皇室は国民統合の象徴という宗教的な役割を担い、日本社会の安定の礎となっている。現在、その継続が危機に瀕している。現在の皇室典範は、皇位継承資格者を「皇統男系男子」に限定しているため、3代後以降の継承が悠仁親王殿下(11歳)一人の双肩にのしかかっているためだ。
皇室典範を改正し、皇位継承を安定化させるためにはいくつかの選択肢があるが、人間尊厳、万世一系、男系継承のどれか一つを放棄せざるを得ないトリレンマにある。
皇位安定継承と、皇族の人間尊厳を重視するならば、「長子相続制の確立による万世一系の保持」または、「旧皇族の皇籍復帰制度の確立による男系継承の保持」のいずれかを選ばなくてはならない。
実はこの二者択一は、血統カリスマを、皇統譜という戸籍に依拠するか、臣籍降下した個人の血縁に依拠するかという、戸籍と血縁のいずれを重視するかという対立である。日本は事実上世界唯一の戸籍主義社会であり、伝統社会の婿養子に見られるように、家系の女系継承を盛んに行ってきたので、皇統譜を重んじる長子相続(=女系継承の容認)が受け入れやすい。
いずれにしても、古代から続く伝統社会のなかで培われてきた制度が、現代社会において機能不全を起こしてしまうのは避けがたいことだ。
皇室だけが社会の変遷から自由であるわけではない。早急に皇室典範を変更しなければ、ある日突然、二千六百年の歴史を持つ国民宗教が行き詰まることを覚悟しなければならない。
現実に取り得る選択肢は長子相続(女系容認)しかなく、安倍首相を含む血縁重視の権力者集団を説得するかない。これは宗教問題であることを認めた上で議論するべきであり、間違っても、男女平等、DNA鑑定、Y染色体継承など、宗教と無関係の価値を根拠にして話をしてはならない。
皇室典範を改正し、皇位継承を安定化させるためにはいくつかの選択肢があるが、人間尊厳、万世一系、男系継承のどれか一つを放棄せざるを得ないトリレンマにある。
皇位安定継承と、皇族の人間尊厳を重視するならば、「長子相続制の確立による万世一系の保持」または、「旧皇族の皇籍復帰制度の確立による男系継承の保持」のいずれかを選ばなくてはならない。
実はこの二者択一は、血統カリスマを、皇統譜という戸籍に依拠するか、臣籍降下した個人の血縁に依拠するかという、戸籍と血縁のいずれを重視するかという対立である。日本は事実上世界唯一の戸籍主義社会であり、伝統社会の婿養子に見られるように、家系の女系継承を盛んに行ってきたので、皇統譜を重んじる長子相続(=女系継承の容認)が受け入れやすい。
皇室典範の脆弱性
皇位継承危機は、世代的に見るとかなり最近の出来事である。その昔、昭和天皇には弟が三人おり、さらに昭和天皇自身も息子二人、孫息子五人に恵まれたため、その時点で皇位継承には不安がなかった。ところが、その次世代の平成天皇とその兄弟、いとこたちは、ほとんど息子には恵まれなかった。平成天皇の孫世代では悠仁親王殿下だけが皇位継承の命綱である。
この事実は、現在の皇室典範による皇位継承がかなり不安定であることを証明している。つまり、息子息子息子・・・と繰り返される世代交代の、ある一時点で男子が途絶えれば、突如、皇統断絶してしまう脆弱性を克服することができない。
日本の歴史では、神武天皇以来二千六百年とも称される長期間にわたって、万世一系が男系継承によって維持されてきた。これは古代においては内婚、中世以降の伝統社会においては側室との婚姻によって、数多くの継承候補者を生み出すことが出来たからである。例えば昭和天皇の母は、大正天皇の側室・柳沢愛子だった。
しかし、経験的に明らかな事実として、カップルによっては男女の生まれやすさに違いがあり得る(性染色体の多型により、一定の組み合わせが胚性致死になることが原因と考えられる)。現代社会で我々が認識する婚姻の有り方(一夫一妻の核家族)では、長期にわたる男子の安定産出は期待しがたいのだ。
多神教とも、無宗教とも、非宗教とも、無節操宗教とも言われる現代日本社会のなかで、大多数の国民に共有される唯一の宗教が万世一系の天皇であることは論を待たない。憲法によって国民統合の象徴という宗教的な地位を定義され、日本国民が日本を日本として認識する中心的な要素であり、国家を安定させる礎となってきた。
世界中の先進国が脱宗教化するなかで、日本人はこの伝統的宗教によって守られていると言える。このような国民宗教存続の希望の全てを、少年ひとりに託して放置することは外道と言うほかない。したがって、皇位継承について致命的な弱点を抱える皇室典範は直ちに変更されなければならない。
皇位継承トリレンマ
皇室典範の弱点を克服する手段は四つに大別される。これらの中心的な価値は相互に矛盾している:万世一系(皇統譜の一元的連続)、男系継承(父の父の父・・・と、天皇の血縁を父系でたどると神武天皇に行きつく)、人間尊厳(婚姻の自由、夫婦の性的独占)という、3つの価値は相互矛盾する。
(1)長子相続制の確立
男女を問わず、最初に生まれた子供を皇太子とする。
内親王は宮家(女性宮家)を立て、結婚後も皇族に残留する。皇族の数は増え続け、いずれかの宮家に子供が生まれる限り、天皇との血縁関係に基づき、皇位継承者が自動的に決定される(平成天皇の次の次には敬宮愛子殿下が即位する)。
血統カリスマは安定し、長期継続が期待される。他国の例としては、長子相続はイギリス皇室などで採用されている制度である。女子を介した皇位継承が可能であり、万世一系を保持する。人間尊厳も保たれるが、男系継承と矛盾する。
(2)皇籍復帰制の確立
臣籍降下した旧皇族の皇籍復帰を制度化する。
男系男子が途絶えるたびに旧皇族男系男子を皇籍に復帰させる。どのような血縁順で復帰させるかは、あらかじめ制度で決めておく。
復帰の度に皇統譜を書き換えることと、血統の確実な継承が必ずしも保証されないため(父親の血統は分娩の事実ほどには保証されない)、万世一系と矛盾する。男系継承との矛盾は最小である。人間尊厳には矛盾しない。
(3)内親王の配偶者を旧皇族に限定する制度の確立
内親王の配偶者を、旧皇族男系男子に限定する制度を確立する。内親王は宮家を立て、皇族に残留する。男子が誕生すれば、その男子に皇位を継承させる。女性宮家から生まれた女子も内親王として旧皇族男子と結婚させる。万世一系と男系継承が保証される。婚姻の自由が保たれず、人間尊厳に矛盾する。
(4)側室制度の再確立
側室を立て、十分な数の男子が生まれるまで生殖努力を継続する。万世一系、男系継承は保証される。夫婦の性的独占が保たれず、人間尊厳に矛盾する。
それぞれに細かいバリエーションがありうるが、上記の四つの選択肢のいずれか一つを取ることは、(A)人間尊厳、(B)万世一系、(C)男系継承の、どれか一つを放棄するという選択と同じことなのである。いずれも選択しなければ、遠くない将来に(D)皇位継承を放棄することになる。言い換えれば皇位継承にはトリレンマがあるのだ。
戸籍主義と血縁主義
トリレンマの何を重視するかは個人の根源的な価値観によって異なる。
大多数の国民にとっては(C)男系継承の優先順位が最下位であることは確実だろう。なんといっても日本は双系的な社会である(父方、母方のいずれの祖父母も同程度に尊重されるし、息子の子も娘の子も同程度に可愛がる)。
伝統的な家族様態も直系家族であり、婿養子が盛んに迎えられ、家系を維持してきた(男女両方を養子にとって結婚させる両養子もあった)。
日本が国民国家であり、人間尊厳を重視しつつ、万世一系を保持するためには、(1)皇統の長子相続制(女系継承の容認)を確立しなければならない。
次点の選択肢は(2)皇籍復帰制の再確立だろう。男系継承を維持し、万世一系を放棄する選択肢である。国民の中で、おそらく保守的価値観が強いと自任する、少なからぬ集団は、男系系統の放棄に強く反対する。皇統譜という戸籍よりも、血縁を重視する宗教観を持つためであると考えられる。
つまり、万世一系か、男系継承かという議論は、戸籍か血縁かという議論なのである。2017年現在の首相である安倍晋三氏は血縁派である。つまり日本のリーダー層の宗教観が、皇位継承問題の解決を困難にしているのだ。戸籍派(=長子相続制支持者=女系天皇容認論者)は、安倍首相ら血縁派を説得できるだろうか?
そのためには男系継承への支持が、何を危惧したものなのかに注目するとわかりやすい。
(一)易姓革命・王朝交代への危惧
女系継承した天皇は姓を父親から継承するため、神武以来続いてきた王朝が交代し、日本史上初の易姓革命が起き、日本という国体の連続性が失われてしまう(父親が山田太郎なら、神武朝が山田朝になってしまう)。
さらに、内親王が外国人と結婚したら、皇室が外国人に乗っ取られてしまう(例えば金正恩の息子と結婚したら、神武朝が金王朝になって北朝鮮に乗っ取られてしまう)。これを意図して、悪意ある外国(例えば中国)が、内親王を口説き落とすことを目的にスパイを送り込んでくる可能性がある。
(二)伝統の破壊への危惧
万世一系は男系継承によってのみ保たれ、これまで例外はない。この伝統を否定することは皇統の否定である。
(一)易姓革命・王朝交代への危惧について:
戸籍主義を取る限りは、万世一系が皇統譜に依拠するという事実が、この危惧を緩和するだろう。
つまり、女系継承を認めた場合にも、皇統譜は一つであり、天皇→内親王(次世代天皇)→女系天皇の順に皇位継承され、王朝は不滅である。
内親王の配偶者は皇籍に入り、姓を失う(内親王の即位の際には、天皇ではなく、皇配陛下ともいうべき地位につく)。山田太郎さんやJohn Smithさんが内親王と結婚したら、彼らは姓を失い、太郎殿下やJohn殿下に、やがて太郎皇配陛下やJohn皇配陛下となって妻に仕え、天皇である母親との血縁に依拠してカリスマを継承する次世代天皇の父親となる。
婿養子とはそういうものであって、武家に婿入りした夫は、妻の姓を名乗り、妻の家系を存続させる。敵性勢力に皇室が乗っ取られる危険性は、現行制度で女スパイが皇太子と結婚し、国母となる危険性に等しい。それを予防する手段も現行制度と同じである。
(二)伝統の破壊への危惧について:
この考え方は個人の血縁を重視する血縁主義であり、皇統譜を重視する戸籍主義との間には、シーア派対スンニ派、アタナシウス派対アリウス派の如くの、宗教的対立がある。
この考え方の致命的な問題は、皇籍復帰の際に、血統カリスマに疑問の余地が生じるということだ。
つまり、臣籍に降下し一般国民となった男性の息子や孫息子たちが、まさしく天皇の血統に連なるということは自明ではない。母子と異なり、父子には分娩の事実による絶対的絆がないからだ。
旧皇族のうち、この人は確実に皇統、この人はそうとは言い切れないなどといって、選別することが必要になるが、それでカリスマを保つことが出来るだろうか?たとえばDNA鑑定では血統カリスマを維持できない。自明性がカリスマの必要条件だからだ。
天皇は神聖不可侵で、その資格ををテストすることは誰にもできない。奈良時代や平安時代のような古代・中世社会であればいざ知らず、現代社会において、ひとたび臣籍に降下した一般国民を、万世一系の正当継承者であるとは信仰しがたい。
一方、宗教観を少し譲歩すれば、男系継承の放棄が宗教価値の全てを放擲するとは限らないと考えることもできる。
つまり皇統世系第一の天照大神は女神であるから、皇統の継承は、その始めに母→子という関係でなされたと見なすことができる。この論理を認めれば、女系継承容認について宗教的困難はなくなると考えてよい。
もちろん、世系第二の あめのおしほみみ は、すさのおのみこと との誓約によって天照大神から生まれたので、人間同士の結婚による世代交代とは異なると主張することもできる。この種の議論は堂々巡りとなり、ニッチな学者や知ったかぶりの評論家、お笑い草の旧皇族が延々と無益な討論を続けることになる。
つまり宗教問題には自明解がないのだ。
ここはひとつ、三位一体を選挙で決めた、四世紀初めのキリスト教世界にならって、広くこの宗教の当事者である国民の間で議論と投票を行い、皇統譜の世系第一と第二の継承が女系継承であったか否かを、皇位継承問題に関係づけて決めるべきだ。
少数派になった方は、その名の通りのプロテスタントとして自分たちの天皇を立て、三種の神器を再発見し、第二の北畠親房の元に第二の後醍醐天皇を吉野山か伊勢神宮で即位させても良い。現代社会では異端狩りも30年戦争も起きないだろうし、時代が変われば第二の南朝として勝利することもできよう。
いずれにしても、古代から続く伝統社会のなかで培われてきた制度が、現代社会において機能不全を起こしてしまうのは避けがたいことだ。
皇室だけが社会の変遷から自由であるわけではない。早急に皇室典範を変更しなければ、ある日突然、二千六百年の歴史を持つ国民宗教が行き詰まることを覚悟しなければならない。
現実に取り得る選択肢は長子相続(女系容認)しかなく、安倍首相を含む血縁重視の権力者集団を説得するかない。これは宗教問題であることを認めた上で議論するべきであり、間違っても、男女平等、DNA鑑定、Y染色体継承など、宗教と無関係の価値を根拠にして話をしてはならない。