此れと言って書くことがないので
アジア解放論をテーマにしたいと思う
長くなるので2回分けて掲載いたします。
真珠湾攻撃の真実
昭和16年12月8日
日本海軍の機動部隊がハワイの米太平洋艦隊を奇襲し
米海軍に甚大な被害を与えた
真珠湾攻撃はルーズベルトの罠にはまり国力を無視した
山本五十六の作戦は米国世論を沸騰させただけで
日本を窮地に陥れた無謀な作戦だった
真珠湾攻撃はせず米艦隊を
日露戦争のバルチック艦隊の様に誘いだし殲滅し
最初から腹案通り南方の石油を確保したのち
西に進み英国を攻め落とし米国の誠意を削げば
勝っていたとする論が既存保守の間に浸透している
真珠湾攻撃を陸軍は大反対していたそれを元五十六は
強引に押し切り実行した
その結果日本を敗戦に追い込んだ
大罪の張本人で愚将でありアメリカの工作員などと
日本海軍への誹謗中傷が今も絶えない
然しこの腹案は東条内閣の昭和16年10月の
連絡会議で明確に否定されている
其の資料が八巻康生氏(昭和史研究家)
によって発掘されている
防衛省防衛研究所レファレンスコード
C12120208500
昭和16年10月23日帝国国策要領
「戦争相手を蘭のみ又は
英蘭のみと限定し得るや
英米は不可分にして戦争相手を蘭のみ
又は英蘭のみに限定する事は不可能」
資料文書は政策上の理由、作戦上の理由を詳細に説明し
戦争相手を限定することは不可能と結論付けている
真珠湾攻撃はアジア
開放には必要だった
八巻氏また次のような資料も発掘している
防衛省防衛研究所レファレンスコード
c15120112500
大東亜作戦準備について
昭和16年9月25日 南方作戦主任「荒尾大尉」
「全般的に観て陸軍は海軍の実施する
ハワイ急襲に対して絶対に支援したい
マレー作戦に対しては
大いなる海軍航空母艦雄支援を希望する所なるも
之を出来るだけ参加せしめざる如く努力せり」
『比島作戦は以前より研究しあるも
昭和15年頃の
研究に於いても
対米作戦は避けがたし故に
南方作戦に方りては対比島作戦その側面援護の為
実施し対局を逸せざる如きの如き考案なり」
「大東亜全般の構想として重点は
マレー作戦に置き
マレー上陸及びハワイ急襲は同時に実施
比島作戦は之に準じ
香港攻撃はマレー上陸の成功通達により開始す」
この資料を読むと陸軍はハワイ攻撃を反対するどころか
絶対的に支持しマレー上陸には空母の支援を希望するが
真珠湾攻撃を優先すべきとしハワイ攻撃が
フイリピン上陸を側面から支援する事になると述べている
当時 フイリピンを植民地にしていたアメリカが
上陸する日本軍を指をくわえて黙っているわけがない
日本軍に艦砲射撃を浴びせ航空機で攻撃し
殲滅していただろうその為に日本は奇襲攻撃で
米太平洋艦隊を殲滅する必要があったのである
人種平等、植民地解放を戦争目的とする日本は
海軍の真珠湾攻撃の大戦果によって半年間は
米艦隊の動きを止めることに成功し
ビルマ、フィリピン、ラオスと次々と
白人国家を追い出し開放していった
天皇陛下は真珠湾攻撃で民間施設、一般民間人が
攻撃対象にならないかを心配されていたという
飯田房太中佐28歳
空母蒼龍から出撃した飯田房太中佐率いる9機のゼロ戦は
カネオ飛行場を攻撃飛行場に並ぶ敵機に大打撃を与えた
しかしこの時に対空砲火で燃料タンクに被弾し
ガソリンが尾を引いていた
飯田中佐は機首を上げ列機も之に続き編隊を組んだ
飯田機は帰投する空母方向に列機を引率した後
飯田中佐は手先信号で
「被弾して帰投する
燃料が無くなったから自爆する」
と合図を送り手を振って引き返すと
カネオ飛行場の格納庫に機を垂直に突っ込んでいった
米軍は飯田中佐の勇気と敢闘精神に敬意を表し
埋葬した現在その場所には碑が建てられ
碑には祖国のため命をささげた軍人への敬意を込め
日本帝国海軍大尉と刻まれている
日本軍がもし民間施設や民間人を攻撃していたら
この様な碑は立てられなかった筈である
歴史家の林千勝氏は第一資料に基づくとして
腹案を絶対的な国家方針だと強調するが
八巻氏が発掘した
第一資料やアジア開放の帝国声明文に対して
どのように反論出来るのだろうか
林千勝氏の思考の根底には日教組の
敗戦自虐史観洗脳が沁みついているのかもしれない
既存保守論壇は自分達も気づかないで
戦後のGHQと日教組、共産党による
敗戦ボロ負け自虐史観で
アジア開放、真珠湾攻撃をも
否定し不毛の山本五十六を
誹謗中傷を続けてきたにすぎない
我々の祖父と英霊達は
アジア開放に全力を尽くしたのである
もういい加減!
自虐史観を捨て
日本の近代史を復元し
民族の記憶を取り戻し
日本を再建すべき
時期に来ている!!







