雑学シリーズ
お月見の由来
「十五夜のお月見が始まったのは平安時代で当時は
1年の内で8月が最も明るく美しいとされ貴族の間で
月見の宴が開かれていた
江戸時代になると庶民にも広まり「収穫祭」として
親しまれ月見団子やススキを用意する様になった
月見団子は十五夜の月に見立て15個を積み上げて供える
ススキは切り口が固く鋭い事から
玄関の軒先にかざると魔除けになると言われている。」
月はなぜ
表側しか見えない?
「それは月は地球の周りを一公転する間に
一自転することにある自転も公転も等しく27.32日の
周期の為いつも同じ面しか見ることが出来ない
また月の表面は裏側に比べやや重くなっていて
地球の重力に引かれるので
表面を地球に向けていると考えられている。」
赤いのはオスの
赤とんぼだけ
「オスがメスにアピールする為オスのみが
赤い体に変化する他には「縄張り争い」や紫外線を
カットしやすい赤色で身を守るためと考えれている
メスは生涯黄色いままか体の一部が少し赤くなるだけ。」
女心と秋の空
「明治時代尾崎紅葉の小説「三人の妻」に
「女心と付与の風はしばしば変化する」
イギリスの諺が出て来る
その後大正デモクラシーで女性の地位が向上すると
恋愛の価値も変わり当時一世風靡した浅草オペラで
「風の様にいつも変わる女心よ~♪』と歌う
「女心の歌」が大ヒットして
この頃から女心と秋の空と言われるようになった。」
台湾を救った日本軍人
『昭和20年8月9日ソ連は日ソ中立条約を一方的に
破り満州に侵攻した結果4万人以上の日本人が
満州から張家口の逃れて来た
蒙古駐留軍の司令官であった
根本博中将【1891~1966年)は張家口で
終戦を迎え玉音放送後マイクに向かい
街のスピーカを通して張家口に人々に語り掛けた
「皆さんは今後の事で
心配していると思います
然しご安心ください
我が部隊たる精鋭は健在です
彊民、法人及び我が部隊の命は
私の身命を賭して守り抜く覚悟です。」
本国から武装解除の命令が来ていたが
民間人を守るのが軍人の勤めである
今はその時武装解除に応じる事はできない
根本は全軍に命じた
「理由の如何を問わず
陣地に侵入するソ連軍を断固
撃滅すべしこれに対する責任は
この根本が一切請け負う!」
蒙古駐留軍雄使命はただ一つソ連軍と戦い
時間を稼いでいる間に4万人を引き上げさせる事である
ソ連軍対し攻撃を繰り返し
凄まじい白兵戦は三日三晩続き
日本軍の必死の反撃にソ連軍は戦意を喪失して撤退した
最新兵器と多くの人員を
動員しても蹴散らしてしまう
根本中将を軍神と恐れた
毛沢東軍に追い詰められた蔣介石はそんな
根本と組むのが得策と考え接近して来た
そして根本は懇意にしていた国民党軍の
傅作減に連絡を取り列車による居留民撤退の協力を取り付け
翌日の午前中に撤退完了の報告があった
その後蒙古駐留軍にも密かに撤退命令が下され
部隊は歩いて北京に到着した
昭和20年10月根本は
日本陸軍の代表として降伏文書に署名
蒋介石の求めに応じた根本は蒋介石に
言葉に尽くせぬ感謝の思いがあった
それは蒋介石が協力的で日本軍および邦人の輸送を
可能な限り鉄道線を割り当ててくれたくれたおかげで
10か月以上かかると予測された35万人の
将兵の復員が9か月でほぼ完了できた事
カイロ会談で蒋介石が日本雄国体と皇室について
日本国民尾意思にゆだねるべきであると
ルーズベルトチャールに主張して賛同を得た事である
蒋介石は笑みを浮かべながら
「私は東亜の平和は日本と
手を組む以外にないと思っている
今まで日本は少々
思い上がっていたのではないだろうか
今度は此れで対等に日本と組めるだろう
あなたは至急帰国して
日本の再建に努力して欲しい」
その言葉に根本は
「東亜の平和の為そして閣下の為に
私でお役に立つなら
いつでも馳せ参じます』と
約束して最後の復員船で帰国の途に就いた。』
恩義を返す
台湾への密航
『それから3年 国共内戦は
共産党の圧勝に終わろうとしている頃
根本は今度こそは恩義を返す為に
行ねばならないと台湾への密航を決意した
昭和24年5月18日根本は家族に釣りに行くと
釣り竿を持って普段着のまま家を出た
当時アメリカの占領下
上層軍人クラスは厳しい監視下に置かれていたが
MP(憲兵)はいつもの様に
近く川へ釣りに行くものと思い根本の後を付けなかった
そしてかつての部下数名と盟友の吉村是二を通訳として
宮崎沿岸化から小さな漁船で出航した
然し4日目に座礁し船底に穴が開き
海水を全員でくみ上げ
板を張り付け応急処置をしたが
染み出す海水をバケツで連日くみ出した
食糧が尽きガリガリに痩せ
まるで浮浪者の様な姿になって
14日目にようやく台湾に漂着した
蒋介石に会いに来たといっても信じて貰えず
投獄されたが台湾上層部は根本中将である事に気づき
蒋介石と面会する事となった
「ハオ!ハオ!ハオ!」と満面の笑みを浮かべる
蒋介石は根元の手を固く握った
蒋介石は上海を失い
アメリカに軍事援助を打ち切られ孤立無援
そこへ3年前の別れの時に
馳せ参じると約束したとおりに
やって来た根本に
蒋介石は台湾防衛を依頼する
福建省の防衛を命じられた湯将軍と共に国民党軍が
確保していた福建省アモイに向かった
視察後根本は湯将軍に
「ここは防衛に向きません
金門島まで撤退すべきです
共産党軍を迎え撃つには
金門島しかありません戦略的には
金門島を守る事が
国民党軍を守る力になります
自分の名誉の為ではなく
台湾を守る道筋をつけるのが
軍事人の務めではありませんか?」
この言葉に湯将軍は
根元の戦略に従う事を決断した
根本は硫黄島や沖縄で圧倒的な米軍に対して
地下壕を掘りゲリラ戦で効果を上げた作戦を取る事とした
根本の作戦
1敵の金門島の上陸を容認する
2共産軍の補給路と後続部隊を断つ為
敵が上陸に使った船を焼き払う
3上陸した共産軍を包囲し奇襲する
1941年10月1日中華自民共和国の
建国が全世界に発信された
勢いに乗った共産軍は
10月24日金門島上陸を開始!
これに国民党軍夫戦車21両が襲い掛かった
2日後根本中将指揮による猛攻撃により
共産軍は多くの犠牲を出しながら
午後10時に武器を捨て投降した
上陸した共産軍2万人の内
戦死1万4千人
6千人が捕虜となった
対し国民党軍の死傷者は3千人
僅か二昼夜で金門島の勝利が
確定し台湾の独立が守られた
建国したばかりの中国はこれ以上の追撃で
再び敗れれば体制維持に支障をきたすとして
共産軍の侵攻は止まった
蒋介石は根本の手を取って
「ありがとう」と言った
根本は「シナ撤退の際大変ご恩を
受けましたその後恩をお帰しただけです」
この功績に対する報償を一切受け取らず
金門島の戦いの公式記録から
自分の存在を全て削除して
くれる様に頼み台湾を後にした
日本では旧日本軍の台湾義勇兵の問題が国会で追及され
古田茂前首相は義勇兵の組織化を否定しつつも
根本らの密入国を認める報告書を提出
これにより密入国は不起訴処分になった
昭和27年6月25日
根本は3年前の時と同じ様に釣り竿を持って
蒋介石が手配したチャー機で羽田に降り立った
記者団雄質問に対して根本は
「台湾に渡った目的は
カイロ会談で蒋介石総統が
天皇制危機を
救ってくれた事に報いる事だ
福建省のアモイ作戦にも行ったが
何も出来ず厚遇に対し申し訳ない」
と答えたが
日本人が国民党に加担した事による
中国との摩擦を避ける為に
あえて真実を語らず
家族にも誰にも自分の功績を語り
自慢する事もなく静かにその生涯を閉じた。』
根本中将の功績によって台湾は共産主義から免れ
独立を守ることが出来た事はアジアの安定と
今日の日本の平和に繋がっている
根本中将から学べきは現実を直視し
自分の本義に忠実になり
今何が一番大事か
思考停止せず社会に
尽くす事にあると思う
日本人は現実を直視未来を
想像する力弱くなっているのではないか
日米から日本を取り戻す???
これは到底日本人が言う言葉ではない
習近平のいう言葉だ!
更に勝手に一帯一路の参加を表明し
一国二制度を認め関税ゼロ消費税ゼロにしろと
日本政府に迫り尖閣諸島はシナの歴的経緯を
検証し話し合いが必要と言う玉城デニーの主張に
強い怒りを沖縄県人が感じないとすれば
泥棒反日シナ人と何ら変わらない!
子供達は戦後の自虐戦洗脳教育によって
自国を誇る事も知らず
日本を憎む様になり長じては
祖国を裏切り世界に恥をさらす
政治家、役人に育ってしまった
日本のEEz内に5発もミサイルを撃ち込み
シナ大使は日本をなめ切り外務省の呼び出しを無視
外務省は電話で抗議しただけ
公明党はウイグルジェノサイド対中非難決議と
外国人土地規制を骨抜きした為に
横須賀など主要な基地周辺の土地がシナ人に
買われまくっている
こんな事を一体
いつまで許すのか!
我々はもっともっと
怒らなければならない
そして我々の生命財産と
日本領土を守る為に
今一番必要なのは自衛隊を
国軍とする憲法を改正し
習近平が最も嫌がる
NATOアジア版を
構築する事である!
いい加減70年間の自虐洗脳
マインドコントロール
から抜け出し
根本中将が示した
自分の本義に忠実になり
今一番何が大事か
思考停止しない事である!!
















