ケースバイケース。 Y.O.U.
例えばディスカッションの場において、あれ、この人、前と言ってること違くね?
と思うことって、ままあると思います。
最近は、それが「ブレる」とかいう表現をされ忌み嫌われているようですね。
でもさ、ちょっとよく考えてみよう。
その人の考え方が変わるのって、つまり相手の話をよく聞いているということだよね?
その場で納得出来なくても、後々考えて、「そっちの考え方も悪くない」って思えたら、意見は変わります。
頑なにいつまでも同じ意見を貫くのも、それはそれで大事なことです。
その人の「芯」となる部分だからね。
でも、その「芯」を取り巻く装飾的思考に関しては、柔軟であっても良いと思うわけです。
なんてね、僕は比較的柔軟ではない方なので、自省を過分に含みますがね。(笑)
もう一つのパターン。
表題の話です。
条件が異なれば、意見が180度違ってくるということも、あるわけです。
凄く身近な例を挙げると、夕飯は自炊するべきだ! という意見を持っている人がいるとします。
でも、日によって、帰りが遅くなったりすることはあって、そんな日には「今日は外食にしようかな」なんて気持ちになったりしますよね?
そんな時に、
「夕飯は自炊するって言ってたじゃん」
て言われても、いやお前それはケースバイケースだろ、とか思いません?
基本的にはそうでも、置かれている状況、利益不利益、色々なものを天秤にかけて取捨選択して、結論というのは導き出されるものです。
条件が違ったら、違う結論に達するのは当然でしょう。
何を優先すべきなのか。
バックグラウンドを加味した思考を展開しないと、臨機応変な対応は出来ませんよね。
目先のことだけに集中しちゃうと、だから、間違ったりするわけです。
先々まで検討して、戦略を練って、行動する。
大事だと思うんですけどねぇ。
尤も、間違うことも大切だし、やる前から尻込みしてどうするんだ、という意見も理解出来るし、それはそうなんですけどね。
本来の僕はたぶん、そういう、「ジャンプ」的無鉄砲さ(笑)を発揮する人がその無鉄砲を貫けるように、あれこれ画策して根回しして狙い打つ、という補佐的役割が、一番性に合ってるんだろうな、と最近思いました。
思考の秋、ですかねぇ。(笑)
と思うことって、ままあると思います。
最近は、それが「ブレる」とかいう表現をされ忌み嫌われているようですね。
でもさ、ちょっとよく考えてみよう。
その人の考え方が変わるのって、つまり相手の話をよく聞いているということだよね?
その場で納得出来なくても、後々考えて、「そっちの考え方も悪くない」って思えたら、意見は変わります。
頑なにいつまでも同じ意見を貫くのも、それはそれで大事なことです。
その人の「芯」となる部分だからね。
でも、その「芯」を取り巻く装飾的思考に関しては、柔軟であっても良いと思うわけです。
なんてね、僕は比較的柔軟ではない方なので、自省を過分に含みますがね。(笑)
もう一つのパターン。
表題の話です。
条件が異なれば、意見が180度違ってくるということも、あるわけです。
凄く身近な例を挙げると、夕飯は自炊するべきだ! という意見を持っている人がいるとします。
でも、日によって、帰りが遅くなったりすることはあって、そんな日には「今日は外食にしようかな」なんて気持ちになったりしますよね?
そんな時に、
「夕飯は自炊するって言ってたじゃん」
て言われても、いやお前それはケースバイケースだろ、とか思いません?
基本的にはそうでも、置かれている状況、利益不利益、色々なものを天秤にかけて取捨選択して、結論というのは導き出されるものです。
条件が違ったら、違う結論に達するのは当然でしょう。
何を優先すべきなのか。
バックグラウンドを加味した思考を展開しないと、臨機応変な対応は出来ませんよね。
目先のことだけに集中しちゃうと、だから、間違ったりするわけです。
先々まで検討して、戦略を練って、行動する。
大事だと思うんですけどねぇ。
尤も、間違うことも大切だし、やる前から尻込みしてどうするんだ、という意見も理解出来るし、それはそうなんですけどね。
本来の僕はたぶん、そういう、「ジャンプ」的無鉄砲さ(笑)を発揮する人がその無鉄砲を貫けるように、あれこれ画策して根回しして狙い打つ、という補佐的役割が、一番性に合ってるんだろうな、と最近思いました。
思考の秋、ですかねぇ。(笑)