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萩尾望都の諸作品のテーマと継承

萩尾望都の諸作品の解釈とテーマやモチーフの継承について、萩尾望都作品論。

 

「ポーの一族」新シリーズの「青のパンドラ」編は、コミックスが1冊発売され、休載中ですが、現時点での「青のパンドラ」のテーマ、モチーフと、その継承関係について、まとめます。

「青のパンドラ」編は、時代が2016年の、アランの復活の物語に戻りました。

そして、驚くべきことに、ポーの一族の起源の秘密が明かされました。
萩尾望都は、この設定をいつ作ったのでしょう?
 

 

<青い海>

ポーの一族の起源となったのは、古代ギリシャ時代に、「海」から引き上げられた「青い」壺、パンドラです。
その中には「血の神」と呼ばれる神がいて、ポーの島で祀られてきました。
この神は、青い霧状の姿で現れ、気に入った人間に憑依し、その人間をバンパネラにします。

この起源の物語には、「海」、そして、「青」というモチーフがあります。
これらには、「生命の源」という象徴性があると思います。

「海」は、「銀の三角」のラグトーリンの中にあるものとして描かれ、それが継承されて、「バルバラ異界」の青羽の中にも描かれました。

「マージナル」では、死んだ赤い海が描かれ、キラが、その海の生命律動が見る夢に共鳴して、青い海として復活させました。

「海のアリア」では、ナイト・メアの海が、赤いヒトデによって進化が停滞していました。

このように、「マージナル」では、死→復活が、赤→青として表現され、これは「海のアリア」にも半ば継承されました。
そして、「バルバラ異界」でも、赤い火星の死せる海と、その生命の復活を託された青羽の名前の「青」としても表現されています。

また、エドガーは、パンドラの壺に対して、「海」とともに「星」も感じました。
この「海」=「星」=「生命の源」は、「銀の三角」でもほのめかされ、「海のアリア」、「残酷な神が支配する」でも描かれています。


<故郷喪失>

ポーの一族が住んでいたのは、エーゲ海のティラ島(サントリーニ島)近くにあった島ですが、地震と海底火山の噴火で沈んでしまいました。
ポーの一族は、故郷を失って、移住の旅に出たのです。

ここには、「故郷喪失」のモチーフがあります。

「故郷」は、心理的には、抑圧のない「心の本来性」の象徴です。
そして、「故郷喪失」は、それを否定され、あるいは、自分で否定して、失った状態にあることを象徴します。

萩尾作品においては、早くは、「あそび玉」は、地球ではない場所が舞台であり、そこにいる管理された人達は事実上、「故郷喪失」の状態でした。

より明確にこのモチーフが描かれたのは、「スター・レッド」でしょう。
エルグは自分の母星を失っていましたし、セイは火星への強い望郷の念を抱いていました。
そして、火星人は火星を失いました。

「銀の三角」のル・パントーも故郷を失っており、エロキュスも地球への強い望郷の念を持っていました。

萩尾作品においては、「故郷喪失」は、「母親喪失」や、「大切な人の喪失」として表現されることもあります。
「ポーの一族」で言えば、エドガーは、捨て子なので両親を失っており、さらに、最愛の妹メリーベルも失い、故郷のポーの村も失いました。

エドガーが求めるアランは、これら喪失したものの代償です。


<良い予言/悪い予言>

大老ポーが行おうとしていることに対して、血の神の祭司だったアルゴスは、「悪い予言」をします。


また、かつてのポーの島の時代には、占い師だったハンナ姉妹のうち、ハンナは「悪い予言」を行い、ハンナの妹は「良い予言」をしていました。

萩尾作品では、この「良い予言/悪い予言」のモチーフは、「良い夢/悪い夢」という形になることもありますし、それが象徴するままの姿で、「悲観/楽観」、「否定的思考/肯定的思考」という心のあり方で表現される場合もあります。

明確にこのモチーフが使われたのは「スター・レッド」で、セイの出現に対して、多くの火星人の予言者が悪い予言をしたのに対して、シラサギのみが良い予言をしました。
そもそも「スター・レッド」は、夢魔という悪い夢を生む存在を追い出すことがテーマでした。

「マージナル」では、グリンジャ/アシジン、メイヤード/アシジン、死ぬことを望む聖者達/青い海の夢(生命律動)、というように、多数の者がこの「悲観/楽観」の対の関係で表現されています。

「海のアリア」では、アリアドが人の死という「悪い予言」をする存在です。
ナイト・メアの海に対して、アリアドは可能性がないと予言し、ダリダンは可能性があると予言しました。

また、「青いパンドラ」のモチーフであるギリシャ神話の「パンドラ」という存在自体が、災難/希望という、否定的要素と肯定的要素が入った両義的な箱です。
これは、血の神、そして、ポーの一族が、両義性を持っていることを表現しているのでしょう。


<眠る者>

フォンティーンは、大老ポーによって、ポーの村の地下に閉じ込められ、バラを咲かせながら、眠らされています。

 

アランは瀕死の状態、仮死状態ですが、象徴的には眠りと同じです。

この二人は、どちらも奔放な性格という点で共通していて、フォンティーンは大老ポーによって束縛され、アランはエドガーによって束縛されてきた側面があります。

二人は、その奔放さが眠りの中に抑圧され、閉じ込められていると言えます。

「秘密の花園」編では、夫に裏切られて、薔薇の咲く庭の墓に眠るメリッサも、象徴的には同じだと言えます。
薔薇を咲かせているという点で、フォンティーンとメリッサはまったく同じです。
二人は、「否定された生命力」の象徴でしょう。

アランも否定された存在ではありますが、この二人とは反対に、「生命力の欠如」が彼の特徴のように感じます。
彼には、少年であることの、非社会的、非生産的な存在としての、はかなさを感じます。

「ポーの一族」の設定では、少年は成長しないことで、バンパネラであることがバレやすいからバンパネラにしない、ということだったと思うのですが、「青のパンドラ」では、少年バンパネラは、なぜか長生きできないのだと、描かれます。

萩尾作品では、眠る存在が何人か描かれています。

「精霊シリーズ」の眠り続けるルトルは、超能力で同族(精霊)を助けますから、彼には生命力があります。
彼の眠りは、本来的な生命力を表現しています。

「マージナル」の4人のキラの一人も眠り続けていますが、このキラの見る夢は、多様性を認めない閉じこもった夢であり、否定的なものでした。

一方、「バルバラ異界」の眠り続ける青羽の夢は、排除の悲劇を避けようとする、創造的なものです。


<改心>

「青のパンドラ」で最も重要なのは、大老ポーの改心です。

大老ポーは、奔放なフォンティーンを許さず、ポーの村の地下に閉じ込めて、薔薇にエネルギーを供給させていました。
また、エドガーが少年アランをバンパネラにしたことは、大老ポーが決めた掟にそむくものでした。

ところが、「青のパンドラ」では、大老ポーは、フォンティーンを解放する姿勢を見せ、アランの復活をも助けます。

この大老ポーの改心の理由が何であるかは、まだ語られていません。

実は、大老ポーの改心は、エドガーの改心と同期しています。

旧シリーズでは、エドガーも「もう明日には行かない」という滅びの美学を持ち、アランの生存を諦めていました。
ですが、新シリーズでは、最初から、エドガーの復活を目指しています。

改心テーマを遡れば、直近の「バルバラ異界」の渡会時夫に至ります。

時夫は息子のキリヤに無関心で、捨てたも同然でしたが、自分が仮死状態になったことをきっかけにして、本当の子供ではないと分かったにもに関わらずに、キリヤを愛するようになりました。

そして、キリヤが助かりそうにない状況になったにも関わらず、それを認めずに、助けることに成功しました。

このように、否定していた者を助けた父親時夫の改心は、大老ポーとエドガーの改心の原型です。

時夫の改心のきっかけは、エズラ族の心臓を食べたことですが、これは「ポーの一族」においては、ポーの一族の血を分け与えられたようなものです。

 

大老ポーとエドガーの改心は、何をもたらすのでしょうか?

血の神が憑依して復活したアランは、どう変わるのでしょうか?