huluで「桐島、部活やめるってよ」というのを再度視聴し、
少し視点 を変えてみることにした。それにより、また違った
感想を持てた。なるほど、 確かに映画は名作だ。アカデミー
賞?取るのはよくわかる。
この映画は、「桐島」というクラスにとっても絶対的な存在
が部活をやめると 言いだしたとによって描かれる、青春群像
劇だ。 ネタバレ全開で書くので、まだ観てない人という方は
回れ右。
「桐島」はバレー部の精神的な主柱であり、戦力としても
重要なポジションを 占めている。それは、クラスにとっても
同様で桐島の存在は宗教にも似た信仰が あった。それは特に
、スクールカーストにおける上位ほど、強い影響下にあり、
桐島に近しい人間ほど激しく狼狽する。
スクールカスと上位における帰宅部(男)の二人と仲が良い
菊池。三人は気が合うのか、放課後にバスケを興じていたり
する。菊池は野球部の幽霊部員であるものの、試合には出て
くれとキャプテンから誘われるぐらいの才能の持ち主。だが、
万年予選落ちの野球部に期待が持てず、宙ぶらりの状態だ。
しかし、親友関係にある桐島から退部の話を聞かされておらず
、ショックを受ける。やがて、その事実は桐島周辺をひどく
混乱させた。前日に決勝戦を控え、全国出場を狙うバレー部に
とっては、寝耳に水な話。関係者は絶望に近い怒りの感情を覚
えるのだった。
そんな中、スクールカーストにおける最底辺「前田」は映画
部の部長で、この 物語の主人公でもある。前田は桐島と同じ
クラスであるが、そもそも接点すらなく、暗い映画オタクで、
クラスの女子からも笑い者にされている始末。
昨年、一次予選を通った「君よ拭け、僕の熱い涙を」は顧問
から無理やり撮ら された映画で、周囲からバカにされ不満を
溜めいているが、次回作のゾンビ映画 で挽回を図ろうとして
いた。
物語が進行するにつれ、桐島にまつわる各々の事情が伺えて
くる。どうやら桐島と親しい連中というのは、典型的な「保留
型人間」らしい。クラスで偉そうにしている が、ダラダラと
青春を消費し続けるだけの存在。桐島に、いかに 依存していた
のが徐々に明らかにとなる。特に帰宅部の二人などは、スクール
カースト上位に所属していながらも「虎の威を借る狐」という
構図がわかって 来るのだった。しかし、帰宅部の二人が口する
ことといえば、努力をしても無駄だの、一所 懸命に努力して何に
なると、他人を見下してもいる。
そして菊池の彼女でもある、野崎という女は性格が最悪。
恋敵が現れば、キスを相手に見せつけるように 女だ。こんな女
に捕まる菊池の馬鹿さ加減が伺える。次に、校内でも評判で美人
と持て囃された桐島の彼女は、見た目が綺麗なだけの置物に過ぎ
ず、野崎と似たような他人を卑下するような意識を共有している。
「こんな綺麗な私だから桐島のようなできる男と付き合って当然」
と思っているだ。この女は桐島が好きというより、桐島の「価値」
が好きなのだろう。ようはこの二人は典型的なビッチなのだ。
しかし、元から信頼されていなかったのか、桐島から何も聞か
されてどころか、連絡すら取れずに終始イライラしている。
ザマアミロでございます。
一応、ヒロイン的立場にいる宮部は、帰宅部の片割れと付き
合っていたりと ピュアボーイズにとっては刺激が強い。しかし
本当は映画が好きなのにも関わらず、流されるようにバドミン
トン部に所属したりと優柔不断だ。こいつもどちらかと言えば
世間体ばかりを気にする保留型だ。その友人でもある東原は
ビッチ二人とは距離を取りつつも、努力してもどうにもならない
才能の差を悲観し、惰性で打ってるヒロインに嫉妬している。
勝ち負けにこだわるあまり、負け組でもある映画部に対しても
偏見的な視線を向けているようだった。
これらのことから、桐島周辺の人物というのは、いわゆる
現代っ子で、何をしても無駄だと、どこか諦めてしまってる節が
ある。それは、結果ありきの現代社会の弊害 だとも言える。今の
子供たちは、気にくわないことがあっても、不平不満を口に する
ことなく、妙に内に篭ってしまう。昔は暴力であったり、大人へ
の反抗で あったりと、分かりやすかったが、彼らはそうではない。
すぐに諦め、やっても いないのに、早々と結論付けてしまう。
だが、裏を返せばスクールカースト における上位者とは、その
コミュニケーション能力、容姿になどにより、総合する と「とり
あえず、勝ち組」と捉えることもできる。ただ、このまま進めは
何事にも期待が持てず、日々人生を消費していくだけの「つまらぬ」
大人になってしまうだろう。
それが、彼ら「保留型」の人間の特徴だ。 正面から戦うことを
拒否し、「とりあえず、負けてはいない」という概念を保持をし
続けることによって、元からある自身の価値を高めている。少し
難しい 言い方だと「ルサンチマン」という言葉が用いられるかも
しれない。しかし、その心の反動は 、意味もなく放課後にバスケを
やるという行動に反映されていたのではなかろうか。
おそらく、「桐島」にとって「彼ら」というのは、自分という
ブランドに依存 しきった狡猾な存在だということを前々から見抜
いてしまっていたのだろう。しかし、 その価値観はやがて、周囲
の期待となって桐島本人に重くのしかかる。誰もが桐島におんぶ
に抱っこだ。構図的にはこれほど、情けないものはないのだが、
それだけ桐島が優秀だという証明でもある。
だが、その緊張の糸は バレー部、地区予選の決勝寸前で途切
れてしまった。仮に、決勝で 敗れてしまえば桐島と自分という
ブランドに傷がついてしまう。彼らの失望を招き 、今まで維持
してきた威厳や尊厳もなくなる。また、彼らにとっても「桐島で
すら 、ダメだったんだ。きっと努力しても無駄なんだと」という
決定的な理由づけにもなってしまう。これは桐島にとっても悔し
いし、面白くないだろう。だがしかし、桐島はその重圧に耐えら
れなくなり、逃げ出してしまったのだ。
結果、桐島不在のバレー部は決勝で敗れる ことになる。桐島
の代わりにリベロを務めた同級生に関しては気の毒な限りだ。
そして、菊池という男は、桐島並みの才能があるにも関わらず
、「彼ら」に見下さ れるのを恐れ、早い段階で野球を投げ出し
逃げてしまった張本人でもある。
実のところ、菊池は彼ら同様、桐島を「担保」し続けることに
より、責任や重圧 を桐島一人だった。そんな人間に対し、桐島が
「親友」だと思えるわけがない。また、そんな「彼ら」と同調して
しまう菊池を、心の底から信用できるわけなかろう。だからこそ、
桐島は退部の話を打ち明けなかったのだ。
その一方、引退もせずに、懲りずに野球の試合に出場するキャプ
テン。プロのドラフトなど、万が一にも声が掛かる筈もないのに、
ドラフトが終わるまではと、野球を続けている。たとえ、周囲にバカ
にされ悲観されたとしても、なぜキャプテンはそんな状況下でも野球
を続けることができたのか。菊池の中では多くの疑問が渦巻いただろ
う。
だが、その疑問に対する決定的なアンサーが映画の最後に現れる。
それは、主人公の前田が菊池にカメラを向けるシーンだ。
「将来は、映画監督ですか? 女優さんと結婚? それとも、
アカデミー賞ですか?」と、冗談交じりに皮肉を言うのだが、前田
から思わぬ返答がかえってくるのだった。
前田はこう答える。
「うーん、映画監督は無理。でもね、映画を撮り続けることに
よって、俺たちの 好きな映画と、自分たちの撮ってる映画が
『繋がってる』いるような気分に なれるんだよね」
その言葉を聞き、菊池は桐島の本心に気付いてしまう。この
『繋がる』と言う 表現は、まさに桐島が菊池に本当に伝えたか
った言葉を代弁していたのだと思う。
なぜなら、もし、菊池が野球部をそのまま続けていたのなら、
桐島と同様、 野球部で期待されたポジションになっていたから
だろう。菊池にはその力が 十分にあった。さすれば、ワンマン
で頑張る桐島の感じる不安やプレッシャーも 、意識として共に
分け合い、桐島と『繋がる』ことができたからだ。似たような
立場の者同士、その中で苦楽を共にしたのであれば、桐島が抱
える「悩み」も少し は理解してあげられたはず。だがしかし、
桐島はひとり孤独だった。バレー部や学校の 期待を一身に背
負い、戦いを強いられて居たのだ。桐島はその助けのサイン
を菊池 に送っていたのかもしれない。だが、菊池は薄々勘付き
ながらも、そのサインを 見て見ぬ振りをしていたのだろう。
そんな菊池に対し、前田は8ミリカメラを向け菊池を
ファインダー越しに覗く。
「うん、カッコいい。やっぱりカッコいいよ」
前田は単純に菊池の容姿を見て褒めただけなのだが、菊池
はそう受け取っては いない。何故なら、桐島に責任の全てを
押し付け、クラスの人間と同調し、桐島から逃げていたのだ
から、カッコ良いはずがない。それに比べ、周りを気にする
こと なく、最後の瞬間まで野球を続けるキャプテン。顧問の
意見に反抗してまでも好き なゾンビ映画を撮り続ける前田。
そんな面々を前にして、自分がカッコよく映るわけないのだ。
そこにいるのは、親友でもある桐島を裏切り続けてたきた
「情けない人間」なのだから。
感極まった菊池は、後悔するかのように半べそをかき、
その場を去って行って しまう。こうして、物語は幕を閉じる
のだった・・・。
どうやら、菊池という人間は、他人から見下されたり、嫌わ
れることを極端に 恐れいていた人間だったのだろう。桐島も
また、そうだったに違いない。周囲の 評価を気にし、常に苦悩
していた。勝負事というのは、勝ち負けだけの単純な話にも関わ
らず、バレー部やクラスの人間のくだらぬ価値観に流さてしまっ
たのだ。
だが、前田が言ったような精神的な「繋がり」というのは
既に勝ち負けを超越し、 遥か先、遠くを見据えた大事な話でも
ある。それは、野球部のキャプテンにも同じことが言える。
野球をし続けることにより、遥か遠くにいる存在と繋がって
いると感じられる。その信念こそが彼らを強くしたのだ。だから
こそ、続けることができたのだ。その感情はやがて、人生の指針
としても多くの富をもたらすことだろう。たとえ、自分が何者に
なれなかったとしても、その努力は先の世界で生き続ける者に
とっても最大限の勇気や賛辞を送っているとも言えるのではなか
ろうか。
人生というのは、勝ったり負けたりの繰り返しだ。しかし、
日々の勝ち負け など、大したことではない。些細なことなのだ。
大事なのは、そんな弱いに自分に『負けないこと、投げださ
ないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと』(笑)
挫けそうになりそうな時、それが一番大事!(爆笑)
ってことなんですよ!!!!
という感じで、ネタバレ全開で書いてみたが、オチがついた
の良かった。
自分も高校大学と周囲に見下されながらも漫画を描いていた
わけだが、 いくらオタクだなんだと叩かれようと、不思議と
平気だったのを覚えている。 それも、前田のいう世界の
「繋がり」をどこかで感じていたからかもしれない。 他人に
何を言わようが「いま、全力で打ち込んでいる」と感じらる
のであれば、 周囲の雑音なんてものは、やがて消えて無くな
ってしまうのだから。