彼女とは岩手支援を通じて出逢いました。
自らが被災しながらも、周りの気遣いを怠らず、そして膵臓癌という病に侵されながらも、
最後まで他人の気遣いをしていました。


田中シマ子さん(享年69歳) 


他界してから早10日・・・。

一年のお付き合いでしたが、彼女から得たものは大きく、大きすぎて、まだ整理がつかない状態であります。


いつも訪れると、必ず出されるお漬け物。
そして、帰る時にも必ず持たせてくれるお漬け物とおにぎり。

それを入れたタッパーを返しに行くのが、毎月の恒例となり、
そして、それが私の岩手に行く、楽しみの一つでもありました。






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岩手日報より
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岩手県釜石市で、一番被害の大きかった鵜住居地区。
その鵜住居地区で、以前活動していた合唱でもって、
『もう一度この地域を元気にできないか?』
と、代表の田中シマ子さん。


そして、同時期に私の所にクラシックバレーの教師、山田先生から、
物資の相談があったのです。 

『ピアノがあるのですが、被災地に持って行っていただけないか?』

ということで、震災直後からのお付き合いのある音楽の山崎先生を通し、
私と必然的に結びついたのであります。


この活動が始まり、すこしづつ、また鵜住居に人が集まるようになり、
そして、定期的に集まる場がある事により、人の心と体を癒し、互いを勇気づけ、
徐々に元気が戻っていったのであります。

皆で歌うことでつながりが守られている。

そう皆さん感じているのです。




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田中夫妻は、仮設の横の空いたスペースで、トマト・大根・冬瓜・かぼちゃ・シソなどを栽培していました。
『今年はかぼちゃが15個取れた~!』
と言って仮設の皆さんに配っていました。
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10月24日、お見舞いに行き、病室をあとにした帰り際、
娘のくみこさんが走って追いかけてきました。

お母さんがね、
『漬け物作って待ってるって!』

そう、廊下で叫んで呼び止めてくれました。

そして、それが私に言った最後の一言でありました・・・。




たくさんのありがとうと感謝




そんな言葉しか今は出てこなく、

田中シマ子さんの精神を受け次ぎ、どんな時であろうと、人に優しい人であるよう生きていきたいと思っています。

シマ子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


合掌