寒ぅ〜い❄
いよいよ一番寒い時期
真っ只中という感じ
家庭菜園をしている畑で
一番仲良くさせてもらっている
元看護師の藤村さん(仮名)😊🙌
私より少し年上なのだけど
家庭菜園の方向性(自然農)
がすごく似ていて
また話も合うので
ついつい、いつも
作業そっちのけで
何時間も話し込んでしまうのです😂が…
先日、年明けに
やっと初めてその藤村さんと
畑でお会いして
『私は今年、やっと
ナニカから抜けたように
やる気満々なんだ〜✨」
って話をして
自分でもびっくりするくらい
本当に抜けた!!って
感覚があって
なんだろう?って
話をしていたの
藤村さんには
シングルマザーであるとか
既婚者に騙された😂とかの話も
ちょこっと話してて
私の
去年の落ち込みようも知っていて
今年、本当に吹っ切れたかのように
突然、身軽になったかのような…
この感覚に不思議で…
既婚者の彼からの傷じゃなくて
なんか、、もっと過去からの傷、
から開放された気がしていて
そういえば、
10年なんだよ
離婚してから
やっと抜けた気がしてる
って言ったら
藤村さんが
事故とか大きな損傷は
本当に回復するまで
10年かかるからね
と、看護師目線で教えてくれた
へ〜!そうなんだ?!
なるほど、と
合点がいった!![]()
本当に、突然
抜けた
って自分から感覚が湧いてきて
そうかぁ〜
10年だからか!
って
まさか、
そんなにかかるなんて
知らなくて、
離婚当時は
何とかなるだろう
って気持ちだったから。
でも、当時の自分の人生設定が
ハードモード選択していたのか
その後の人生は
自分で自分に課すものや
罪悪感、自信のなさが
一気に現実に押し寄せてきて
それまでの
お花畑モード🌸から一変して
しゃかりきモード全開でした。
いつも、鎧を着てる。
人は敵に見え…
恐れに苛まれ
一人で殻に閉じこもってた![]()
でも、
実は
本当は
誰に傷つけられた訳でもなかった。
離婚は自分で決めた。
結婚生活は…
継続しようと思ったら
できた…のかもしれないけど。
自分で決めたはずなのに
自分で自分を罰して
わざわざ自分で
ハードモードに
設定を変えた…![]()
根本は、罪悪感だったんだぁ…。
でも、今思うと
確かに、
現実的には
大変なフェーズに突入したのかも
知れなかったけど
実際には
ソンナコトナイヨ
あなたは守られているよ
っていうサインや状況ばかりだった。
実家に住んでいたし、
両親のサポートもあった
私の経済的には
海外から日本に帰ってきたばかりで
日本で正社員をしていわけでもなく
育休が取れる状況ではなかったから
出だしは
自営業で開業したけど
数年はマイナス。
でも、国にちゃんと
サポート体制があって
非課税世帯として
本当に助けてもらった。
そして、コロナで
疲れていた心が
コロナの風潮に乗って
人との距離感を取れたことにも助けられた。
当時は保育園の疲れるイベントから
随分開放された気がする😂
コロナのおかげで、
給付金も色々あって
当時は本当に助けられたなぁ…
そして、人との関わりを
ずっと避けてきたり
拒絶してきたけれど
幼なじみの友達は
温かく相談に乗ってくれたし
ママ友も
私が避けているのに
子どもたちの集まりに
強気で誘ってくれたり…
こちらが
断固拒否していただけで
救いの手のは
当時、本当にたくさんあった。
ただ、私が
その救いの手に実感がなく
有り難みもなく
自分の思考やネガティブな思い込みに
溺れていただけ
振り返れば
ちゃんと守られていたし
与えられていた
けど、気づけなかったんだよなぁ…
自分でいっぱい一杯すぎて。
ひとり親の認識が重すぎて。
だけど、
誰も重さを課しては来てなかった
自分で背負ってただけ…
いや、これ
茶番じゃねえか、、、
って書きながら
唖然としてるんですけど…💦
私にとって離婚って
本当は
幸せになるためにしたもの。
確かに、離婚してよかった。
あのまま、元夫と一緒にいても
確実に幸せではなかった。
それだけば確実。
私の中では、
この人っていう一致がなく、
その違和感がいつまでも消えなかった。
幸せって…一般的に見たら
経済的には幸せだったのかもしれない。
そのおかげで私は自由だったし
時間もたっぷりあった
根本は優しい人だったし
側から見た形だけなら
幸せだったのかも…
元夫は
外国人でしたが
めちゃくちゃ裕福でした。
だから、投資だけで
生活は成り立っていたし
なんせ、働いてなかったからね😂
でも、贅沢かもしれないけど
不一致にどうしても違和感がすごくて
離婚を決めたので
その後の罪悪感が重かった。
特に子供に対しての。
大変なことをしてしまった…という
申し訳無さ。
本当は、
未来に希望しかなかったはずなのに
いつの間にか
罪悪感に苛まれ
恐れに意識が向いてしまったのでしょうね。
でも、そんな全ての事を
受け入れられるようになったのが
10年経った今、なのだと思う。
自分で起こした
ショックを
受け入れたり
馴染んだり
許したりするのに10年かかった
なんだ、
私は本当の幸せを
追求したかったんだった
と、
自分で好んで見ていた悪夢から
ハタと我に返った感じ。

ミセスも10周年でしたね🥰
私が、唯一初めて好きになった
日本のアーティストです
ずっと洋楽を聞いてきたし、
邦楽はどうも好きになれなかった私。
でも、こんな私の趣味を
一変させた大森元貴さん😂
この人は只者じゃないって…
さて、そんな
大森元貴さんが言っていた
「やっと、
演奏を任せられるようになった
やっと、
音楽を一緒に楽しめるようになった」
これは、
メンバーに対しての
気持ちの変化だそうで
フェーズ1から
フェーズ2
大森さんが、
ミセスの頭脳であり
発起人だけど
大森さんは、
実は曲を作るのは一人で完結できてしまう。
書けるし、作れるし、歌えるし。
一人でもアーティスト
活動はできる
そして、
世界に通用する技術を一人で
兼ね備えてしまっている
だけど、敢えて
【バンド】という形を取っている。
それは、
人と、仲間と
音を鳴らすのが楽しいから。
インタビューでも言っていたけど
バンドはある意味
面倒臭いもの
実質、
大森さんの熱量と合わせるのは
並大抵のことじゃないと思う。
夜中に音源が送られてきて
朝までに練習をして
その日には完璧に仕上げて
皆で合わせる所までこなしてくる、
のが当たり前。
という世界らしい。
しかも、大森さんの作る楽曲は
素人目に見ても超絶難しい…
それが、メンバーは
なかなかできないだろうし
大森さんが、お母さん、
みたいな役割をずっと
背負ってきたんだと思う。
「こんなことまで
言わないといけないの??」
って、ずっと思ってたんだって😂
それだけ幼い頃から軸が立っていて
精神的に大人だったんでしょうね。
メンバーは年上が多くても
大森さんがプロ意識が高すぎて
それでも、
できるメンバーだったと
もちろん思うし、
本当に彼らは戦士だと思う。
大森さんの
【人を信じる素晴らしさ・愛を歌う】
この理念を世界に広げる使命を
運命共同体として選んだのだから。
元メンバーの方は
社労士という難関の資格を
取ってしまうくらいだもん。
努力できる人だよね✨
それだから、
それでも、きっと
疲弊していまうメンバーもいただろうし
できる技術を持ってても、
楽器が嫌いになるだろうし。
でも、それでも
細部までこだわって
究極的に作り込んだものを届けたいのが
プロだろうし、
ということを、
なんとなく思ってしまう。
そして、過去数年でやっと
本当に売れる前までは
経済的に苦しい時期も続いただろうに
本当に修行だったんじゃないかな…
だから、その現実と理想のギャップと
すれ違いとかひっくるめて
10周年経って
やっと、
演奏を任せられるようになって
自分の表現が
気持ちよくできるようになった
っていうインタビューを読んだときに
これが10年経って
一区切りするということなんだぁ…と
勝手に自分に重ねちゃいました
看護師の
藤村さんが言っていた
事故からの本当の回復は10年かかる
というのも、本当に納得。
事故にあってから
歩けるようになるのは
数ヶ月から1,2年…なのかも知れない
一見、普通の生活に
馴染めるように
数年でなるかもしれない。
でも、精神やマインドが
本当の意味で回復して
(馴染んだり、乗り越えたり)
それ以上に飛躍できるようになるまでには
10年かかるのかも知れない。
もちろん、
事故の大きさにもよるだろう。
因みに、事故とは
言葉通りの事故もそうだけど
文字通りの事柄だけではなく
「それほど人生にとって大きなイベント」
を指す。
だから、
ペットが
天国に行ってしまうこともそうだし
誰か、
本当に大切な人との今生の別れも、
離婚もそう。
もしかしたら、
結婚、も
そうなのかも知れない😊
何かを乗り越えたり
一つ形になったりするのに
10年位がかかるということ🍀
そうか、そう思ったら
私の事故(離婚)は
本当に色んなことを教えてくれた。
人との関係を断ち切ること、からの
繋がりをもう一度、
広げていこうと思えている今年。
自分の力の無さを感じてきたこと、からの
もっと稼ごう、と
改めて気合いの入ってる今年。
幸せであることをもっと
噛み締めよう
と、やっと思えている今。
長かったなぁ〜〜〜🤣
ほんと。
でも、
嬉しい💕
辛いと思える現実であっても
実は人それぞれ
色んな形で支えられている。
あの頃の私に伝えたいなぁ〜。

lulu.いい曲だなぁ〜って
幸せをまたミセスから貰う毎日です✨
誰もがこの星の子孫
っていう言葉が好きだなぁ🥰

