●警神 コレラから村を救った増田巡査
YOUTUBE動画 ---お巡りさん、いつもありがとう!警神に捧ぐ----
佐賀県唐津市 肥前町には
日本で唯一の殉職された警察官を祀った神社があります。
動画の1分50秒あたりを見てください!!!
増田神社です。
増田夏祭りでは 警察のパレードも出てるようです
http://daizukan9.blog63.fc2.com/blog-entry-870.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
いい文章なので無断でコピペします
--------------------------------------------------------------------------
先月末、NHK教育テレビで面白い番組を見ました。「NHK知るを楽しむ この人この世界」というシリーズの、「神になった日本人 第8回 祀り手が神を生かす」という番組です。この「神になった日本人」は全8回の番組で、私がたまたま見た回は第8回目で最終回だったのですが、とても興味深い番組でした。
「神になった日本人」はそのタイトル通り、死後神へと祀り上げられた人物とその人物に対しての信仰を取り上げた番組で、第1回目は藤原鎌足、第2回目は崇徳上皇、第3回目は後醍醐天皇、第4回目は佐倉惣五郎、第5回目は豊臣秀吉、第6回目は徳川家康、第7回目は西郷隆盛がそれぞれ取り上げられたそうですが、私が見た第8回目は、今までの第1~7回がいずれも歴史上の有名人(天皇、英雄とされる武将、その時代の主導的な政治家、義民など)を取り上げていたのに対し、歴史の教科書にはまず登場しない増田敬太郎という(佐賀県では郷土の偉人かもしれませんが少なくとも)全国的にはほとんど無名と言ってもいい一庶民を取り上げていました。私自身、増田敬太郎という人物(上の写真参照)はこの番組を見るまでは全く知らなかったのですが、この番組を見て、増田敬太郎という人物の生き様と、彼に対しての信仰が広がっていく過程を知り、「このような人物がいたとは!」と感動させられました。
増田敬太郎は警察官であった事から、警察官の神「警神」として、佐賀県唐津市に鎮座する増田神社で篤くお祀りされているのですが、しかし増田敬太郎がその地(当時は佐賀県入野村高串)で警察官として活動したのはたったの3日間でした。小さな集落でたった3日間しか活動しなかった、新米の佐賀県警の一巡査が、なぜ死後神としてお祀りされ、増田神社の主祭神として今なお地域の人々から信仰されているのでしょうか。今日は、増田敬太郎という人物を取り上げてみたいと思います。
増田は、明治2年、熊本県の泗水村(現・菊池市泗水町)の豪農の長男として生まれました。明治21年には上京し、約2年間、法律・鉱山学・英語・速記術などを学び、帰郷後は用水路の開削工事の技術者として働きましたが、明治23年、一念発起して北海道開拓のため近隣の人々と一緒に北海道へと渡りました。しかし予想を超える悪条件のため開拓事業は挫折し、半年後には帰郷し、その後は役場での書記を経て、養蚕業を始めたり、貿易にも興味を持つなどしたようですが、商売は上手ではなかったようで、いずれもあまり長続きはしなかったようです。また、増田はこの時期に、自らの借金を清算して貰う事を条件に家督を弟に譲っています。
こういった紆余曲折を経て、動機は不明ですが、増田敬太郎は明治28年7月初め、警察官を志して佐賀県巡査教習所に入所し、そこで僅か十日間程の教習を受けた後、7月17日に「佐賀県巡査」を拝命しました。そして増田巡査は、巡査拝命後すぐに佐賀県入野村高串という小さな漁村へと派遣されたのですが、当時の高串は、唐津からの陸路は馬がようやく通れる程の狭い坂道しかない“陸の孤島”で、しかも最悪な事に、その当時高串ではコレラが爆発的に流行っていました。当時高串に赴任していた駐在巡査は病気がちであったため、猛威を奮うコレラに怯える住民達を助ける事ができず、県警本部に応援を求め、その応援に応える形で、警察官になったばかりの増田巡査が高串に派遣されたのです。
しかし、高串に着いた増田巡査はそのような厳しい現実に悲嘆する事なく、実に精力的に働きました。高串の集落内を走り回って、習い覚えたばかりのコレラ対処法や警察官としての権限をフルに活用しながら、患者の家の消毒を行なったり、感染を防ぐため患者の家に縄を張って交通路を遮断したり、村人達にコレラの広がりを防ぐための指導をしたり、コレラで亡くなった患者の遺体を一人で埋葬したり、その他必要な施策を不眠不休で次々と行いました。北海道開拓や養蚕業など、全力で取り組んでは挫折を繰り返してきたそれまでの経緯からも分かるように、増田巡査は元来真面目でお人好しな青年であり、高串ではその優しい心根や正義感から全力を以ってコレラ対策に取り組んでいたと思われます。
しかし、7月21日に高串に入った増田巡査は、コレラの患者や患者の遺体に度々触れていた事もあり、また極度の疲労から体力が著しく低下していた事もあり、高串に入った翌々日の23日にはコレラを発病し、その翌日、24日の午後3時にはあっけなく亡くなってしまいました。つまり、増田巡査が高串で警察官として活動したのは、実質たった3日間だけだったのです。増田巡査の遺体は、亡くなった翌日に村人達により高串沖の小松島で火葬されました。
ところが、たった3日間しか活動しなかった増田巡査に対して、村人達は深い感銘と感謝の念を抱きました。増田巡査が自分達のために命を賭して献身的な活動をしたという事に対しては勿論ですが、それ以上に村人達の心を大きく動かし、増田巡査を神社でお祀りしなければならないと人々に決定的に思わせたのは、増田巡査が最期に言った遺言でした。増田巡査は死の直前、こう言い遺したのです。「高串のコレラは、私があの世に背負っていきます。また将来はこの村に伝染病が流行らないよう守護します」と。そして増田巡査の死後、その遺言に呼応するように、あれ程流行っていた高串のコレラは急速に終息したのです。
増田巡査の遺言通りコレラが終息した事に神秘の念を抱いた高串の人々は、増田巡査に感謝すると共に、増田巡査を慰霊しなければならないと考え、早速、増田巡査の死後の翌月には、遺族から分けて貰った増田巡査の遺骨の一部を、集落中央の見晴らしの良い場所に鎮座する秋葉神社の境内の一角に埋葬し、そこに灯籠型の墓碑を建立しました。これが、現在の増田神社の起源です。そして、翌29年には、その墓碑を覆うように瓦葺の社殿が造られました。当時の増田神社は、まだ「秋葉神社境内にある一小祠」という扱いでしたが、この頃から既に、増田神社は多くの近隣の住民から篤い崇敬を受けていたようです。
そして明治38年には、日露戦争の戦勝記念に二基の鳥居が秋葉神社に奉納されたのですが、本来であれば二基の鳥居に掲げられる扁額はいずれも「秋葉神社」でなければおかしいにも拘らず、この時第一鳥居には「増田神社」、第二鳥居には「秋葉神社」の扁額がそれぞれ掲げられました。これは、秋葉神社境内の一小祠に過ぎない増田神社の方が、この頃には既に主祭神をお祀りする秋葉神社本殿よりも人々の崇敬を集め、勢いが勝っていた事を意味しています。
更に、増田巡査への信仰を拡大させる役割を果たす人々が現れました。「佐賀県警察」です。それまで、増田巡査の事績が県警幹部の関心を引く事はほとんどなく、県警の幹部にはせいぜい、殉職した若い巡査の法要に類する事が地元で毎年行われているらしい、という程度の認識しかなかったのですが、大正12~13年頃、唐津署に勤務していた横尾左六警部補がたまたま増田神社の祭礼に参列した際に、たった3日間の勤務をしただけで亡くなってしまった巡査のために思いのほか大きな神社が建てられ、しかもその祭礼に大勢の人々が集まる事に驚き、その後、横尾警部補からこの話しを聞いた県警の警察部長らが増田神社に興味を抱いて自らも参詣して、やはり大いに感激したのです。
高串の住民達は「自分達の身代わりになり、その後は村の守護神になってくれた」という思いから増田巡査を御祭神としてお祀りするようになったのですが、佐賀県警では「警察官として命を賭して職務に従った」という点に価値を見出し、増田巡査の顕彰と、増田巡査の精神を県下の警察官の精神鼓舞に役立てるため、「嗚呼警神増田巡査」(あゝけいしんますだじゅんさ)と題したパンフレットを作成し、それを県下の全警察官に配ったのです。
「神になった警察官」を意味する「警神」という造語はこのパンフレットで初めて使われたようで、この言葉は、当時軍でよく使われていた「軍神」を意識したものであったとも云われています。その後、佐賀県警を中心に様々な形で増田巡査の顕彰運動が展開され、佐賀県内では、プロの劇団が演じる「増田巡査劇」が各地で演じられるようになり、また、新聞・雑誌・浪曲・紙芝居等のメディアでも増田巡査の事績が宣伝されました。その伝統は戦後も続き、現在でも佐賀県内では増田巡査劇が演じられているそうです。
そして、皇紀2600年に当たる昭和15年、秋葉神社に第三の鳥居が奉納されたのですが、この鳥居の扁額には「秋葉神社」ではなく「巡査大明神」と書かれました。更にその2年後の昭和17年には社殿が改築されたのですが、それを機に、秋葉神社は増田神社へと合祀され、ここに至って、秋葉神社が「主」で増田神社が「従」という従来の関係は完全に逆転し、本社であった秋葉神社を事実上“吸収合併”する形で名実共に独立した増田神社が誕生したのです。
神様になった増田巡査の「物語」は、その「物語」の記憶の場であり信仰の場である増田神社が存続している限り、住民達からはいつまでも忘れ去られる事なく、次代へと語り継がれていく事でしょう。なお、増田巡査が火葬された小松島には「警神火葬の碑」が建てられており、この碑も、航海や漁の安全を護る神様として崇められているそうです。
(田頭)
カバーYou've Got a Friend カバー平井堅 ダニー
ソウルの神様 ダニー・ハザウェイのカバー
原曲は キャロル・キング
平井堅 と クリスタル・ケイのデュオ
ダニーとロバータフラッグのデュオの真似なんでしょうねえ
平井堅はダニーが大好きなんでしょうね
ジャズボーカルの神様 エラフィッツジェラルドとベイシーバンドの共演
1972年 パブロレーベルの第一弾の録音
『 jazz santamonica civic 72 』 というアルバムに収録
国土防衛の士魂部隊
終戦の3日後 8月17日のことです。
北方4島よりさらに北のアリューシャン列島に『占守島』があります。
島に北側はアラスカでアメリカに近い島なので
日本軍守備隊8000人がいました。
そこにソ連軍が上陸してきました。
北海道の北半分を占領するために、大量のソ連兵が攻め込んできた。
-----------------------------------------------------------------
占守島には2500人が働く大きな缶詰工場があり、
まず そこで働く女性400人を
北海道に脱出させるために
高射砲でソ連軍爆撃機を攻撃し、400人の女性を20隻の小舟にのせ
救助成功!!!
根室から1200キロも北の厳寒の島です。
そこに渡り食料を作ってた女性従業員も 日本軍将兵と同じくらい
立派だと思う。
-----------------------------------------------------------
占守島の北部の海岸に
大量のソ連軍が上陸開始。
池田末男大尉率いる戦車隊 通称『士魂部隊』が防衛戦開始。
池田末男連隊長は 、
陸軍戦車学校の校長してて「戦車隊の神」と呼ばれてました。
満州では司馬遼太郎の上官だったとのこと
----------------------------------------------
以下は 【日本で語られない真実】ブログからコピペです。
--------------------------------------------------------------
池田戦車連隊の主力は天神山の麓に集結。
池田連隊長は兵士に問いかけました。
「
諸子はいま、赤穂浪士の如く恥を忍んで将来に仇を報ぜんとするか、
あるいは白虎隊のように玉砕もって
日本民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか。
赤穂浪士たらんものは一歩前に出よ、白虎隊たらんものは手を挙げよ」
その言葉が終わる間もなく嘆声とともに全員の手が挙がりました。
池田連隊長は師団、旅団の両司令部に打電します。
「連隊はこれより敵中に突撃せんとす。祖国の弥栄と平和を祈る」
池田連隊長は上半身裸で先頭に立ち、日の丸の手ぬぐいで鉢巻をし
「
上陸軍を一人残らず海にたたき落とすまで奮闘せよ」
日章旗を振って突撃の合図をします。
ついに敵部隊の中心部に突っ込んで行きます。
この時の光景はまさに戦車隊の神様と言わしめたといいます。
運用教範の実演の如く見事な隊形だったと言います。
コピペ終了
---------------------------------------------------------------------
13000人のソ連軍相手に
特攻に等しい決死の攻撃中も
戦車隊の先頭で指揮する池田連隊長。
最後の攻撃前に
「連隊はこれより敵中に突撃せんとす。
祖国の弥栄と平和を祈る」
と本部に打電し
戦車からハダカの上体を晒したまま、
身を乗り出して日章旗を打ち振り、
-------------------------------------------------------------
以下はーーーーーーからのコピペ
http://ameblo.jp/zero-one-neo/entry-11333188582.html
攻撃前進を命じました。そんな隊長の姿は、いやでも敵の目につきます。
やがて銃弾が、隊長車に集中する。
搭乗していた指揮班長の丹生少佐が、まず先に撃たれたそうです。
そのとき、池田隊長は丹生少佐の遺体を落としてはならぬと、にわかに縄を出して丹生少佐の死体を自分の戦車の砲塔に自分で縛りつけたそうです。
----------------------------------------------------------------------
占守島防衛戦の本 数冊買ったけど
大掃除中で家の中がぐちゃぐちゃなんで どこにあるかわかんない、、。
他のブログの転載でとりあえず書いてみた。
---------------------------------------------------------------------
池田戦車隊 別名 士魂部隊の活躍で
日本が分割統治されずにすんだんです。
この戦闘で勝利しなかったら
北海道は 北方領土や北朝鮮のようにソ連のものになってた。
-------------------------------------------------------------------
靖国神社に併設されている 遊就館に池田戦車隊関連の
展示があったはず。
終戦時 外地で戦死された日本軍将兵は
240万人
そのうち遺骨も帰国でしてないのが
110万人もいます。
自営業で自由な時間と金を稼いで
いつか必ず 遺骨収集団に参加します!!!!
厚生労働省の事業ですから
俺の自営行する目的は
報国なんだよ!!
とりあえず古物商の古本その他を仕入れる車を
福島の除染の出稼ぎして買う予定
そしたら古物商の申請出して自営業開始です。
まあ 今は 水道と排水が壊れてる自宅を
自分でリフォーム中。
冬場は排水パイプが凍結して 水が流れないんで
近所から苦情がくるんで 直してからじゃないと
出稼ぎに行けないから、、、。
------------------------------------------------------------
前に修理の見積もりをとったら
水道管漏水で腐った床と柱の修理で
300万(ダイワハウスの営業マンの見積もり)
排水パイプ 水道管取り替え工事分が
300万(親戚の大工さんの電話での見積もり)
震災特需で 儲からないリフォームの仕事は
したくないらしく
水道業者は個人の家の修繕の見積もりには 来てくれない。
600万あったら 家建て直したほうがいいでしょ
まあ大和ハウスも 親戚の大工も新築の家建てさせたいから
適当な金額の見積もりなのは わかるけど、、、。
----------------------------------------------------------
無職で収入が無いので 住宅金融公庫の融資も無理。
社会福祉協議会の 被災者救済融資なら
保証人無し 無職でも融資可能とのこと
業者が忙しくて 見積もりとりにも
来てくれないと話したら
自分で道具を買って修理でも 融資可能とのこと
----------------------------------------------------
暑くなる前に 社会福祉協議会と ハローワークに行ってこよ
北方4島よりさらに北のアリューシャン列島に『占守島』があります。
島に北側はアラスカでアメリカに近い島なので
日本軍守備隊8000人がいました。
そこにソ連軍が上陸してきました。
北海道の北半分を占領するために、大量のソ連兵が攻め込んできた。
-----------------------------------------------------------------
占守島には2500人が働く大きな缶詰工場があり、
まず そこで働く女性400人を
北海道に脱出させるために
高射砲でソ連軍爆撃機を攻撃し、400人の女性を20隻の小舟にのせ
救助成功!!!
根室から1200キロも北の厳寒の島です。
そこに渡り食料を作ってた女性従業員も 日本軍将兵と同じくらい
立派だと思う。
-----------------------------------------------------------
占守島の北部の海岸に
大量のソ連軍が上陸開始。
池田末男大尉率いる戦車隊 通称『士魂部隊』が防衛戦開始。
池田末男連隊長は 、
陸軍戦車学校の校長してて「戦車隊の神」と呼ばれてました。
満州では司馬遼太郎の上官だったとのこと
----------------------------------------------
以下は 【日本で語られない真実】ブログからコピペです。
--------------------------------------------------------------
池田戦車連隊の主力は天神山の麓に集結。
池田連隊長は兵士に問いかけました。
「
諸子はいま、赤穂浪士の如く恥を忍んで将来に仇を報ぜんとするか、
あるいは白虎隊のように玉砕もって
日本民族の防波堤となり後世の歴史に問わんとするか。
赤穂浪士たらんものは一歩前に出よ、白虎隊たらんものは手を挙げよ」
その言葉が終わる間もなく嘆声とともに全員の手が挙がりました。
池田連隊長は師団、旅団の両司令部に打電します。
「連隊はこれより敵中に突撃せんとす。祖国の弥栄と平和を祈る」
池田連隊長は上半身裸で先頭に立ち、日の丸の手ぬぐいで鉢巻をし
「
上陸軍を一人残らず海にたたき落とすまで奮闘せよ」
日章旗を振って突撃の合図をします。
ついに敵部隊の中心部に突っ込んで行きます。
この時の光景はまさに戦車隊の神様と言わしめたといいます。
運用教範の実演の如く見事な隊形だったと言います。
コピペ終了
---------------------------------------------------------------------
13000人のソ連軍相手に
特攻に等しい決死の攻撃中も
戦車隊の先頭で指揮する池田連隊長。
最後の攻撃前に
「連隊はこれより敵中に突撃せんとす。
祖国の弥栄と平和を祈る」
と本部に打電し
戦車からハダカの上体を晒したまま、
身を乗り出して日章旗を打ち振り、
-------------------------------------------------------------
以下はーーーーーーからのコピペ
http://ameblo.jp/zero-one-neo/entry-11333188582.html
攻撃前進を命じました。そんな隊長の姿は、いやでも敵の目につきます。
やがて銃弾が、隊長車に集中する。
搭乗していた指揮班長の丹生少佐が、まず先に撃たれたそうです。
そのとき、池田隊長は丹生少佐の遺体を落としてはならぬと、にわかに縄を出して丹生少佐の死体を自分の戦車の砲塔に自分で縛りつけたそうです。
----------------------------------------------------------------------
占守島防衛戦の本 数冊買ったけど
大掃除中で家の中がぐちゃぐちゃなんで どこにあるかわかんない、、。
他のブログの転載でとりあえず書いてみた。
---------------------------------------------------------------------
池田戦車隊 別名 士魂部隊の活躍で
日本が分割統治されずにすんだんです。
この戦闘で勝利しなかったら
北海道は 北方領土や北朝鮮のようにソ連のものになってた。
-------------------------------------------------------------------
靖国神社に併設されている 遊就館に池田戦車隊関連の
展示があったはず。
終戦時 外地で戦死された日本軍将兵は
240万人
そのうち遺骨も帰国でしてないのが
110万人もいます。
自営業で自由な時間と金を稼いで
いつか必ず 遺骨収集団に参加します!!!!
厚生労働省の事業ですから
俺の自営行する目的は
報国なんだよ!!
とりあえず古物商の古本その他を仕入れる車を
福島の除染の出稼ぎして買う予定
そしたら古物商の申請出して自営業開始です。
まあ 今は 水道と排水が壊れてる自宅を
自分でリフォーム中。
冬場は排水パイプが凍結して 水が流れないんで
近所から苦情がくるんで 直してからじゃないと
出稼ぎに行けないから、、、。
------------------------------------------------------------
前に修理の見積もりをとったら
水道管漏水で腐った床と柱の修理で
300万(ダイワハウスの営業マンの見積もり)
排水パイプ 水道管取り替え工事分が
300万(親戚の大工さんの電話での見積もり)
震災特需で 儲からないリフォームの仕事は
したくないらしく
水道業者は個人の家の修繕の見積もりには 来てくれない。
600万あったら 家建て直したほうがいいでしょ
まあ大和ハウスも 親戚の大工も新築の家建てさせたいから
適当な金額の見積もりなのは わかるけど、、、。
----------------------------------------------------------
無職で収入が無いので 住宅金融公庫の融資も無理。
社会福祉協議会の 被災者救済融資なら
保証人無し 無職でも融資可能とのこと
業者が忙しくて 見積もりとりにも
来てくれないと話したら
自分で道具を買って修理でも 融資可能とのこと
----------------------------------------------------
暑くなる前に 社会福祉協議会と ハローワークに行ってこよ