spinaviに変えて
今からではspinaviにホームページを作成できないということで、代替案として提示してくださった方法でブログを作成いたしました。お忙しいところご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ございません。
☆12月18日 社会調査2最終授業の感想
この日の授業内容は、一年間の締めくくりとして、最終授業ではこの授業を通じて学んだことを各グループで話し合い、発表。
みなで話し合って気がついたことがあるので、ここで分析をしてみたい。
グループで一年間の授業を思い出しながら話し合っている際に、みながこの授業で強く思い出に残っているのは、前期の自己分析と、グループワークについてであることが判明した。確かに、二年生中心のチームNYCでは、まだゼミなどでグループワークを行っている者が少なかったため、みなで話し合って発表するということは非常に新鮮であったようだ。
また、自己分析に関しては、日常生活において様々な角度から自分を見つめる機会というのがあまりないようで、親への手紙や、メンタルマップ、自分誌を通して自分の存在を再確認できたようである。
ここで私が注目したいのは、私たちのグループの最大のイベントは間違いなく模擬面接であるはずなのに、授業最終日に来ていたメンバーには、あまり印象に残っていなかったように思われる、とういう点である。模擬面接に関しては、予選、本番ともに出場し、実際に各会社の関係者の方々も来ていらっしゃったのに、みなあまり印象に残っていない。
私が思うに、これは一種の矛盾ではないかと思う。グループワークが楽しかったとみな言っているが、朝日の模擬面接ほどグループワークを必要とした場面は他にはなかったように思う。しかし、実際には授業以外の集まりには毎回特定の人物しか現れず、結局原稿はほとんど二人で仕上げることとなった。それ以外の人たちには主体的にメーリングリストで連絡をとったり、作業がどれくらい進んでいるのかを気にする様子は見られなかった。
それゆえ、この一年を通じて私が印象に残っているのは、グループワークを効率よく進めることの難しさであるという結論が出てくるのは当然である。つまり、この授業の面白いところは、グループワークといった不慣れなことに対して、その楽しい部分だけの恩恵を受けて授業を終了してしまった人もいれば、その運営の難しさを体感してしまった人もいるということだ。
そして、さらに考えていくと、この両者の違いというのは、決して授業への参加意欲の温度差だけでは説明しきれないと思われる。というのは、それはむしろグループワークという集団行為に対する責任感の大きさが関わってくると思うからだ。
まるで自分のグループに対して悪口を書いているように感じられてしまうかもしれないが、決してそういうわけで書いているのではない。ただ、集団内での構成員の行動心理を社会学的に考察してみたいと考えただけである。
個人的に最後の授業の感想を述べると、プレゼンの仕方がどの班も多少なりとも上手くなったと思いました。それは、プレゼンというのはあくまで、多数の聴衆に発表することであるので、その聴衆に対する心遣いというのが大切になってくるということをみなが共通事項として持てたからだと思います。
spinaviにホームページを作成できなかったために、今後この私のブログをお読みになる機会はないかもしれませんが、様々な社会問題に関して、学生としての意見を多く載せられたらと思っておりますので、気が向いたらお読みください。
改めまして、この度こちら側の不手際により、お手数おかけしましたことをお詫び申しあげます。
