マキシムはふらっと一人でイタリアに行ってきました。
生ハムを食べまくり、ふしだらにもジェラートだけで一日の胃袋を満たし、ワインを一人で飲みきりローマをへべれけになりながら歩き、…
ミケランジェロの最後の審判を肉眼でみたのと、ラオコーン、ピエタの彫刻を肉眼でみてきました。
ミケランジェロの最後の審判@ヴァチカン美術館は圧巻です。天と人と地獄と宗教と生と死と希望が、25mプールの大きさの一枚壁の絵画に描かれてました。
●今日は、日本人の環境の受容のおはなし。
マキシムは期待を胸に、イタリア屈指のファッションの街ミラノも足を運びました。春・夏服が並んでいてブティックは非常にオシャレだったのですが、街を人々は闊歩するひとはそうでもないんです。ダサいわけでなく、シンプルが多い。オシャレなのはあくまでブティックの発信する世界観であり、世界観の一部に自分を構成させることがオシャレのようです。あくまでオシャレはブティックであり、自分はそれに身を映ずるそれだけのようです。
しかし日本人、とくに女の子はお気に入りの服を着た自分がオシャレのようです。イタリアのオシャレな店はその世界観がポイントですが、日本の場合その服にどれだけ『可愛い』『自分にあう』といった自発的な感情が持てるかがポイントになるようです。
その背景に日本の『四季』と『情緒』があると思いました。テレビCMを見れば一目瞭然で、季節ごとに商品がめまぐるしく変わっていきます。日本人がいかに、季節に自分が溶け込み、流行やディテールに鋭敏なのかがよくわかります。
日本人の感性は相当鋭いようですね。
ここで環境と絡めて考えてみました。
日本において環境というと、様々な方の努力のおかげで『カッコイイ』とか『オシャレ』と受容されることが多くなりました。これは感性と環境が結びついた日本人ならではの独特の事例だと思います。外国では環境活動というのは、地球の活動といった生まれる感情は、自己の中から湧き出るものではなく、社会の構成員としての自覚のなかから生まれるものではないかのように見えます。
ここで、環境活動をよくよく考えてみると、地球に貢献といった合理的な行為。
自国の工業や経済を発展させる権利を得た。
↓
それと同時に、地球の環境も劣化してしまった。
↓
自国は繁栄をしたのだから、持ちうるリソースで劣化した環境を改善しよーよ!
という単に権利を得たその結果と後処理の行為という、ひっじょーに合理的な行為なのです。何の感情もわいてきませんよね?ね?
この行為を、『カッコイイ』『オシャレ』という日本人の感性にぴったりあてはめ、それが受け入れられてきたからこそ市民レベルでも官公レベルでも企業レベルでもやっと環境活動が軌道にのってきたんでしょう。
阿部安部元首相も『美しい国』と日本の理想像を形容しました。政治家のトップでさえ情緒のを含んだスローガンを掲げるんだから、いかに日本人の感性が情緒的だってことなんでしょう。
イタリア人の環境に対しての行為を旅行中目にすることはなかったので何ともいえません。ただ数年前ドイツで受けた印象で言えば、環境に対しての活動はかっこいいことでも面倒なことでもなく、人々は生活スタイルの一部として淡々とやってた印象に思います。イタリア人がオシャレブティックの世界観に身を投ずるようことと、そのドイツの環境活動と似ていると思ったところは、活動している自分に対しての情緒はとくにないということです。
よく『環境プラスアルファの価値』が大切だと叫ばれています。
そのプラスアルファの価値に、情緒を大事にする日本人にいかに受け入れられるかが目のつけどころでしょう。
よーっし、ペロンチョ広告軍団よ☆面白い動画にしちゃおうぜ
そしてマキシムは参加しないけれども、タンブラープロジェクトのみなさんよ☆ぜひとも、うきうきしてしまうようなタンブラーが環境に貢献できるシステムづくりを期待してマス!!
は~。最近なマキシムは時差ぼけがぬけなくて、ついAM六時寝PM二時おきをやっちゃうんだ♪
らんらんるー♪