あの日から5年。
あの頃、私は6年1組のクラスで小学6年生でたまたま帰り会をやっているところでした。
この日が小学校生活最後の給食でした。
学校終わった!やっと帰れる!っと思った時、あの誰もが経験した事がない大地震が小学校を襲った。
揺れが始まり机の上からランドセルが落ちた。
目の前にあった電卓も物が落ち壊れた。
揺れがおさまり担任の先生の指示に従って校庭に避難をした。
私が教室から出て最初に目にした物はアスファルトのひび割れ、道路が陥没していて地面が半分に割れていた。
校庭には1年生から6年生、職員全員が避難をした。
泣いてる子も居て楽しい空気が一瞬にして消え去った。
校庭に出ても揺れはまだ収まらず児童は親が迎えに来るのをひたすら待ち続けた。
私はたまたま家族が全員休みで母が迎えに来てくれた。
いや、私だけではなくその一緒に住んでいる団地の子も一緒に車に乗せた。
車を走らせると私の住んでる町が地震によって壊された。
車に乗ること5分。
自宅に着き車での生活が始まった。
午後7時。食料を買いに近くのコンビニへ。
パンもおにぎりも当たり前に売っているものがなく、余ってたのが焼き鳥と水。
それを家族みんなでそれだけの食料で腹をしのいだ。
午後10時。家の中の様子を見に戻った。
家の中はめちゃくちゃで私もひたすら写真を撮る事しか出来なかった。
午前1時。車のガソリンが底をついた。
暖房も使えず家から持ってきた毛布で夜を過ごした。
午前8時。夜が明け私は家の周りを見に、DSiLLを持ちそのカメラで写真を撮った。
3月12日 土曜日。また食料を買いにお店へ。
みんな食料を求めていてお店の入口では何百人の人々が並んでいた。
3月13日 日曜日。親戚のお家への避難生活が始まった。荷物をまとめ私の親戚のお家では被害が少なかった。
その時、初めてテレビを付けた。
まず初めに目にしたのは福島の原発。
その原発で福島は世界中から有名な県として知られた。
まだ私は良い方。
津波で亡くなった人はどう言う思いで亡くなったか…
そして、あの日から5年。
今日、2016年 3.11。
今でも忘れられないあの光景。
そして地震への恐怖。
今私は高校2年生。
長そうで早かったこの5年間。
決して私はあの日を忘れない!