『アメリカンハート』




【前編】


モンテゴベイの美しい水平線を見つめながらキースは呟いた。「このカリブ海の先には父さんと母さんの故郷、アメリカがあるんだ」


3才の頃に両親を失ったその少年は父親の親友でジャマイカ人夫婦の家に引き取られ、この島に渡って来たのであった。

「おい!嘘つき野郎!お前はジャマイカ人だ。一生、この島から抜け出せやしないのさ」

クラスメ―トの一人がからかってきた。ずっとこう言われて苛められてきたのである。

「違うよ、僕はアメリカ人なんだ。いつか絶対、この島から出てってやる」

ココナッツの木の下でキースはそう叫んだ。

そんなある日、道端で財布を拾ったキ-スが交番へ届けに行くと白髪の紳士風な男性に感謝され、夕食をおごってもらう事になったのである。

「ありがとう!今、世界一周の旅行中で、次のNYに着くまでこのカードがないと何かと不便でね。助かったよ」

キースは目を輝かせた。「次はニューヨークなんだ・・」

その夜、昼間の男性が乗って来たという豪華客船にこっそり忍び込んだキースは投げキッスをしてジャマイカに別れを告げたのである。


マンハッタンも季節を変え、街行く人々の数も多くなった頃、キースは中華街のレストランで月給150ドルという低賃金で働いていた。ビザもない不法入国者の彼にはここしか働く場所がなかったのである。

しかし彼は毎日が夢の様で楽しかった。食事も寝床も付いていて何より、生まれ故郷であるニューヨークで生活できる事に満足していたのだった。

「仕事終わったらいつもの場所で待ってるよ」内気でおとなしいウエートレスのナンシーと付き合い始めたキースは皆にバレない様に小声で彼女に耳打ちした。

しかし二人はまだ、それを心地良く思っていない人物がいる事に気付いていなかった・・。

ソーホーの壊れかけたビルの屋上、そこが二人の秘密の隠れ家だった。そこからは摩天楼の輝きが一望でき、キースはとても気に入っていた。

「今夜は星が綺麗だね。僕はずっとこんな夜景を夢見ていたんだ。将来、絶対この街で成功してみせるよ」

ナンシーは頷くとこう言った。

「あなたなら必ず夢が叶うわよ」

キースはこのまま時が止まればいいとさえ思っていた。


翌日の閉店後、店の片付けをしていたキースを経営者の息子である張が呼び止めた。「明日はVIPな来客が来るから店内すべてをピカピカに磨いておけ!」

そう言われてモップとクロスを手渡されたキ-スは断る事もできず、朝までかかりそうな清掃をのんびり始める事にしたのである。そんなキースを見て張はニヤリと笑うと不気味なセリフを呟いた。「さようならキース君。ナンシーは俺のモノさ」

深夜3時が過ぎた頃、誰もいないはずの入口のドアが開き数人の男達が入って来る足音に気が付いた。「移民局だ!キースはいるか!」

すぐに窓から逃げ出したキースはマンハッタンの街を全力で駆け出したのである。「こんなところで捕まってたまるか!やっとアメリカへ来たんだ」

この辺の地理には詳しく、次の路地を曲がれば逃げ切れると思っていた。その瞬間、信じられない光景を目にしてキ-スは立ち止まった。「なんで・・」

張とナンシーがキスしていたのである。するとたちまちキースは取り押さえられ、それに気付いたナンシーは涙を流しその光景を見つめていた。


翌朝、鉄格子の中で一夜を過ごしたキ-スに一人の移民局の男が宣告した。「残念ながら君は強制送還で母国に送り返される事になったよ」キ-スは泣きながら叫んだ!

「僕はアメリカ人なんだよ!どうして皆、わかってくれないんだよ・・」

キースのせつない想いもむなしく、機内へと護送されて行ったのである。そしてその途中、移民局の男から一通の手紙を手渡された。

「愛するキ-スへ~父の借金の肩代わりを条件に張に付き合えと言われました。私は父を見捨てられなかった。こんな事になってごめんなさい!あなたならいつか必ず戻って来て夢を叶えられると信じています。ナンシーより」

手紙を読み終えたキースは目を閉じ胸に手を当て、離陸するまでずっとアメリカ国歌を口ずさんでいた。そして飛行機はニューヨークの空へと舞い上がった。

 

「ヘイ!アメリカンボーイ。まだ若いのに一人で旅行かい?偉いな」機内で一人の男性が声をかけてきた。ニコリと微笑んだその少年はこう答えた。

「うん!ちょっと長い旅になりそうだけどね」

その日、17才の誕生日を迎えた少年の心にはしっかりとアメリカンハートが刻み込まれていた…。






『光の差す場所へ』




【後編】


機内の窓から懐かしむ様にNYの街を見下ろした一人の男が呟いた。

「10年振りか、やっとアメリカへ帰って来れたんだ・・」

若き日にこの街で苦い経験をし、気持ちが高ぶっていたのである。そんな遠い記憶を思い出したその男は静かにそっと目を瞑ると、何かを確かめる様に胸に手を当てた・・。


久し振りのマンハッタン、見慣れないビルばかり目に映る。するとあの頃と変わらない薄茶色の中華レストランが見えてきた。彼が昔、働いていた場所である。空港から迷わずそこへ直行したのには訳があった。それはある一人の女性を捜す事だった。

「あと1週間待ってくれ!」店の前では中国系の男が黒いサングラス姿の男達に車へと連れ込まれそうになっている。それを見た男は叫んだ。

「張!久し振りだな」

すると彼に気付いた張という男は思わぬ訪問者の出現に喜び、泣きついてきた。

「キースなのか?助けてくれ!親父が死んで俺が今、店を経営してるんだがギャンブルに手を出してマフィアに連れて行かれそうなんだよ」

男はそんな張の手を振り払うとこう言った。

「ナンシーはどこだ」

「はぁ?ナンシー?」

張は考え込んだ末、やっと思い出し口を開けた。

「あの女か!親の借金の肩代わりをする約束を俺が破ったら泣き喚くからジョリーのストリップ小屋に売り飛ばしてやったよ。それよりお前、ジャマイカのコーヒー豆で大儲けしたらしいじゃないか!米国のNNCを買収したんだって?新聞で読んだよ。頼む!助けてくれ。お前ならこんな小銭、たいした額じゃないだろ?」


そんな張の言葉にキースは脳を打ち砕かれる様な思いにかられた。幼少の頃、両親を失い、父の親友にジャマイカで育てられた彼は10年前、海を渡り故郷へと帰って来た。しかし彼の恋人を気に入った張はビザのなかったキ-スを移民局に通報し強制送還させたばかりか、父親の借金に思い悩んでいた彼の恋人を肩代わりを条件にキースから奪い取り、しかもその後、ストリップ小屋へ売り飛ばしていたとは・・。

キースは怒りを通り越して無言でその場を立ち去った。

そんな彼の背後ではマフィアに連行され泣き叫ぶ張の無残な悲鳴だけが鳴り響いていた・・。


「ナンシーリンを呼び出してくれ」1時間後、ジョリーの店の前でキースが従業員に声をかけると険しい表情で戻って来たその従業員はこう言った。

「彼女は君に会いたくないそうだ」


そんな日々がニ週間も続いたがキースは諦めなかった。幾日も幾日も。<なぜ彼女は会ってくれないんだろう?>

そんなキ-スの溜息は白い霧となってNYの闇へと消えては浮かび上がっていった・・。


「どうしてあの男と会ってあげないの?大富豪らしいじゃない?」

女はこう答えた。

「こんな薄汚れた私にはもう彼に会う資格なんてないのよ」

そんな彼女の瞳には大粒の涙が溢れ出そうになっていた。今すぐにでもここを飛び出して彼の胸に飛び込みたい気持ちで一杯なのに、純粋でひた向きで今もなお変わらないであろう昔の恋人に今の自分を見せる事は、彼女には死より辛い事だったのである。


そして20日目の夜。その日は朝から雨が降り出していた。すると突然、店の前で傘もささず、キースはナンシーの部屋であろう2Fの小部屋に向って歌を歌い出したのである。<ザ・ライチャスブラザースの『ふられた気持ち』>という曲を・・。


ナンシーは驚いた。それは10年前、二人の隠れ家にしていたソーホーの壊れかけたビルの屋上で彼女が彼に教えた曲だったのである。

「覚えていてくれたんだ・・」

彼女はベッドの上で泣き崩れ、もう気持ちを抑え切れなくなっていた。すると急に彼の口ずさむ声が彼女の耳から遠ざかっていった。不思議に思った彼女は遂に窓から顔を出し、下を覗き込むと声を上げた。

「キース!」

そこには雨に打たれ高熱で倒れている昔の恋人の姿があった。


アメリカで生まれ、ジャマイカで育った一人の少年はその後、差別に遭いながらもアメリカ人である事を証明する為に海を渡り、故郷へと帰って来た。しかし彼が見た故郷とは17才の心にはあまりにも厳しい現実だけだった。そして10年後、少年は大人になって帰って来た。病室で目が覚め最初に見たもの、それは彼が一番望んでいたものだったのかも知れない。


「星の王子さまって本読んだ事あるかい?」

ナンシーは首を縦に振った。

「本当に大切なモノは目には見えないって書いてあったよ」


そして10年振りに再会した男女はキスを交わした。そんな光景を星たちに見せびらかす様にマンハッタンの夜風がカーテンを揺らしていた・・。