2013年1月16日(水)
この日を私は忘れないと思います。


16日の20時14分、私は仕事を終え父に迎えに来るように電話をしました。
父、母、私、弟、妹の5人家族のえびかに家で車を運転出来るのが鬱病になって10ヶ月の父だけです。
鬱病になり、会社も休職中でしたが我が家の運転手さんは毎日送り迎えしてくれました。
この日もいつも通り父に電話し「今小学校の前にいるから5分くらいで着くかな」と少し会話しました。
時々近くのスーパーまで送っていってあげる同僚を乗せ、一緒に買い物し、その子のウチまで乗せていってあげました。
いつもなら私は助手席側の後ろに座り、父とは対角線上にいるのですが、その時は同僚の子をそっちに乗せていたこともあり、父の真後ろに座りました。
春になったら車を買う予定で、免許を取ってから7年間1度も運転していなかったので運転席側からみる風景に慣れておこうかなぁ・・・なんて思ったりして、父の姿が殆ど見えない状態でした。

21時前になる頃、家に着き、車を降りると父がエンジンを中々切りません。
この時、あれ?とは思ったのですが、時々車にしばらく居てから家に入ってくることがあったので不振に思いながらも何も会話することなく私は家に入りました。
21時5分頃、母が「お父さんは何処に行ったの?」のと聞いてきました。
私は「車にいるよ」と答えたのですが「車が無い!」と母が慌てていました。
正直この時も、またフラッとドライブしにいったんだなと軽く見てました。

21時11分私が2度目の電話で父が出て、電話を母に代わりました。
話を聞く限りでは「買うものがあってローソンに行ってくる」と答えたようです。
私の家は田舎で車で10分圏内には何も無く、近くのコンビニに行くにもちょっとしたドライブです。
私を迎えにくる道筋でコンビニは2軒あり、通常ならその時に寄るのですが・・・とにかく早く帰って来るように伝えて母は電話を切りました。
その後私はいつも通り部屋でPCをいじりながら数ヶ月後に友人の結婚式があるのでその余興について調べたり練習していました。

22時頃、母がまだ帰って来ない父を探しに徒歩15分程の駅まで見回ってくると言い、私はリビングで妹と交互に父に電話をかけていました。
もしかしたら父は母に怒られると思って母からの電話は取らないかも、と妹と話し、何度も何度も電話をかけました。
父がローソンに行くと言っていたので、私の街にある3軒のローソンに父の車が止まってないか電話しました。
もしかしたらいつも飲んでる薬で眠くなって駐車場で寝てるのかも。。。と思いながら電話しましたが、車はありませんでした。
23時頃、とりあえずローソンまで探しに行った母から、電話があり「お父さんが寝ている部屋の机の引き出しにノートがあるから、何か書いてないか調べてみて」と言われました。
詳しいことは知らないのですが、何かあったら書くようにと先生に言われていたのかもしれません。
部屋に行き、引き出しを開けると大学ノートが数冊入っており、一番上のノートを手に取りました。
その1ページ目に、

「母へ 最後まで幸せに出来なくて大変申し訳ない。
 えびかにへ 自動車を買うことが出来なくてダメな父であった。
 弟へ 大学卒業までそして社会人になるまで責任があるのにそれを出来なかった。
 妹へ 高校時代の思い出を無くしたダメな父親であった。」

その文字を見た瞬間、私は涙が止まりませんでした。
これを書いてるこの時でも涙が止まりません。
妹は読んだ瞬間泣き崩れ、それでも声を押し殺して泣いていました。

この文を読み上げると母は「ダメだ、これはもう警察だ」と言い「すぐに戻るから妹と二人で着替えして、えびかには電話の履歴をきちんとまとめておいて」と電話を切りました。
母はまず、父の兄2人に連絡をし、父の車を探してもらいました。
その間、私は携帯のコールはなるので携帯会社に連絡し、GPS機能が使えないか聞きました。
しかし、携帯電話のGPSはあくまで携帯を無くした時に使うもので本人ではないと教えてくれないそうです。
事件性がある場合は警察を経由しないといけないということだそうです。

夜中12時を回る頃、ようやく警察に連絡しました。
父と連絡が取れなくなってから3時間が経過し、みんな少しずつそれなりの覚悟はしていたと思います。
母は警察官のみなさんとこれまでの経緯を話していました。
妹もその隣にいたのですが、私としては高校生の妹を少しでもショックを少なくしたかったので、あれやこれやと言いくるめ、ちょっとだけ母達から遠ざけました。

1時30分くらいでしょうか、警察の無線から「漁港に父の車を発見」と聞こえました。
おそらくみんなの心には「ああ、見つかった・・・」という想い「もしかして海に落ちたのでは?」という最悪の想定があったと思います。
そして、

「海に人が浮かんでる」

という言葉を聞いた瞬間、妹は声を出して泣き出し、ずっと「お父さん」「どうして」「大好きだったのに」と叫び続けました。
私はこういうときこそ、お姉ちゃんなんだから!と何とか言い聞かせ、妹に「まだお父さんって決まってないし、見間違いかも」「お父さんだし、案外ケロッと帰ってくるって」「病院に運ばれてすぐ退院するからさー」などと妹を抱きながら必死になだめてました。

確かな情報が無いまま2時を過ぎ、警察官の1人が母に、

「お父さんは無事ですよ」

と伝えてくれました。
父は飛び降りた場所が浅瀬で骨折をしてうずくまっていたそうです。
しかし、場所の所為なのか、救急車では救出出来ず、レスキュー隊を呼んでの救出で、まだ父は病院に運ばれていないとのことでした。
私の地方は昨日までの雪が降り積もっていて、どう考えても凍え死んでしまうと思いました。
もしかしたら脳に障害が残るかもしれない。
凍傷だったら指が腐り落ちるかもしれない。
父にしてみれば辛くて辛くて、死にたいくらいつらくて、死にきれなかったことを後悔してるかもしれないし、それを理解出来ない私達を恨んでるかもしれないです。
それでも、私は、私達は生きていてくれて嬉しいです。

3時を過ぎた頃市立病院に搬送されたと連絡があり、母と妹は病院へ。
私は家に残り、留守番をしていました。
本当は、当然ですが私も行きたかったです。
でも、警察がまたウチに来るかもしれないし、誰か家に居ないといけない。
高校生の妹を1人残していけないから必然的に私が残ることに。

父の状況が分からないまま、私は、友人との用事をキャンセルするメールを送り、当たり障りの無い理由でごまかし、怪しまれないようにしました。
出来ればとても長い付き合いの友人だったのでありのままの事を伝えたかったのですが、今日の今日で私も整理出来ていないのに伝えることは難しかったので落ち着いたら伝えたいと思いました。

何も分からないままというのはやはり辛くて、ネットの掲示板で今後の父との対応をどうすれば良いか聞いたり、検索したりしていました。

4時頃妹だけが帰ってきて、明日の学校に備えて無理にでも寝てもらうことにしました。
妹も学校に心配を掛けたくないといってなんとかがんばって学校にいくそうです。
今日と明日学校に行ってもらって土日ゆっくり病院に行こうと励ましてみたり。



と、これが昨日から今日に掛けての出来事でした。
ありふれた日常が一転するというのはこういうものなんだ、と理解しました。
だからこそ、これを書き残しておこうと思いました。
そしてこれからの日々を書き記していこうと思います。
誰かに向けての文になってますが、読みやすい文ではありません。
これはいつの日か私が目を通す為のものと思っています。


今日からどうなるか分かりません。
それでも、父と家族とでしっかりと前を見て歩んでいきたいと思います。
父には頑張れは禁句ですが、私達が頑張ります。
家族5人で生きていく為に!