畳 一条のされど私の人生

畳 一条のされど私の人生

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親父の都合で預けられた田舎の長野の山奥は、埼玉の大宮とは全く違う世界だった。

空気がおいしいのだ。

それより何より、目にうつるすべてのものが色鮮やかで、自然と心からウキウキしてしまった。
鳥も虫も獣まで間近にいる。
目覚める度に、見る景色が全く異なる。

3歳のガキが、これで浮かれないなんてことは、絶対にないだろう。
後に移住してきた都会育ちの人に訪ねると「日本のペルーだ」と言っていた。…実際、いけない植物を栽培するのにうってつけなんだってさ…あせる
駐在さんしかいないから、まず捕まらないしグッド!


田舎の暮らしに馴れてきた頃、まるで難民のように痩せていたオレも、普通な健康児になり、すっかり性格が明るくなった。

これもすべて、おばぁのお陰だ。

幼児期に虐待されてきたオレにとって、考えることは「おばぁに嫌われないようにしなければ…」ただそれだけ考えていた。

どうしたら喜んでもらえるだろう…?
そうだ,保育園の帰り道に、山菜やなんかをお土産にしよう!
で、道すがら生えているふきやキノコ、柿や栗を沢山持って帰ったら、きっと喜んでくれるだろうと…。

それで帰り道、目についたそれらの食品を、山ほど抱えて帰って行った。

おばぁは、少し黙り…「ありがとなぁ。こりゃご馳走だわ。」

「ときに…どこで摘んできたんな?」
と訪ねられる。
「どこそこのどこだよ♪」と答えると、何も言わずに微笑んで「ありがとなぁ」と言い…。

そして必ず次の日、どこかに出かけていた。


後で分かったのだが…結局オレは、人の畑から勝手に取って来てしまっていたのだ。

おばぁはその度に、謝りに行っていたのだった…。


都会育ちのオレには、ただおばぁの喜ぶ顔が見たくて…人の所有物なんて認識,当時のオレにはないもの…。



いつしかオレは、皆に「ヨタッ子」と呼ばれていた。
「イタズラ小僧」という方言なのだった…。