少し話しは遡りますが、先だって集落より地域集会の「召集」がかかり出席しておりました。

この集まりは、地区の関係者が参集し様々な地域の課題が協議され、行事や共同作業などの詳細がを決める大切な会合です。

地域が主催する行事や住民が一致団結して行う公共作業について、順次提案や報告がなされ、それに対して参加した人々によって、ひとつづつ確認と検討が加えられ、決定されていきました。

田舎の小さな集落であり、多くの住民が先祖代々この地で暮らしてきた人達です。

大変重要な会議でありながらも「和気藹々」の空気の中で円満に決議がなされていきました。


さて、今回、僕にも召集が掛かったのは、この会合で「来年のお祭りの運営体制」に関して協議がなされる事となっていたからです。

集落において「氏神様の祭礼」は、最も大切な行事の一つであり、その協議は、最重要課題となっています。


200年近い伝統を誇りながら、終戦後30年近く途絶えていたお祭りを再興して始まったのは、今から25年前のこと。

当時成人式を迎えたばかりの僕は、その復活の時よりお仲間に加えていただき、今日まで、その情熱を傾けてきました。

そんな先達たちのご尽力で復活したお祭りも20年近いの時を経る中で、「古式ゆかしい」ゆえ「はなはだ地味なスタイル」の様式に若い世代には魅力的に映らず、「お祭り離れ」から、後継者不足に直面し、存続の危機に見舞われたのでした。

そんな危機に直面した中で、若い世代をお祭りに呼び戻し「赤ちゃんからお年寄りまで集落を挙げた盛大なお祭りを実現したい」という思いを共有した仲間たちとともに一念発起して「手作り山車」の建造に取り掛かったのです。


それから、早やまる5年。

当時30数名で細々と守り伝えてきたお祭りも今では、若い衆たちの威勢の良い掛け声が響き渡り、直接係わる人員だけでも300名を超える集団へと発展成長を遂げる事が出来ました。

そして、今では集落の皆様が「春のお祭り」を心から待ち望んでくれるようになり、お祭り当日には千人以上の人々で神社の境内が埋め尽くされるまでになったのであります。


さて、この5年間の努力が実り、盛大に盛り上がってきたお祭りです。

来年も更に大きく発展させ成功をさせなければなりません。

そのための体制をどうするかが、協議されたのです。



その協議の席上において、祭礼の「頭(かしら)」である「祭礼部長」に任命されました。

これまで、歴代の祭礼部長にお仕えし、お祭りの成功に微力ながら尽力してきましたが、平成21年、自らがその役目に付く事となりました。


「祭礼部長」という役目は、本当に激務であります。そして、大きな責任をその背中に背負う事となります。

この数年間、その責任の重さを間近で見ながら、事の重大さに身が震える思いがいたします。

でも、地域の皆様が、この非力な僕に対して大きな信頼と期待を寄せてくださった事を何よりも名誉な事と受け止めたいと思います。

そして、僕をここまで導き、そしてこの大役に推挙してくれた先輩諸氏に少しでも恩返しをしたいと思います。

その思いを胸に、来年の春までこれまで以上に心血を注ぎたいと思います。


幸い、この5年間のあいだで多くの信頼できる仲間が出来ました。

そして、これまで同様、先輩諸氏も僕を導いてくれるはずです。

その仲間達の力を借りれば、きっと大丈夫だと確信します。

新しい次代を担っていく仲間たちと僕を引き立ててくれた先輩諸氏と「一致団結」して進んで行きたいと思います。




いよいよ「平成21年」の始まりです。