私のパニック障害とうつ病(1)

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私のパニック障害とうつ病(196)

私のパニック障害とうつ病

 

(昔の日記・雑記です。パニック障害やアディクションが止まるまでの過程ですが、これで良くなったというものではありません。ただ、何かの参考になればとつらつら書いています。

10年以上前の記憶を辿って書いているので、ところどころで矛盾が生じているかもしれませんがご了承ください。

また、過去の日記帳という名のメモ帳を参考に書いているので、内容が飛び飛びです。)

 

 

親との関係を考えるためにも帰省して両親に会ってきた

そして、祖父母の事も聞いてみた

 

[父親家系]

祖父:教師

祖母:美容師

 

元々は山の方に家があったが、父が産まれた後、街に家を建てる

その後、何回か改装あり

祖父母は共働きだったので、父は伯父の家で育てられた様なものだった

 

私の印象(祖父母の家)

会話が少ない

ピリピリした雰囲気(緊張感が高い)

すぐに角が立つ言い方をする

身内でもお金のやりとりはしっかりしている

 

祖父母はお見合い結婚

祖母は結婚が嫌だったみたいだが、両家の話し合いで結婚

お見合いを2回だけして、結婚の運びとなった

祖父も祖母も学校を卒業してすぐに働いていたため、旅行なんてほどんど行った事は無い

それは子供である(私の)父親も行くことはないと同義

 

[母親家系]

祖父:運転手

祖母:主婦

 

私の印象(祖父母の家)

いつも宴会の様な感じ

各々が好き勝手にやっている

祖母の家事が完璧

子供の頃、泊まるのはいつも母方の家だった、そっちの方が色々楽しいし、楽だった

(父方との家は車で30分しないくらいの距離)

 

お見合い結婚

祖父曰く、互いに一目惚れ

お見合いをするも、次の日仕事で東京へ上京

→祖母は一緒に東京へ行きたかったらしい

知らない間に結婚が決まっていて、結婚の為に帰郷

お互い農家は嫌だと言う事で一致

 

祖父はおしゃべり好きで悪ガキだった

よく廊下に立たされていたと

それでいて生け花をしていて、弟子もいたみたい

生け花の展覧会が年1あったので、よく京都に行って、行きつけの居酒屋も出来るくらい行動力が凄い

 

 

父親の祖母(私から見て曽祖母)が教師で、その教え子が母親の父(私から見て祖父)だったみたい

 

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こんな親に育てられたらどんな人になるんだろうと想像してみた

父親は不良と言われる行為(タバコやお酒)をしつつも、しっかり大学へ行っているし

母親もなんやかんや短大を出ている

子供(うちら)が産まれてからは専業主婦になったが、私が中学の頃からパートを始めて、手がかからなくなってきてからは、パートの時間を増やしていた

 

親への不信感はどのようにして生まれたのだろうか

 

 

 

続き(私のパニック障害とうつ病(198)