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(昔の日記・雑記です。パニック障害やアディクションが止まるまでの過程ですが、これで良くなったというものではありません。ただ、何かの参考になればとつらつら書いています。
10年以上前の記憶を辿って書いているので、ところどころで矛盾が生じているかもしれませんがご了承ください。
また、過去の日記帳という名のメモ帳を参考に書いているので、内容が飛び飛びです。)
父親とお喋りと言っても、ほとんどが近況報告と父親からの話でこちらから話すことはあまりなかった
それは喋りたくないとか、話す内容がないとかではなく、自分の事を話すことに慣れていない
何を喋ればいいのか分からないといった類であった
2件目は親子2人でフィリピンパブへ
父親は月に1~2回行っているらしく、顔なじみだった
そこでも、先ほどの会計を私がしたことを喋っていた
私はお店の人と話すのは苦痛だったが
父親と居酒屋でちびちびお酒を飲むのは嫌じゃなかった
父親との別れ際、嬉しそうにも寂しそうにも見えた
自分がそうだったのかもしれない
最後に「まだ母親とは会えない」と伝えた
父親は「おう」とだけ言って帰った