my faith diary -24ページ目

my faith diary

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最近神様が教えてくれるのは、賜物について。


じぶんの賜物は、ずっと、歌だとにぎってきた。
今は見える形では手放した。
でもまだわからなくて、結局じぶんの賜物は何だろうって考えて、その賜物用いられたいって願ってばっかりだった。

それも大切なことだと思うけど、
今のわたしは、それすらも手放すというか、
ただ神様を愛することだけ、したい‼︎
ただ誇りはイエス様、十字架。心からそうなりたい‼︎

あいしてやまない姉妹から教えられたんだけど、
イエス様もってた賜物⁇というのかわからんけど、権力や王権、癒す力、語る言葉、全部使わないで、30年大工さんしてたこと、それってすごいなって‼︎
イエス様は完全な方だから砕かれるとかなかったと思うけど、わたしたちの模範となるためにそうされたんだろうなー
わたしたちは、賜物もってて、もってることがわかってたとしても、使わないで他のことに仕える聖めの期間があるんだなってこと、教えられた。
砕きの期間。
今、くだかれてるんだろうなーー。
でもほんとに砕かれてるときってくだかれてるーとか言えないらしいから、まだほんの一部なんだろうなーーー笑


それで今日ひっさびさに、きんぐだむしーどしたんだけど、そのデボーションの中で、エペソ4:7から、
神様の量りに従って賜物が与えられてる、
それを与えるためにイエス様来てくださったこと、学んだ。
だから賜物が正しく用いられるときほんとに神様はそれが喜びなんだなって、すごく教えられた。

じぶんにも、いろんな賜物与えられてる(たぶん笑)、
そして周りの一人一人も、すてーーーきな賜物がそれぞれ与えられてる。
なんかとってもあたたかくなって、幸せな気持ちなった。

愛のお方だなーーーーーと思った。

ただ本当にくだかれた心もって、賜物用いられたい。
だし自分の賜物ちゃんと正しく知りたい。




それから、旧約通読はサムエル記で、
サウロ、ダビデ、ヨナタンの関係が、なんだか今の自分たちに当てはまって、かなり感情移入してしまった。笑

愛してやまないやまない姉妹がいて、
昔すごく軽い気持ちで、わたしたちダビデとヨナタンだって思ってたし言ってたんだけど、笑
いまほんとにそうだなーーーって思う。
ダビデ超絶苦しみにあう。
ヨナタンはダビデを自分のことのように愛する。
ほんとにこの愛は不思議。
神様が与えてくれたとしか思えない。

まあ彼女にとっては余計なお世話かもしれないけど笑
わたしは一方的にがちで愛してる。笑

ああ、今思ったけど、この愛も神様からの賜物かも。
そうかー。感謝だな。(;_;)