ジークフリード・キルヒアイスについて考えてみた | エコノミライ研究所のブログ

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いつもエコノミライ研究所のブログをご覧下さり、誠にありがとうございます。

 

「ミライ」に関係する、ありとあらゆる事象のうち、研究所メンバーが注目する事象につき、クローズアップしている関係で

 

「人生のバイブル」の一つ、「銀河英雄伝説」に関する話題も、機会があれば公表するつもりでいます。

 

2週間前、表題にも記しました「ジークフリード・キルヒアイス」につきまして、手元の本から、気になったセリフをサルベージ致しました。

 

そこで認識した言葉の数々から、21歳で殉死した、架空(かもしれない)青年の人となりにつき、思うところを記そうと思います。

 

(下手くそな絵でスミマセン。下絵なしでボールペンとクーピーペンシルで10分位で描きました。)

 

 

 帝国主義国家では、皇帝を頂点とした階級社会の中で<ひと>は生きることを当たり前とし

 

臣民は皇帝陛下の御ため生きるには、どのような人生の選択肢を選べば、より陛下に貢献できるのかという価値観がモットーであるとするならば、

 

キルヒアイス家の隣に引っ越してきた、ミューゼルという下級貴族の存在により、複数の人生の方向性が定められたと云えます。

 

 引っ越してきた貴族の子女である姉アンネローゼと弟ラインハルト、そして、キルヒアイス家の子、ジークフリードの3人の人生です。

 

ミューゼル家とキルヒアイス家とが隣り合わせとならなければ、ひょっとしますと、自由惑星同盟の命運は、もうすこうし、長引いていたかもしれません。

 

 OVA版を視聴した当初は、このような感慨に耽(ふけ)ることはありませんでしたけれども、トキヲコエテ、小説版を読み返しますと、

 

銀河英雄伝説

 

における、最も重要な「出逢い」は、やはり、ミューゼル家とキルヒアイス家との曳き合わせであったことを痛感します。

 

 ジークフリード・キルヒアイスの人生は、大変、短い「刻(とき)」でした。

 

彼が存在していたのは、ひょっとしますと、ほんの一瞬のことであったのかもしれません。

 

 確かに、広大な宇宙の中で、<ひと>の人生など、一瞬のことでしかないのは、今更いうまでもないでしょうけれども。

 

それでも、天下のNHKでDie Neue These版が放映されたこと自体、

 

少なくとも、この大河ドラマが<ひと>という存在にとって、曳いては、地球、太陽系、銀河系、宇宙全体にとって

 

大変、重要な歴史的事象であることを、日本国として認めたことを意味しますから、

 

「キルヒアイスロス」

 

という現象の存在を、私たち日本人は、堂々と誇ってよいのだ、という自信に繋がります。

 

それほどまでに、キルヒアイスの「生き様(ざま)」が多くの<ひと>の共感を得、「これから」という時に絶命してしまった喪失感の大きさが、尋常なものでは無かった、ということになります。

 

また一人、巨星堕つ

 

このような喪失感でありました。

 

 ではなぜ、「キルヒアイスロス」なる現象が生まれるのでしょうか。その原因を探ると、

 

<ひと>として、何が大切な価値観なのかを、私たち<ひと>は学ぶことができると思うのです。

 

考えてみましょう。

 

 ジークフリード・キルヒアイスの短い「生」の方向性を決定的なものとしたのは、先述したように、ミューゼル家との出会いでありました。

 

この出会いは、貴族階級と平民階級という、異種族の近所付き合いでしたから、或る種、異様な姿でしたから、

 

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

の疎外感は、相当なものがあったでしょう。簡単に申せば、ラインハルトは、学校では虐めの対象でしたでしょう。

 

しかしながら、ジークフリード・キルヒアイスにとっては、(ラインハルトは良い奴だ)という確信があったからこそ、学校でのラインハルトに対する同級生からの敵対的な態度・行動に対しては、一貫して、擁護する側に立っていました。

 

「ジーク、弟と仲良くしてやってね」

(「銀河英雄伝説1黎明編」田中芳樹、45頁)

 

続けて田中先生は、「今日までキルヒアイスは彼女の依頼を忠実にまもってきた」(同上、45頁)と記されていることからも、

 

キルヒアイスの裏表ない、とても素直な<こころ>が、描かれています。

 

「この人ならば、やれるかもしれない」

 

という、キルヒアイスのセリフは、OVA版独特の言い回しなのですが、

 

ラインハルトも大人げなく超光速通信で姉に打ち明けた、「或る問いかけ」が象徴的でしたが、

 

アンネローゼと誓った約束こそが、哀しいかな、キルヒアイスの絶命を早めて、否、速めてしまったと云えるでしょう。

 

「宇宙を 手に お入れ下さい ラインハルトさま」

 

姉を理不尽にも奪われ、社会の不合理さに憤りを覚え、復讐を誓ったラインハルトには、キルヒアイスの「力」が不可欠でした。

 

ラインハルトも、キルヒアイスも、身体的能力及び知的能力は人並み以上、否、最優秀な部類の<ひと>だったのでしょう。

 

若さ

 

という要素もあるかもしれませんが、ラインハルトの姉アンネローゼが後宮入りしたからこその「特異点」的要素も、

 

軍事的才能

 

を際立たせる原因であったと思います。

 

軍事的地位の向上が、帝国における社会的地位の向上に繋がり、国体制度そのものを左右する存在に近づく、最有力な「人生の選択」

 

というラインハルトの野心を実現するため、キルヒアイスの精進も、並大抵のものでは無かったでしょう。

 

小説版を読み返して、目に留まった一文がありました。

 

”一〇年前!ふたたびキルヒアイスの心は痛む。”

”一〇年前に自分がいまの年齢であったら、アンネローゼをけっして皇帝の手などに私はしなかった。(後略)”

(同上、131頁)

 

太陽系の星々に準(なぞら)えますと、

 

ラインハルトが太陽(恒星)の如き存在だとするならば

 

キルヒアイスは、恒星には成れなかったにせよ、木星の如き大きな存在であった、と表現することもできます。

 

 ですけれども

 

それだと、キルヒアイスファンの皆様から、激烈なるご批判を受けるかもしれません。

このことを記した、楊田ですら、違和感を覚えてしまいましたから。

 

 キルヒアイスの存在は、恐らく、生みの親である田中先生ですら、「制御困難」なキャラクターであったのではなかろうか、と推察します。

事実、同様の記述がウィキペディア記事にも残されているようですから、的外れではなさそうです。

 

 「命の火」は、燃え付きますと絶命を意味します。

 

 命の火の燃やし方が、問題だ。

 

 ラインハルト様をお守りすることができるならば、いつでも、この命を投げ出そう。

 

アンネローゼが「誘拐」されたその日から、キルヒアイスのラインハルトに対する忠誠心という「「炎」は、灯され始めていたのかもしれません。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムの大望は、暫く後、実現することになります。

 

しかしながら、叶(かな)えられた望みの先にあるものは、ラインハルトにとりましては、空虚なものでしか、無かったでしょう。

 

この物語を感じ取れる方々ならば、それこそ、何を今更、というご批判を受けそうですが、

 

ラインハルトにとっての虚無感の最大の原因が、やはり、キルヒアイスの喪失であったこと、何ら不思議なことではありません。

 

 復讐からは、何も生み出すことはできない。

 

このこともまた、「宇宙の真理」なのかもしれません。

 

 ですから

 

田中先生のキャラクター配置は、やはり、天才的です。

 

 捕虜交換式にて、キルヒアイスはユリアン・ミンツに激励の言葉を伝えています。

 

「頑張りなさいと言える立場ではありませんが、どうか、元気でいてください。」

 

幼いといっても14歳のユリアン・ミンツには、生涯、忘れえぬ言葉として、カーテローゼ・フォン・クロイツェルと結ばれた後でも、なお一層、<こころ>に刻まれているものと、確信しています。

 

 <ひと>が<ひと>として当たり前の一生を過ごすことができる社会の構築を実現することができたのは、

 

ラインハルト・フォン・ローエングラムの復讐心と

 

ユリアン・ミンツの自主独立の精神との融合

 

による成果でありましたが、それらを結びつけたのは、共に、不幸な死を遂げざるを得なかった

 

ジークフリード・キルヒアイスとヤン・ウェンリーであったと云えます。

 

OVA版では、確か、次のような会話がなされました。

 

ラインハルト「どうだった、ヤン・ウェンリーという男は」

 

~中略~

 

キルヒアイス「味方とできるならば、これほど頼もしい人物はないと思います。」

 

キルヒアイスの<こころ>が、常に、主人であるラインハルトの為に存在していたことを、象徴するシーンの一つでした。

 

謀略が渦巻く、真っただ中でも、キルヒアイスの<こころ>だけは、何故か、澄み渡っているイメージが何時までも、楊田の<こころ>にも残ります。

 

「みんなで しあわせに なろうよ」

(「機動警察パトレイバー」ゆうきまさみ より警視庁特車二課第2小隊隊長後藤警部補のコトバ」

 

「なんだかな~」

(同上)

 

閑話休題

 

 
と、まぁ
 
思いつくが儘(まま)にジークフリード・キルヒアイスのことを偲んで居りました。
 
事実関係が異なっている部分があれば平謝りするしかありませんが、
 
恐らくは
 
フレーゲル男爵やフォーク准将に比べれば圧倒的に好感度の高い<ひと>
 
それが、ジークフリード・キルヒアイス
 
だったのだと確信しています。
 
お粗末様でした。
 
最後までお読み下さり、誠にありがとう御座いました。
 
それでは、今日もステキな日曜日で有りますことを。
そして、ステキな4連休2日目で有りますことを!

関連記事

・・・・・先回の、引用箇所・・・・・

 

<帝国歴487年・宇宙歴796年10月中旬、アムリッツァ会戦を終えて>

 

~帝国軍宇宙艦隊副司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム伯に対して~

 

ヤン提督に名を成さしめたのが、それほどくやしいのですか。

 

彼には彼の不満がありましょう。なぜ、自分はことの最初からローエングラム伯と対局できないのかと。

 

ラインハルトさまはすでに前面にヤン提督、後背に門閥貴族と、ふたつの強敵をかかえておいでです。このうえ、部下のなかにまで敵をおつくりになりますな。

 

(「銀河英雄伝説1黎明編」田中芳樹(創元SF文庫341頁-342頁)

 

<帝国歴488年2月19日・宇宙歴797年2月19日、イゼルローン要塞での捕虜交換式にて>

 

~要塞司令官ヤン・ウェンリー大将に対して~

 

形式というのは必要かもしれないが、ばかばかしいことでもありますね、ヤン提督。

 

(「銀河英雄伝説2野望編」田中芳樹(創元SF文庫29頁)

 

~軍属となったヤンの被保護者ユリアン・ミンツに対して~

 

君はいくつですか。

 

そうですか。私の初陣も15のときでした。

 

頑張りなさいと言える立場ではありませんが、どうか、元気で居て下さい。

 

(OVA版銀河英雄伝説第17話「嵐の前」並びにノイエテーゼ版銀河英雄伝説第15話「嵐の前」を視聴)

 

<帝国歴488年9月9日・宇宙歴797年9月9日、帝国リップシュタット連合討伐を完遂した後のガイエスブルグ要塞にて>

 

もう私はラインハルトさまのお役にたてそうにありません・・・・・お許し下さい。

 

ラインハルトさま・・・・・

 

宇宙を手にお入れください

 

それと、アンネローゼさまにお伝えください。ジークは昔の誓いをまもったと・・・・・

 

(「銀河英雄伝説2野望編」田中芳樹(創元SF文庫321頁)

 

<帝国歴488年4月下旬・宇宙歴797年4月下旬、地球教巡礼者を地球へ運ぶ輸送船ベリョースカ号にて>

 

(マリネスク事務長)いい人ですな、キルヒアイス提督は

 

(ボリス・コーネフ)気の毒にな

 

(マリネスク)「え、なにがですか」

 

(コーネフ)いい人間は長生きしないよ、とくにこんなご時勢にはな」

 

<帝国歴488年9月上旬・宇宙歴797年9月上旬、リップシュタット連合軍との最後の戦いの前に、ラインハルトが姉アンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人から受け取った手紙の締めの言葉>

 

・・・・・あなたにとって、もっと大切なものがなんであるかを、いつも忘れないようにしてください。ときには、それがわずらわしく思えることもあるでしょうけれど、失ってから後悔するより、失われないうちにその貴重さを理解してほしいの。なんでもジークに相談して、彼の意見を聞くのよ。

 

(「同上」289頁-290頁)

 

<帝国軍中将パウル・フォン・オーベルシュタインがラインハルトに意見具申した言葉>

 

閣下、私はなにもキルヒアイス提督を粛正しろとか追放しろとか申し上げているのではありません。ロイエンタール、ミッターマイヤーらと同列におき、部下の一員として待遇なさるように、とご忠告申しあげているのです。組織にナンバー2は必要ありません。無能ならば無能なりに、有能ならば有能なりに、組織をそこねます。ナンバー1にたいする部下の忠誠心は、代替のきくものであってはなりません。

 

(「同上291頁)

 

・・・・・以上・・・・・