年が明けた先日
冬の薄い陽の温もりで澄んでいた一日
いつもは素通りしていた駅にある素朴な蕎麦屋で
食券を買おうとしていた時のこと
千円札を入れ釦を押してお釣りを取ろうとした時に
タイミングが悪く強風が吹いてきて
出てきた食券が視界から消えてしまいました
地べたのタイルを見渡しても見当たらないので
券売機の下に潜り込んだのかもと思っても
手が入れられるほどの隙間もなく
これは眼鏡をかけて探した方がいいかと思い
バッグから眼鏡を取り出そうとしていると
その様子を見ていた歳は70代であろう年配の男性が
こちらに近づいてきました
すると すぐに
「お互いさまだから」
とごく自然に話しかけてくると同時に
500円玉を手渡してくれました
他人とのやり取りが上手くない私でも
なぜだかその時は恥ずかしさもなにもなく
真正面を向いて気持ちが素直に言葉として出てきて
「ありがとう ありがとう 大丈夫だからこれ持っていって 気持ちだけもらっておくから」
とその方が差し出してくれた500円玉を
手が少し触れるくらいにお返ししました
その後バッグから眼鏡を取り出して
掛けようとしているとその男性は
「お互いさまだから」とひたすら柔らかい物腰で
口の開いたバッグに500円玉をひょいと入れて去って行こうとするので
すぐに返そうという思いはあるものの
バッグの中には物が犇めきあっていて
500円玉はすぐに見つからず
結局返すことができませんでした
その後 バッグの細い内ポケットに500円玉があるのを見つけ
食券は券売機の発券口の側面に貼り付いているのを見つけたので無事食べることはできましたが
食べてる最中は歳のせいか涙が目にたまり
その時のことを考えていました
親切にしてくれた方は私がどのように見えたのだろう
その男性は年金をもらっていても不思議ではない
財布を持たずポケットから硬貨を取り出したように思えたが
それを思うとどことなくお金に余裕があったようにも思えない
手渡してくれた500円玉を
今は気持ちを上乗せして千円札にして返したいが
どこの誰ともわからずもう会うこともできない
私は返すことができない気の高まりを
どうにかブログに書こうと思いました
書いていると
彼の有名なパブロ・ピカソの言葉を思い出しました
人生の意味とは贈りものを見つけることだ
人生の目的とはそれを渡すことだ
最初この言葉を聞いたとき
贈りものを見つけることが人生の意味とはどういうことだろう
人生の目的が贈りものを渡すこととはなんだろうと思いました
それが今回の事と重なりました
自分が相手の立場だったら
自分の手渡した500円玉を最後に自分が持って帰ることよりも
どうであれ受け取ってもらった方が気持ちよく立ち去れた
あの場面で贈りものを見つけて
それを渡すことができたなら
良いことをしたとかいう気持ちではなく
自然と人生の目的を達した気持ち
幸せな気持ちになれるのだろう
そう思うと私はあの時に素直に受け取り
もっと感謝の気持ちを伝えることに頭を使うべきだったと
自分の未熟さを痛感せずにいられません
それとピカソの贈りもので思い出したのが
先日書いた 感謝のブログ での話
ハルさんの記事を見て感じたことを詩にしたのは人生の意味で
まだ完全ではないが歌詞だけでもブログに綴れたことが人生の目的となり
ピカソが芸術家であることを考えると
贈り物を渡すことと言っていた意味にはもう一つこういう意味もあるのではなかろうかと
賢者の頭の中の一端に繋がったような感覚で幸せになれました
2022年は
人生の意味と目的を知る一年となりますでしょうか

