三社祭に行ってきた。
もちろん神輿を担ぎに。
寿一丁目のメンバーとして参加させてもらった。
以前から参加したいと思っていた、宮出しから。
雨が降り仕切る中、まだ薄暗い朝4時に御酒所に集合。
そこから、歩いて、浅草寺に向かう。
始めは町会の方々20人くらいだったのが、
段々と他の町会と合流し人数が増えてくる。
浅草寺のすぐ横の馬道通りなんて、
こんなにも待っている人がいるのかと思うくらいの大人数。
6時に宮出しは開始だが、
それまで待っている間、段々雨も強くなり、みんなずぶ濡れ。
地面も砂利が敷いてあるとはいえ、ぐちゃぐちゃになっている。
でも、そんなの全くおかまいなしの雰囲気がまたいい。
そこにいる人達の気持ちは、とにかく気合いを入れて立派に担ぎ上げることが第一。
拍子木の音が一本鳴り止むととともにウリャーッと神輿を上げる。
太い棒が左肩にガツッと当たる。痛てぇーとか思ってる暇はない。
声出して、タイミング合わせて、一体感。
交代もあり、実際5分くらいのことだったが、いい経験だった。

浅草寺の始まりは、推古天皇のころ628年。
檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)と言う漁師の兄弟がいて、
隅田川で投網を打ったら、
一寸八分(約5.5㎝)の金色の観音像がかかった。
それを主人の土師直中知(はじのあたいなかとも)が見て、
出家を決め自宅をお寺にしたのが始まり。
本堂の右奥に浅草神社(三社権現)があり、
3人を指して三社様。
社殿は3代将軍家光によって建立されたもの。
神輿は3基あり、鳳凰が乗った一之宮を担いだのだが、
屋根には、3つの投網の金色に輝く大紋。三社を表す。
三社祭りは江戸三大祭りの一つ。

午前中は、町内神輿を担ぎ、和やかな感じで盛り上がる。
午後に、一之宮の本社神輿が各町渡御で寿一にやって来るので、
ここで再度担ぐチャンス。
ただし、朝の氏子宮出しとは雰囲気が違う。
俺が担ぐんだぁという人々、4、500人が一気に本社に群がるから。
隣の町会から本社神輿が受け渡されるちょっと前から、
周りが殺気立ってくる。
結構みんな酔っぱらっているし、やばーい雰囲気。
でも、そんなのに負けてちゃ、神輿に触ることすら出来ないので、
ぐっと気合い入れて。
一応最初に神輿を上げる人達は決まっていたので、
神輿が上がるまでは一定のラインから下げられていたが、
その人達が神輿を上げた瞬間からの群がり方が半端じゃない。
ぐちゃぐちゃ。
神輿の前を空けたり、ルール違反の突っ込む奴らを蹴散らす役目の
お兄さん方が怒鳴りまくり、どつきまくり。
でも、ガンガン入っていく人々がいて。ホントぐっちゃぐちゃ。
もみくちゃにされながら、どつかれながらも、間を切り抜け
花棒支える担当の友人にたどり着いて入れさせてもらう。
友達ってありがたい。
担いでいるときは、ソリャソリャ声出して。ガッと棒が肩に当たるがようわからん。
アドレナリン全開。
一回外れて休憩してたら、近くで、なんかもめて今にも喧嘩起こりそうな雰囲気の二人がいるし。
相変わらず群がっていく人々はぐちゃぐちゃいるし。口切って、鼻血出している人いるし。
途中ぶっ倒れて、救急隊に運ばれた人いるし。
祭って、ものすごいどこもかしこも興奮状態。
(今、思い出しながら書いているだけでも心臓ドキドキするくらい)

江戸に思いを馳せながら-三社祭

無事に渡御も終り、ヘロヘロになりながら帰路へ。
江戸三大祭りと呼ばれる祭りのパワーはとてつもない。
何百年と続くこの祭り。
いつの時代でも盛り上がっていたんだろうなと想いながら、
今日は眠りにつく。
暖かな日が続き、
テレビの天気予報からは、
“今日も初夏の陽気です”
といった言葉が聞こえる。
天気がいいと気持ちが穏やかになり
なんか、おしゃれをしたい気分になる。
この季節、ついつい明るい色合いを選びたくなってしまうもの。

江戸好みは、俗に「雀の羽色」という
渋い色合いの無地が基本。
「四十八茶百鼠」といって
茶色48色、鼠色は100色あり、
二大流行色だった。
柄は、まず無地。次に縞。そして小紋。
縞は「縞を着こなせれば一人前」と言われるくらい
着こなしがむずかしい。
小紋は遠目では無地に見え、近くに寄って柄がわかるのがいいとされた。
江戸の女性も渋めの柄を好み、
「赤ぬける」と言って、
赤い色を身につけなくても、色気が出るよう頑張っていたらしい。
女性の最後の決め色は赤。
今日こそと言うときに赤を身につける。口紅とか赤い下着など。
男の決め色は紫。

庶民は一生のうち着物は3枚か4枚。
古着屋で買ったり、レンタルしたり、親から譲り受けたり。
布が貴重な時代だから、丁寧に着ていたようだ。
古着屋は神田川沿いの柳原土手に並んでいた。
店先に古着をいっぱいにぶるさげて。

シンプルだがカッコ良く。
モノを大切にする気持ち。
江戸のファションは
大量消費のこの時代で、
忘れてはならないことも教えてくれる気がする。
最近、シンプルなものをさりげなく選んでいる。
でも、ちょっとシャレたい自分がいる。










両国駅にある江戸東京博物館で
歌川広重の代表的浮世絵
“東海道五拾三次”の企画展がやっているので行ってきた。

江戸時代中期、徳川幕府のもとでしだいに庶民の生活が安定し、
人々は伊勢参りや四国巡礼などの信仰の旅や
各地の物見遊山の旅といった
旅ブームがあった。
今で言う旅情をかき立てる風景写真のような、
広重の浮世絵“東海道五拾三次”は
一大ブームとなって売れた。

東海道の起点日本橋から始まり、京都まで。
全55枚。
今まで、そのうちの何点か本物をお店などで見たり、
印刷された本を見たことはあった。
しかし、最初の日本橋を見た瞬間、
「おお、あざやかぁー!」
江戸に思いを馳せながら-日本橋 朝之景

この写真からだと伝わりにくいが、
雲と薄い彩色で表した朝焼けの見事なグラデーション。
手前側に大きく開かれている木戸の大胆な構図のインパクト。
人々の着ている服の藍や緑や紅の色使い。
これが、ホントに板を彫って、摺った版画なのか。
それも200年近く前のもの。

朝焼けのグラデーションなど、
現在の印刷であれば、
パソコン上で簡単に作り上げることが出来る。
しかし、浮世絵では、
拭きぼかしという技法で摺る。
版木上のぼかそうと考えている部分を濡れ雑巾で拭き、
そこに水気を与えておきながら、
濡らしたブラシの一角に絵具を少量つけて、
その部分に塗れば、水分のために絵具は拡散して
色があるかないかわからぬほどに薄められる。
それに紙をあてて摺りだせば
淡い色が出来てぼかしが作られる。
画の上部に空の青が一本引かれているようなことを
「一文字ぼかし」といい、
相当の技量が必要。

保存状態が素晴らしいと言う理由もあるかもしれないが、
2番目の品川、3番目の川崎、4番目の神奈川・・・
と見ていくごとに、引込まれている自分がいた。
かなりデフォルメされ表現されているんだろうな
と思う部分もあるが、
構図、色合い、人の動きなど素晴らしい。
さすが世界のゴッホも広重に真似て絵を描く訳だ。
(名所江戸百景 亀戸梅屋敷はゴッホが模写している)

広重の風景画の中の人々の表情がとても好きだ。
ぽちっとした目に、
ぼてっとした鼻。
笑ってたり、のんびりしてたり、怖がっていたり、困っていたり。
一番のお気に入りは36番目「御油 旅人留女」
江戸に思いを馳せながら
夕闇せまる中、旅人を強引に引っぱり込もうとする留女と、
首にかけた荷物を引っ張られ苦しそうな旅人。
江戸時代には実際にこんな人々がいたんだなと思いを馳せると
温かな気持ちになれる。

広重は、30代半ばにしてやっと芽が出た絵師であり、
そこから数々の傑作を出している。
「対象物のありのままの形を大切にし、
まずは写生を重視する。
そして、自らの想いを筆技にのせて描きあげる。
それこそが絵なのである」
歌川広重『絵本手引草』より

広重の浮世絵から、
物事の捉え方、感性などを学びたい。