被災地のど真中山田町で、いち早く『BARボーダー』を立ち上げた遠藤晃紀店長
当時、火災で焼け焦げ黒い町となっていましたが、その中心に蛍光ネオンが光るBARを発見したときは衝撃的でした。その衝撃的だったBARに入ると、
『お前に何ができるんだ?』
と、一言。。。
そして店長は、
『必ず復活させてみせる』
そう言い放ち、その言葉通りにBARを復活させました。
その後、山田町を訪れる度に、その周辺に、ネオンがポツポツと灯り始まりました。
それは、私が見てきた沿岸部の釜石よりも大槌よりも、他のどの街よりも、店の建設作業が(プレハブ的な簡素なものが多いですが)早かったように思えます。
そのきっかけをつくった一人が、彼なのかもしれません。
被災後、出会った人々に言われたのが、皆が集まる場所がない。。でした。
情報交換する場所もないし、葬式をやっても、食事やお茶さえとるところがない。
一軒でもコーヒーやさんがあったらいいな・・・。
人々は、共に語り、和める場所を求めていました。
そんな誰もが求めていた場所を我先にと、作り上げた店長には頭があがりません。
私に何が出来るのか?
それは今でも分かりません。
話をしに通っているだけです。

私に火をつけたあの貴重な一言。。。
晃紀さん、どうもありがとうございました
