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平穏な毎日が・・
しかし、何もかにもがうまくいくわけではなかったのです。
娘ちゃんは毎日が楽しそうでした。でもね、私と弟くんはこの地域に不調和感を感じていました。
そう、じつは私も合わなかったんですよ、この地域が。
引っ越して1~2か月、新たな地での農的な暮らしは楽しかったのですが、
地域の人と感覚が合わなくてイライラすることが多くなっていっていた私。その違和感はMaxに達していき、
「この地域は嫌だ!」「住む集落を変えたい!」を度々家族に主張するようになっていました。
そこでいつも泣いていたのは娘ちゃん。
「学校楽しいから、引っ越したくない。」って。
そこで、何度も何度も家族会議を繰り返していきました。
背負ってきているものがある!?
そして、旦那さんが言った言葉。
「娘ちゃんは、何かを背負って生まれてきているんだと思う。」と。
赤ちゃん期も、離乳食が始まる前から、周りの大人たちがご飯を食べていると「自分の分がない!」と怒り出し泣き出すから、
仕方なく、この子が寝ている隙にこっそりご飯を食べるような日々だったんですよね。今では笑い話だけど。
そして幼少期の写真は殆どが食べている写真。笑
家に対する執着もすごかったと、今振り返ると思います。
引っ越してくるときに「何が一番寂しいの?」の順位付けをしたのですが、
その時に1番に上がったのは「この家(ローンを組んで建てた家)に住めなくなること」だったのです。
そして2番目が「友達と離れること」でした。
引っ越し先に決めた家も、娘が「ここがいい!」の主張を譲らなかったから、
他の案も出ながらもやっぱり最終的に今の借りている家に立ち戻ったという経緯もあります。
そして旦那さんはこう言ったのです。
「たぶん、前世とかで、食べるものも与えてもらえない、家もないような状況での暮らしを経験していたりするんじゃないかな。
平穏な毎日をいきなり壊されるような経験もしているんじゃないかな。」と。
なるほどーーーー
旦那さんのこの理解を通して、私、娘ちゃんの抱えているものがちょっとわかった氣がしたのです。
そしたらね、今までの娘ちゃんの言動の全てが納得できて、
そしたら、私の中にあった何かの引っかかりも手放せた感覚がしました。
そして、今目の前に現れていることも、きっと、娘ちゃんが自分自身でつくり出した課題なんだろうな。と思うことができ、
「がんばって乗り越えて。」って心から思えるようになったのです。
自分の中に「気づき」が起こると、自分の視えている世界は変わっていく。といいますが、
ほんとにそうですね。
執着を手放すことで手に入れられるもの
子どもが不安定な時はね、頭か足裏かを触ってあげるといいんだよ。
それも、どれくらいとかはないんだよ。自分がいいと思うまででいいの。
いいかな、って思えたら手を外せばいいんだよ。やってみてね☺
まだ子どもたちが小さかった時に、Yちゃんがそう教えてくれたのです。
それから私は、子どもが泣いているときや不安定なときは頭を触ってあげるようになっていました。
家族会議の度に「いやだー、今のままがいいー、」と泣いていた娘ちゃん。
そんな娘ちゃんが寝た後も、いつも娘ちゃんのベッドに行き、頭を触ってあげていました。
特に不安が強そうだなぁ、という時は、触っている手が ビリビリビリビリビリビリ としました。
これがこの子が抱えている不安なんだろうな。と感じ、ビリビリ感がなくなるまでずっと触っていました。
そしてある日、「もう一年いたい。3年生になる年に引っ越すならいい。」と言った娘ちゃん。
3年生って受験なのに大丈夫?とそこまでは考えていなかったみたいなのですが、
そう考えて言えた娘ちゃんの心の変化に、私の心も変化していきました。
「4人で一緒に暮らしていく」にこだわらなくても、「娘ちゃんと弟くんそれぞれが、それぞれに楽しいと思える学校生活を送れる地域で暮らしていく」もアリじゃなかな。と。
結果、旦那さんは集落を変えてもいいが職場はしばらくは変えられない。(というか、変えたくない。)という意向だったので、
このまま旦那さんと娘ちゃんで残る。私と弟くんで、弟くんが合いそうな学校のある地域に引っ越す。で話がまとまっていったのでした。
この大きな家、せっかくだから私が民泊でもやろうと計画してもいたのだけれど、それもムリになるし、生活費も抑えたいし、
同じ集落の中でもう少し家賃の安いところに引っ越そうか。ともなりました。
それにも、「それでいい。」「それでこの地域に残れるなら、この楽しい学校生活を続けられるのなら、引っ越してもいい。」と言った娘ちゃん。
気づけば、家に対する執着も外せていたんだね。
もう大丈夫。
晴れたね!そんな氣がしたのでした。