老後 | エド金融道 (息子が「めしが食える大人になる」編)

老後

先月は、新規事業のネタを考えるために、ひたすら『老後』と言うテーマでいろいろと考えていました。

こういう、新規事業を考えるにあたって、一番、重要で且つ簡単な工程として、「自分にあてはめて考える」と言うのがあります。つまり、自分が、年をとったらどうなっているのか?それを具体的に想像してみる訳です。

これは、おれっちの目標!と言うか妄想かもしれませんが・・・


一般に老後と呼ばれるであろう60歳には、資産を1億円位持って、投資不動産もしくは株式配当金などで、年利5%で500万円位の不労所得があって、年金には頼らず、地方都市で、読書や畑いじりみたいな事をしてのんびり嫁さんを暮らそう。でも、たまには、仕事したり、考古学とか歴史関係の趣味的学問をやって、文化的活動もする。


みたいな・・・そんな事を考えてみたりしたわけです。現実は、そんなんじゃありませんね。

それは、テレビに出てくる、ほんの一握りの人ですね。


昨日、敬老の日なので、嫁さんが焼いたバナナケーキと、花束を持って、都心の一等地にある爺さん・婆さんの家に行ってきました。爺さんは、今じゃ、資産ウン億円以上の方ばかりが住む地域の一軒家(小さいながらも池と畑が庭にあります)に住んでいます。とはいっても借地権なので、爺さんの持ち土地ではありませんが、それでも、誰もが知っている大きな会社の部長職まで務めたので、経済的な心配は全くない状態だと思います。

しかし、とっくに90歳を超えており、数年前に、仕事で外出中に脳梗塞をやって、今や完全にぼけてしまっています。まあ、ぼけているとはいっても、おとなしいボケ方なので、トイレの処理に困るくらいなので、ましなほうでしょ。今は、婆さんがしっかりしているので、たまにヘルパーに手伝って貰う程度で、爺さん・婆さんの二人暮らしをしています。


そんな、爺さん、婆さんに会いにいった訳ですが・・・家に入って、ちょっと異臭が・・・ちゃんと片付けてありますが、多分、爺さんが所定の場所以外で用をたっしてしまったんでしょう。さて、さっそく、家に入って、花束を渡した訳ですが、爺さんは、おれっちが、誰だか全く分かっていない状態。ジュースをついで渡したら、それでウガイをはじめました。話しはできるのですが、会話が成立しない・・・しょうがないので、婆さんとずっと話しをしていました。爺さんは、これでも、数年前までは、週に1回は、公演をしていて、周りからは「先生」と呼ばれるほど、しっかりしていたんです。この変わりよう・・・医学的には、脳梗塞により、脳の一部に血液がいかなくなった為に、いろいろな認識とか記憶の機能が失われてしまっているのでしょう。

じいさんは、どうも、人生の中で仕事が一番忙しく、ひっきりなしに人が尋ねて来た時代の事を繰り返し、思い出しているようで、「今日は人が何人来るんだっけ?」って、おれっちの嫁さんに尋ねてました。

日が暮れて、そろそろ、帰ろうとした時に、婆さんが

「お爺さん、今日の晩御飯は何にしますかね?」

と爺さんに問いかけてましたが・・・爺さんは、全く反応していませんでした。


会話が全く成立しない、爺さんとの二人暮し。週に何回かは、ヘルパーや息子達がやって来たりはしますが、大半は、婆さんと爺さんの二人っきり。


この二人の楽しみはなんなんだろう?

爺さんは何のために生きているんだろう?

婆さんは何のために生きているんだろう?


2年前には、母方のおばあさんが亡くなりましたが、その婆さんの口癖は、「わたしゃ死にたい」でした。

旦那(おれっちのおじいさん)は、30代でなくなっており、ずっと婆さん一人で子供を育てて来ました。その子供も立派に育って、その後、同年代の女学校の同級生とつるんでは、旅行に行っていましたが、その同級生も次々となくなり、近所のなじみの人たちも、なくなったり、ボケてしまったり・・・とうとう、婆さんは、自分の息子・娘以外の知り合いはほとんどいなくなってしまったんです。息子、娘、孫がけっこういるものの、会いに来るのはせいぜい数ヶ月に一度でしょ。日々の暮らしのほとんどの時間を一人で過ごしていた訳です。一人で起きて、一人でテレビを見ながらご飯食べて、一人で買い物に行って、一人で寝る・・・こんな生活が10日も続けば、「生きている必要があるのだろうか?」と真剣に考えてしまうと思います。

このおばあさんの最後は、心臓発作でした。夜、発作が起きて、下の階の息子がたまたま気付いて、救急車を呼びましたが、ばあさんは、治療をかたくなに断ったそうです。救急車に運ばれながらも様態は悪化して、病院到着後、心停止。電気ショックによる蘇生が行われました。しかし、反応がなく、2回目の蘇生を行おうとしたのですが、息子がこのまま逝かせて下さいと断ったそうです。

多分、これが、婆さんにとっての一番幸せな最後だったと思います。また、周りの息子達にも、元気な婆さんのまま逝ったので、負担も少なかったでしょう。葬式でも、「良かった」と言う言葉が、一番多く聞かれました。


日本は、すでに、超高齢化社会です。コムスン問題や年金問題など、もう、すでに人口ピラミッドの重みに耐え切れず、歪にひびが入って崩れはじめています。結局、医療の進歩も、「治癒率・死亡率」と言う数値に拘って、延命を目的として来た為に、死に切れない老人をたくさん生み出しているのかもしれません。


これから30年後・・・世界がどうなっているのか?その40年を生き延びるのにはどうしたらいいのか?いや、そもそも、その30年間を生き延びることが幸せなのか?


そんなことを考えた敬老の日でした。