箱根旅行 ③ 宮ノ下富士屋ホテル館内ツアー | みつみつの、気ままな毎日と 愛する煎茶道

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観劇や美術展鑑賞、ショッピング、友人とのお食事会などを書いています。そして煎茶道、まだまだ知らない人も多いと思いますが、文人の愛した煎茶道、少しでも多くの方に知って頂きたいと思います。(*^_^*)

強羅公園をあとにして、この日の宿泊先の『宮ノ下富士屋ホテル』に向かいました。

お部屋で一休みしたあと、ほぼ毎日16時から行われている、「館内ツアー」に参加することに

私は以前参加した事があるのですが、母がないので。

5分前にロビーに降りると、
すごい人

この「館内ツアー」は、約40分ほどで、宿泊しない方も参加出来ます。
日曜日で人が多かったのでしょうか…、ざっと100人以上います

以前参加した時は、確か10数名ほど…。どうしようか迷いましたが、せっかくですので参加することに。

ゾロゾロと、
まずはクラシックチャペルへ

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チャペルのベンチに座り、創業当初などのお話しを伺います。

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創業者、山口仙之助は、1851年、横浜の漢方医の五男として生まれます。

1871年、アメリカに渡り勉強しますが、生活難のため皿洗いし、牧畜業をしようと牛を購入して日本に戻ってきますが、

内務省農学校に購入した牛を売り払い、現在の価値の10億円ほどを手にします。

意を翻し、慶應義塾に入り、福沢諭吉に学び、「これからは外貨を求めよ」とのアドバイスを受けます。

外貨を求めるには…と考えた仙之助は、外国人専用のホテルが無いことに目を付け、

大学を卒業した、1878年、宮ノ下に500年続いた老舗旅館「藤屋」を買い取り、「富士屋ホテル」とし、洋風に改築します。

名前の由来は、「日本一高い山」、「外国人受けする」などの理由で付けられました。

その後、火災で全焼したり、震災で崩れ落ちますが、莫大な借金を抱えてでも、後に良いものを残そうと再建します。

1891年には、渓谷の水流を利用し、自家用電燈を燈火し

温泉村の村長になり、塔ノ沢~宮ノ下間(現在の国道1号)を自費で開墾して、道路を整備します。

1904年には、宮ノ下水力電気所を設置し、その他数々の公共事業に従事し、大日本ホテル業同盟会を結成します。

今こうして、箱根が観光地として私たちを楽しませてくれるのは、仙之助のお陰だと言っても過言ではありませんね!o(^o^)o


そして、3代目の正造もなかなかのやり手でした。

このホテルには、お花が少ないと庭に温室を作り、そこで育てたお花をロビーやレストランなどに飾ります。これは今でもずっと続けられていて、至る所で可愛いお花を見る事が出来ました。

1930年には、本館の大改修、メイン・ダイニングの竣工
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1936年には、花御殿の竣工
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天皇家を初め、ジョン・レノンやヘレン・ケラー、三島由紀夫、チャップリンなども宿泊されています。

改めて、伝統と格式のあるホテルだと実感します。


この3代目「正造」ですが、日光「金谷ホテル」の創業者の次男で、仙之助の長男(2代目)の娘婿になります。僅かですが、「帝国ホテル」の支配人もしていました。

本館にある階段手摺りの登り龍や、柱の鳳凰などの彫刻が日光東照宮を思わせるのも納得です。

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館内ツアー、次はメインダイニング「ザ・フジヤ」に向かいますが、長くなりましたので、つづく