Dearあなたへ


少年が口にした紅茶に浸した一片のマドレーヌ。その香りから、鮮やかに過去の記憶が蘇る。

フランスのマルセル.プルーストの

「失われた時を求めて」のこのシーンは、あまりにも有名である。


といっても私はこの有名な部分しか知らず、長編大作を読んだ事もないのだが。

それどころかプルーストが思い出せず、紅茶、ブリオッシュ、アイルランド、忘却の彼方、文学でググってみたら

マドレーヌ、フランス文学、失われた時を求めてと出る始末。

てっきり紅茶にはブリオッシュで、アイルランドのダブリンが物語の場所だといつの間にかインプットされていた。

いつもの事だが自分の記憶力の曖昧さに、ほとほとウンザリしてしまう。


これは主人公の少年が紅茶に浸したマドレーヌの香り、嗅覚から過去の記憶が呼び覚まされる事から始まる物語である。

なるほどね。こんな事もあるんだくらいで、すっかり忘れていた。

いつもの事ながら、忘却の彼方にである。


なぜこんな事を思い出したかというと、先日高校時代の友達と会ってお茶をした事がきっかけだ。


その時に彼女の子供の話しから、高校時代の同級生の話題になった。

彼女の子供が小学生だった時の担任が、高校時代の同級生だったというのだ。


ええっ誰、誰?

あの子よ、と彼女の口から懐かしい名前が出てきた。

あ〜あの子!天然パーマっぽい感じで、ニコニコした明るい感じの子だったよね。

そうそう。

なんでわかったの?

声でね。

授業参観に行って教室入ってあの声聞いたら、パッと思い出したのよ!

最初担任として名前を聞いた時は、全く気づかなかったの。とりわけ珍しい名前じゃないでしょ。

でもね、あの声聞いた瞬間にね。

彼女だ!って確信したの。


声で〜。。。

明るい笑顔や髪の感じは思い出すけど、声ねえ。。。

そんな特徴ある声だっけ。。。

でも彼女はキッパリと、のたまうのだ。

そう思い出したのよ!あの声で


家に帰りそんな会話を思い出していたら

うん?

一瞬映像が頭をよぎり

何このモヤモヤは。。。?

しばらくしてそうだ!と。

そのモヤモヤが、クッキリとした映像になって浮かんできた。

テーブル越しに座っているあの子が現れた。


東京で新規マンションの販売を、モデルルームでしていた時の事だ。

世田谷の住宅地でセキュリティー万全の、かなり豪華でオシャレなマンションを販売していた時期がある。

ある日モデルルームを見せて欲しいと、同世代位の女性が見学にやって来た。

今日はちょっと寄っただけなのでと、買い物ついでに来たらしい。

案内するとかなり気にいったようで、時間がある時にまた来ますと言って帰って行った。

後日彼女は再来し詳しい話しを伺いながら、予算、要望等を確認しながら話しを進めていった。

希望の部屋は眺めのいい、ペントハウスのメゾネットタイプの部屋だった。

すぐそばのマンションに住んでいるから、環境もわかっているし眺望も広さも希望通りでバッチリと。

高額な価格も予算内で問題無しと。

あとは忙しいご主人さえ見学し了承されたらとの話しになり、ご主人の来店を待つばかりとなった。

ところでご多忙のご主人様のご職業はと伺うと、休日も返上で働く弁護士だという。

その後なかなか休みが取れないらしく、話しは停滞していた。

この年収じゃあ忙しい訳だわ、と思いながらアンケートを眺める日が続いた。

ある日彼女から、明日やっと主人の休みが取れたので連れて行きますと連絡が入った。


明るくチャーミングな奥様にお似合いの、爽やかな感じのご主人が、照れ臭そうに一緒に現れた。

名刺を頂きちょっと緊張気味に挨拶を交わし、ご夫婦を席に案内する。

ああそうご主人は某野球チームの有名選手と同じ名前だったわ。

漢字が一文字違うだけで、と思いながら会話を始めた。

パンフレットを見ながら俯き加減だったご主人がようやく顔を上げ、目と目が合った。

うん?

あれっこの目、見た事ある。

なんで、どこで?いつ?

もう一度さりげなく顔を見て、目元をしっかり確かめた。

というよりその目に釘付けになってしまった。

知ってる。この目この人。でも誰だっけ?

名刺を見て合致した。

あの彼だ!と

名前すら忘れていたのに、目を見た瞬間思い出したのだ。

春先に赤門のそばの公園で、ストラップのシャツを着て芝生に立っていた彼の姿が突如現れた。


おずおず尋ねると、まさにその彼その人だった。


大学時代に入っていたサークルにいた、一つ下の後輩の彼だった。

それは血液型について各自が話しをすると言った、気が抜けたような自由気ままなサークルだった。

時々彼は現れ、おしゃべりが終わる頃にはいつの間にか消えていた。


喫茶店での茶話会にも司法試験の勉強があると言って間もなく来なくなり、ベビーフェイスが可愛い彼が来ないと知って残念に思った記憶がある。


その彼が3年生で司法試験に合格したと、風の噂で聞いてもの凄く驚いた。3年生で受かるものなんだ。。。

あの年の割には静かな佇まいが、もしや知性って事なのかしら。。。

そうだ、確か彼は神童だったはず。

東北の小さな島の出身で、島では神童と呼ばれていたという話しをふっと思い出した。


その後クレイバーなベビーフェイス君とは、もう会う事はなかった。


あれから20年近い時が流れ、その神童君が立派な弁護士となって、ニコニコしながら目の前に座っているではないか。

当時はちょっと物憂げな感じが漂っていた、目尻の涼しいクリッとした目。

そう。

このちょっと明るめの、茶目がかった瞳。


目の前にいる彼は穏やかで優しい眼差しの雰囲気にはなったけど、クリッとしたあの瞳は変わってない。

あの眼が瞳が、過ぎ去りし時を一瞬で思いださせたのかと。


それからはそれぞれの思い出の欠片を集めながらの、昔話しにひとしきり花が咲き。


あ〜あるんだ。こんな事って。

そう思った事を思い出した。


亡くなる間際に走馬灯の様に昔の事が浮かんでくるとはよく聞くが、元気に生きている間にも走馬灯が突然ひょっこりと現れる事もあるのだと。


コロナ禍で新しい出会いどころか、近しい友達とさえなかなか会えない状況続きである。


だからこそ思いもかけない人との再会、これはなかなか奇跡的にワンダフル!な事である。

またいつか、どこかで出会ったあなたに逢いたいと。


失われた時の彼方から

また現れて来てね

きっと逢いたいあなたへ