神道こそ人類を救う世界宗教 | アイコの世直しブログ 

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日本人による、日本人のための、日本改革ブログ!
日本人よ、民族の誇りを取り戻せ!!

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日本には古代からある「神道」があります。
いわゆる私たちがイメージするような宗教とはちょっと違うような、、、でも私たちに根付いている理由、それを今日はお話したいと思います。

日本がいかに恵まれた土地であるかを私のブログでも度々お話していますが、その豊かな自然のなかで育まれた日本独自の宗教が神道です。

神道は世界的に見ても非常に希な宗教です。
欧米の宗教には相当する概念さえありません。
経典もなければ、教団や宣教師もいない。
神像や十字架といったものも存在しません。

神社のご神体として据えられているのは主に鏡です。
これは己の心を映すという意味なので、何かの絶対神を想定して拝み奉っているわけでもありません。

そもそも神道とは古代から日本の国に存在してきた固有の信仰・文化の総称で、外来の宗教と区別するために「神道」と呼ばれました。

要するに、古代から私たちのご先祖さまが培ってきた日本人の心のありようです。

元来は、これを「惟神(かみながら、または、かんながら)の道」と称していました。

惟神・・・神のおぼしめしのままに。

惟神の道とは、神様の仰せられた御言(おことば)と、神様の遊ばされた御行為(おんし
わざ)を手本として、私たち人間が、自分勝手の心を捨てて、一途に神様の御言御行為を
実践することを旨として生きる道のことです。

恵まれた自然とともに暮らしてきた日本人は、古来から山には山の神が、海には海の神が、森、木あらゆる自然に神が宿ると考えてきました。

まさに八百万の神の国で、自然に畏怖の念を抱き、敬虔な祈りと感謝を捧げる、現代風に言えば、自然との共生の思想が古代から根付いていました。

自然をあるがままに受け止め、畏敬し、感謝し、自然に溶け込もうとする融合の考えかたが基本にあり、これが西洋のような争う文化ではなく、分かち合う文化となって発展しました。

何も自然だけではありません。
日本人は、物を投げたり、粗末に扱ったりすることに罪悪感を感じるし、枕の上に足を置くなとか、人はもちろん物を跨ぐな、ゴミ箱以外にその辺にゴミは捨てるな。そして、例えば踏み台にする椅子でさえ乗るときは、西洋と違いきちんと靴を脱ぎ、ちょっと躊躇しながら乗ります。

そういったこと全てが、物に宿る神様の存在を誰もが気にかけているからです。

こうした思想は、他の宗教のように賢者や聖人によって説かれたものではなくて、民族の発生と同時に自然と発生したもので、日本列島で自然と共生してきた我々の祖先の間に生まれたこの自然崇拝が、やがてひとつの信仰となったのが神道です。

豊かな日本と比較して、厳しい自然と痩せた土地の中東やヨーロッパで育ったのは、他を排除するという一神教です。

自然崇拝の多神教が民族の体質として根付いた日本では、後に仏教やキリスト教、儒教などが入ってきても排除することなく、受け入れました。

神道というと、戦時中の国家神道をイメージし、悪の権化のように非難する日本人がいますが、神道は世界に誇れる日本人の魂を具現化した宗教なのです。

神道の普遍性を見抜いた西洋人のひとりに、世界的な歴史学者のアーノルド・トゥインビーがいます。1967年秋、二度目の訪日を果たし、伊勢神宮に参拝したトゥインビーは感動して毛筆でこう記帳しました。

「この聖地において、私は全ての宗教の根源的統一性を感得する」

彼は、神道こそ、地球人類を救う普遍的な世界宗教になると予言しています。


他の国々のような排除する宗教ではなく全てを受け入れる、この大きな温かい宗教に包まれた日本に生まれて感謝という方クリックありがとうございます!
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今日の歌は「汽車」です。
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