でさしながら
話す小学生を見て
思わず、笑ってしまう。
あれは僕が小学生のとき
塾が19時くらいにおわると、1番お腹が空いている時間なので
買い食いをするわけです。
当然、お金なんてほとんど持ってなくて
1番の贅沢と言えば、ローソンのからあげクンで
買えない僕はいつも60円のコロッケを買って食べてました。
その焼き鳥屋さんは塾から近いところにあって
お金はないけど、お腹は空いているから
ずっと焼いているところを見ていました。
いま考えたら、子供だったなと思います。
すると不憫に思ったのか
お店の人が売れ残りをくれて
それがとてつもなく美味しかったことをいまでも覚えてます。
そんなことが2回ぐらいあったかな。
味をしめてもう一度、やった気がします。
そんなことがあって、このまえの小学生に
昔の自分を重ねたら、なんだか豊かな気持ちになって良かったなと
そして、かれこれもらったきり10年くらい経つけど
その焼き鳥屋さんで何かを買った覚えが一度もないので
今度、買いに行こう
そして心の中で言おう
「あのときはありがとうございました」と
