世界で始めての民主主義 | アイコの世直しブログ 

アイコの世直しブログ 

日本人による、日本人のための、日本改革ブログ!
日本人よ、民族の誇りを取り戻せ!!

アイコのブログをご覧頂きまして、誠にありがとうございます。
ブログランキング参加中です。たくさんの人に読んでいただきたいです!クリック感謝いたします。
人気ブログランキングへ

さて、今日は十七条の憲法の話をしたいと思います。

早くから日本人は自分たちの国を大和、つまり「大きな『和』」の国と呼んでいました。
また、和風料理、和風建築、和風旅館と、「和」という漢字を日本の代名詞として私たちも普段から当たり前のように使っています。

和の精神がどれだけ私たちに根付いているかわかろうというものです。

源平合戦、戦国武将の争いはありましたが、日本の歴史のほとんどが争いのない平和な時代でした。

この理由を単一民族のみに求める人が多いのですが、それだけではないと思います。

縄文時代まで遡れば、日本は今よりもずっと、他民族的な色彩の残る国でした。

北方、南方、朝鮮、さまざまな民族が日本列島に流れ込んできました。多種多様な人種、民族が混血し、誕生したのが日本民族です。

今でも九州の人と東北の人では、ずいぶんと顔つきが違います。

西欧や中国ではあとから別の民族がやってくれば、先住民との戦いになります。
そして負けたほうが滅ぼされました。

中国ではつい最近までそのような抹殺されるか生き残るかの興亡を繰り返してきたのです。

今の中華人民共和国は、建国61年です。まだ国ができてから61年しか経っていません。
今後また新たな勢力が力をつけ、今の政府を覆すことがないとは限りません。

ところが、日本では、後から来た者が先住者を駆逐しなかたし、先住民族も後続の民族を締め出そうなどとは考えもしませんでした。

互いに融合して新たな民族を築きました。

共生共存・融合の思想があって、日本民族があるのです。

まさに縄文時代から日本は大和の国でした。

この和の思想が、日本人の指針としてはっきりと明文化されたのが、聖徳太子十七条の憲法でした。

太子が604年に制定した十七条の憲法の第一条は、ご存知のように「和を以て貴しとなす」です。

これは、世界で初の民主主義の萌芽でもありました。

太子が唱えたのは、単に仲良くせよといった道徳律ではありません。

その後に続く文章には、「ものの道理、正しい筋道は、上下の者が隔てなく、よく話し合ってこそ初めて見えてくる。そのようにして道理を貫けば、何事も成就する」と具体的な教えが書かれています。

上下の隔てなく話し合い、正しい筋道を探り、政治を執り行え、という十七条の憲法の第一条は、まさに民主主義の精神を述べたものです。

西欧の民主主義の源流は、1215年イギリスで制定された「マグナ・カルタ」とされています。
マグナ・カルタとは、イングランドの憲章で、ジョン王の権限を限定する法です。

それに遡ること600年、すでに日本では民主主義が芽生えていたのです。

聖徳太子が十七条の憲法を発布した七世紀初頭のヨーロッパは、どのような状況だったのか。
西ゴート王国(415年~711年現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国)や東ローマ帝国(395年~1453年東西に分割統治された以降のローマ帝国の東側の領域を指す通称)といった国はありましたが、大半が未開の地で、部族が互いに覇権を競って闘争していました。

ヨーロッパ大陸が混乱の極みにあり、血で血を洗う戦いが繰り広げられていたころ、日本では「平和憲法」がすでにできあがっていたのです!

世界で初めての民主主義「十七条の憲法」を作った日本という国に誇りを持とう!という方クリック感謝いたします。
人気ブログランキングへ

「みかんの花咲く丘」です。
まだまだ寒い日が続きます。ビタミンたっぷりのみかんを食べて風邪を引かないように気をつけましょう!予防接種よりも「みかんを食べよう」!!

ありがとうございました!
今日はラッキーなことがいっぱいありますように☆