こんばんは、江戸すずめです。



来週10月11日は

国際ガールズ・デーだそうですね乙女のトキメキ





ワタクシ、

20代の終わり頃から細々と

アジアの女の子たちを支援してきましたピンクハート




毎月1回、飲み代くらいの金額なら

無理なく続けられると思ったし、



はじめた頃はちょうど

友人たちの出産ラッシュの時期で、



自分は結婚もしていなくて

子どももいなくて、

大人の女性として一人前じゃないかも…


社会に貢献できていないのでは?!



というような謎の引け目と劣等感が

当時、すごくありました…もやもや




あと、

「アジアの女の子」を指定してきたのは


多くの国々で女の子は

男の子よりも冷遇されてると思ったし、


それに地理的にも、

歴史的なあれこれからも

日本はアジアの発展に責任があるよなと

個人的には思っていて。




そういう諸々の

ネガティブな感情について、


支援というかたちで折り合いをつけて

心のバランスをとっていたのかも?

とも思います…キョロキョロ



でもね、

子どもたちが描いた絵やお手紙をもらえたり、

交流ができるところが思いのほか良くって、

今もすごく楽しみにしているんですよ〜ハート





で、最近、

自分のこれまでを振り返ることがあり、

ふと気づいたことがありました。




ワタシには年の近い弟がいますが、


これが子どもの頃から

やんちゃで超・悪ガキでして…汗



でも、

自分の両親について

エラかったな〜と思うのは、



ワタシに対して



お姉さんなんだから

我慢しなさい!!



女の子だから

バイクなんて乗っちゃだめ!



女の子なんだし

短大くらいでいいんじゃない?!



女はさっさと嫁に行け!




とか、

そういう呪いをかけてこなかったこと。





ワタシの父は九州の農村出身で、

祖父も伯父たちも

皆なかなかの亭主関白で

男尊女卑的な発言も多かったのですが…




両親は、



子どもは

男の子も女の子も平等に扱う!



と、二人で決めていたらしいのですピンクハート





ただし、


ほんとに平等主義なので


毎月のお小遣いやお年玉の金額も

おかずやおやつの分量も

お稽古ごとも…


きっちり平等・等分でしたけどねぇキョロキョロ




さらには、


姉弟喧嘩した場合には

本当に問答無用で

言い訳や口答えは許されず、



喧嘩両成敗!



ってことで、

弟とふたり並んで竹刀で

ぶっ叩かれたりもしましたえーん


姉弟そろって剣道をやってたので

竹刀も木刀も家に何本もありまして…


今だと通報されそうな勢いでしたね〜汗





まぁ、そんなワタクシめも

もうすぐ50代に突入で


20〜30代の頃にくらべたら

劣等感や呪いからは徐々に解放されて、


ますますお気楽に自由に

暮らしている訳ですが…



5年後、10年後、半世紀後には、

日本国内はもちろん

世界中の女の子たちの

生きづらさみたいなものが

もっと軽減されているといいなぁと

心から思うのでした〜照れ