驚いたことに、相原勇は曙の溜まりに溜本音を理解してなかったようなのだ。あるいはここで彼女を責めるのは酷かもしれない。仮におれにしたって、VTRやナレーションを介さず曙の話だけを聞いていたら理解し切れたか。と思われるほど、曙の日本語は決して流暢とは言えなかった。

しかし曙の話やナレーションで全容を了解したつもりのおれとしては、相原がなぜ理解できなかったのか納得できなかった。よほどの天然か、言い方は悪いが頭がよろしくないとしか思えなかったのである。

バカの壁、という昔のベストセラーのタイトルが思い浮かんだほど彼女が愚かに見えた。今記憶を掘り返してみると、いい歳をして未だに男心を理解できない愚かな女としての相原勇と歳月をかけてきた本音をわかってもらえず苛立つ曙という対立構造で描かれていたような気がする。

しかし、そんなことがあり得るのだろうか?泥水をすするような過去を背負った相原勇が、20年経っても相手の気持ちがわからないなんてことが。やはりこれは、二人のコミニュケーション能力に隔たりがあったとしか思えない。特に曙の日本語に問題があったとしか。

考えてみれば相原は破局騒動の後渡米している。英語で話し合うという方法もあった気もする。もっとも日本のバラエティ番組で英語なんて、なんのこっちゃって感じがしないでもない。曙の日本語くらい怪しげなものになろう。それくらい言葉の壁は厚い。

そう考えると、愛があれば国境も越えられるという綺麗事では如何ともし難いということか。むろん、20数年前そのような障害を乗り越えて一緒になろうとした二人の気持ちに偽りはなかっただろう。小綺麗にまとめたと批判したが、すれ違いから生じた悲劇といえる。

たらればを言っても仕方ないかもしれない。しかし、もしもお互いがお互いの気持ちに寄り添っていたら、一方通行になってなければ曙と相原勇は添い遂げていたのではないか。お互いのすべてが好きと公言していた仲なら、それができたかもしれないと悔やまれる。

当初の印象で、相原勇=男心がわからない女という図式で断罪するつもりだった。しかし記憶を呼び起こすと、二人のコミニュケーション不足からきた不幸であった気がする。人を愛するということは、相手を理解するための会話の大切さも重視しなければいけないことを痛感した。

そう考えると余計なお世話に見えたTBSのバラエティ番組も、それなりの存在価値があったということだ。けなしたりしてごめんなさい。




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