私の進学について、親は一切口を出していません

 

それは放置に近いくらい何も言ってきませんでした

 

私は友達の影響で中学1年の2学期から塾へ通い始めました

 

当時の期末順位は下位20%(160/200)に入る状態で、成績が良いとは言えない状態でした

 

それでも、中学1年から塾の模試や地域の模試があり、そこには受験希望高校を書く欄がありました(その希望高校の合格率とか出ます)

 

中学1年で希望も何も無かったので、とりあえず知っている高校を書くだけという状態でした

 

中学2年になると2つ上の姉が高校に通います

 

なので、模試での希望高校に姉の高校を書いて、まずはそこを合格出来るレベルにしようと思っていました

 

目標があれば多少頑張れるもので、徐々にではあります成績も上がりました

 

中学2年の2学期には、姉の高校はA判定になったので、次はもう少しレベルの高い高校を指定

 

C判定だったその高校も高校3年になる時にはA判定に

 

そして、更に上の高校を。。。

 

と、繰り返し今、自分のいるところがどのランクに属しているのか、常に確認していました

 

そうして、受験シーズンになり、高校を選ぶ必要が出てきました

 

私の県では主に私立は国数英の3教科・公立は国数英理社の5教科受験でした

 

国語、英語が壊滅的な私は私立に関しては滑り止めの1校のみ受験しました

 

公立に関しては悩みました

 

内申点で決まる推薦では県内でも上位のU高校は入れる可能性は高いのに比べ、実力は追いついていない

 

それに比べ、I高校は進学校であるがU高校より下の所は模試でもA~B判定を行き来するくらいでちょうどいいかもと

 

U高校でも卒業は出来ると思っていますが、多分しんどいと思いました

 

他にもO高校とか、H高校とかもありましたが、家からの距離や進学率、部活の盛んさなどを考慮して、I高校にしました

 

結果、I高校に進学するのですが、高校に進学して思ったのは、やはり英語は赤点回避するのが精いっぱいという事

 

文法はそこまで苦手では無いのですが、読み書きが出来な過ぎたせいで、点数が取れません

 

それでも赤点は回避出来ているし、なんとかなっていました

 

抑うつの様な状態になっても、なんとかなっていました

 

それだけに大学も行けばなんとかなると思っていました

 

なんだかんだ、周りに合わせるので、上位にならなくても、留年は回避出来るくらいにはなっているだろうと

 

なので、大学受験は一浪前提で行きたい大学のみ受験することにしました

 

一浪人前提なのは、高校2~3年は抑うつのためまともに勉強が出来なかったせいもあって、浪人すれば成績が上がる可能性があったためです

 

結果は見事、全部落ちました

 

そして、1年間の浪人生活をしました

 

浪人の間も、親は成績に無頓着で、車の免許を取らせようとするし、遊びに行っても何も言わない人でした

(免許必須の地域ではないが、あると便利くらいな地域です。親がお金を出してくれたので免許は取りました)

 

そんな状態で1年を過ごしたので、成績はそんなに良くならず

 

なので、今度は受かる可能性がありそうな所と受かる所を何校か選んで受けました

 

相変わらず英語は壊滅的ですが、進学後もまぁ何とかなるだろうと楽観視していました

 

国立や理科大みたいな所はどう足掻いても無理なので、最初っから受けませんし、学費がバカ高い底辺校は学費が払えないので受けません

 

薬科大として、許容できる範囲の学校です

 

そして、某薬学部に合格して入ることになりました

 

元々、薬学部の化学、数学はそこまで難しくないし、生物も基本暗記

 

物理も無いこともないが、中学にプラスαくらいの難しさしかないので、基礎学力という意味では、薬学部はそこまで大変ではありませんでした

 

なので、英語はヒィヒィ言いながらも、とりあえず単位がもらえるようにヤマを張って、なんとか単位を取得しする方法で乗り切り、他も友達とか先輩とかから過去問をかき集め何とか試験をパスしました

 

こんな感じで、何とかなるもんだわ

 

と、まぁまぁ予想通りに

 

もちろん、全てが一発合格にはならないので、追試も行いましたが

 

高校でも、大学でも、中に入れば何とかなって、仕事もやってみれば何とかなっている

 

それが私です

 

もしかしたら、無意識に何とかなりそうもない物を排除している可能性はありますが、高校も大学も就職先も自分が決めているので、誰かのせいにも出来ないし、やり遂げる意思だけは凄まじかったと思います

 

それだけに自分の中の何かを犠牲にしていた可能性はあります

 

教室に入れないくらいの状況になったこともあるし

 

警察に迷惑を掛ける状況にもなったこともある

 

病院へ行ってもすぐに良くなるわけじゃないし

 

腕の傷は増えていくばかりだった

 

それでも、自死が出来ないと分かっているから、出来るだけ良い生活を選んで行動するだけだった

 

それが自分に見合った高校と大学で

 

国家資格が取れる(だろう)大学を選び、一浪しながらも薬剤師免許を取得して、今の生活に繋げていると思っている

 

薬剤師なら一生安泰とは思わないが、一般企業より就職しやすいし、不況にも強いと思っている(逆に好景気になっても良くはならないが)

 

そうした未来図をぼんやりと中学生の頃から描いていたのかもしれない

 

生きるために必要な物をずっと否定しないでいられたのが今の生活

 

途中で投げ出すことも、棄てることも出来たかもしれないが、しなかった

 

それがある意味自分を救ったのかもと思っている

 

 

余談

棄てることで生きられる人もいるので、棄てるのがダメと言っている訳ではありません

ただ、私の場合、暮らしを豊かにするためにはお金が必須で、そのために働くことは必須でした

私にとって必須だったのもを棄てなくて良かったというだけです