強羅公園をあとにして、この日の宿泊先の『宮ノ下富士屋ホテル』に向かいました。
お部屋で一休みしたあと、ほぼ毎日16時から行われている、「館内ツアー」に参加することに
私は以前参加した事があるのですが、母がないので。
5分前にロビーに降りると、
すごい人
この「館内ツアー」は、約40分ほどで、宿泊しない方も参加出来ます。
日曜日で人が多かったのでしょうか…、ざっと100人以上います
以前参加した時は、確か10数名ほど…。どうしようか迷いましたが、せっかくですので参加することに。
ゾロゾロと、
まずはクラシックチャペルへ
チャペルのベンチに座り、創業当初などのお話しを伺います。
創業者、山口仙之助は、1851年、横浜の漢方医の五男として生まれます。
1871年、アメリカに渡り勉強しますが、生活難のため皿洗いし、牧畜業をしようと牛を購入して日本に戻ってきますが、
内務省農学校に購入した牛を売り払い、現在の価値の10億円ほどを手にします。
意を翻し、慶應義塾に入り、福沢諭吉に学び、「これからは外貨を求めよ」とのアドバイスを受けます。
外貨を求めるには…と考えた仙之助は、外国人専用のホテルが無いことに目を付け、
大学を卒業した、1878年、宮ノ下に500年続いた老舗旅館「藤屋」を買い取り、「富士屋ホテル」とし、洋風に改築します。
名前の由来は、「日本一高い山」、「外国人受けする」などの理由で付けられました。
その後、火災で全焼したり、震災で崩れ落ちますが、莫大な借金を抱えてでも、後に良いものを残そうと再建します。
1891年には、渓谷の水流を利用し、自家用電燈を燈火し
温泉村の村長になり、塔ノ沢~宮ノ下間(現在の国道1号)を自費で開墾して、道路を整備します。
1904年には、宮ノ下水力電気所を設置し、その他数々の公共事業に従事し、大日本ホテル業同盟会を結成します。
今こうして、箱根が観光地として私たちを楽しませてくれるのは、仙之助のお陰だと言っても過言ではありませんね!o(^o^)o
そして、3代目の正造もなかなかのやり手でした。
このホテルには、お花が少ないと庭に温室を作り、そこで育てたお花をロビーやレストランなどに飾ります。これは今でもずっと続けられていて、至る所で可愛いお花を見る事が出来ました。
1930年には、本館の大改修、メイン・ダイニングの竣工
1936年には、花御殿の竣工
天皇家を初め、ジョン・レノンやヘレン・ケラー、三島由紀夫、チャップリンなども宿泊されています。
改めて、伝統と格式のあるホテルだと実感します。
この3代目「正造」ですが、日光「金谷ホテル」の創業者の次男で、仙之助の長男(2代目)の娘婿になります。僅かですが、「帝国ホテル」の支配人もしていました。
本館にある階段手摺りの登り龍や、柱の鳳凰などの彫刻が日光東照宮を思わせるのも納得です。
館内ツアー、次はメインダイニング「ザ・フジヤ」に向かいますが、長くなりましたので、つづく