西洋古陶磁器夜話

西洋古陶磁器夜話

数々の西洋古陶磁器と日々触合っている筆者のつぶやき、ぼやき等をざっくばらんに公開します。
アンティークコレクターやマニアの方々との座談会広場として交流の場になれば幸いです。

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永らくご無沙汰いたしました。

実は先日、英国オックスフォード在住の古い付き合いのあるセラーから、ある磁器を購入致しました。

現物が届き詳しく検品致しました処、予想通り正に鳥肌物のARマークマイセン磁器に間違い無いと思われる名品でした。

これらは、19世紀に多く焼かれたARマークの模倣品やヘレナ・ウオルフソン/・ドレスデンのARマーク等とは全く違い、素晴らしくクオリティーの高い又、非常に保管状態の良い逸品で御座いました。(^^)  ww 

そこで、今回は改めてマイセン窯ARマークについて、その歴史を踏まえ当方保有のコレクションのデーターも交えながら再考してみたいと思います。

■マイセン窯史概略

マイセン窯はご存じの通り、アウグストⅡ世強健王・ポーランド・リトアニア共和国国王(ザクセン選帝侯としてはフリードリッヒ・アウグストⅠ世と呼ばれた)の命に拠り、欧州で初めて磁器の焼成に成功した世界最高峰の名窯です。

彼は大変な怪力の持ち主であり「強健王(Mocny/モツヌィ)」「ザクセンのヘラクレス」「鉄腕王」などの異称で呼ばれておりました。

august2

このアウグストⅡ世強健王の磁器生成に対する非常な熱意は、当時に於いてビッグビジネスとなりうる打算に加え彼自身が大変な東洋磁器のコレクターであった事に帰すると思われます。
なにせ、17世紀~18世紀初頭の欧州に於いて東洋の磁器は、同量の金よりも高価な品であったのです

後に彼はコレクションの磁器を展示収蔵するために大小の宮殿を造営し、自らの展示品を眺める事を無上の喜びとしていたそうです。

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ヨハン・フリードリッヒ・ベトガー
(1682~1719)は、ザクセン国に対立するフリードリヒ・ウイルヘルムⅠ世統治のベルリン王宮に仕えた錬金術師であったが、諸事情によりアウグストⅡ世に庇護を願い出た。

当初彼は錬金術(金銀以外の鉱物から金を造り出すと言う大変キナ臭い学問)に拠る金の制作を命じられるが、基よりそれまで成功経験が無かった様で(^_^;)ザクセンから逃げ出してしまいましたが、又直ぐに連れ戻されたそうな・・

1700年頃より城内に幽閉状態となったベドガーは約10年に及ぶ試行錯誤の末、1709年3月アウグストⅡ世に白磁の完成を報告し、1710年には欧州4カ国に於いて本格施釉白磁の完成を発表するに至った

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1710年、ドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」が設立され、硬質磁器製造の独占権が与えられました。

これが現在の「国立マイセン磁器製作所」です。

■マイセン磁器の作風

最も初期のマイセンのデザインはアウグストⅡ世や当時の欧州市場の状況を反映して、中国の青花磁器や日本の伊万里、柿右衛門等を基調とした図柄が中心となっていますが、1720年にウィーン窯から招かれた芸術家であり絵付師のヨハン・グレゴリウス・ヘロルト(1696年~1775年)らによって次第にヨーロッパ的なロココ調の作品が主流になりました


             中国五彩様式作品
                               マイセン 柿右衛門様式
              ヘロルト様式ロココ作品



■マイセン窯の年代別マーク

1720年~現在まで、マイセン窯に於いては年代別(工場長の交代期)にマークが変貌します。

各ピリオド(年代)ごとに「マーク専門に書き入れる職人」が数人づつ存在します。


上部写真のマークはマイセンが発表しております一覧ですが、年代別の区切り等は実際にはもっと細かい上、マークの形状等も異なっております。


上部写真は、18世紀初頭~1763年に
実際にマイセンで使用されたマークの編集分です。

上部写真は、1725~63年に
実際にマイセンで使用されたマークで、弊社保有商品分の現物写真です。

ここでは紙面の制約上18世紀に使用されたマークの一部のみの掲載とさせて頂きますが、後年実際に使用されましたイセン双剣マーク詳細画像弊社ホームページの各商品ページ内に於けるマーククローズアップ写真をご参照下さい。

■【マイセンARマーク】考察

さて、前置きが長くなりましたがこの辺で漸く本題に入らせて頂きます。

【ARマーク】のARとは、Augustus Rex/【アウグストゥス レックス】の略でフリードリッヒ・アウグストⅠ世(アウグストⅡ世 強健王)の事を指します。

このマイセンARのモノグラムはマイセン王立磁器工場の創設者であるアウグストⅡ世 強健王への献上品や王室のスペシャルゲストへの贈り物限られて使用された特別なマークでした。

ARマークは他の双剣マークと同様に素焼きに呉須で手描きの上に釉掛けが施され、そのパターンにはいくつかのバリエーションが存在します。
*上部マーク編集写真の左側の画像をご参照ください。

マイセンARマークを持った作品は現存数が大変少ないうえ、市販品はほとんど存在しない為非常に高価である事は言うまでも御座いません。 

現存する作品の殆どは、王室資料館や博物館に保管されております。

これからご紹介致しますのは、6年程前にベルリンのある不動産業を営む知人より入手致しましたカップ&ソーサー2点と冒頭で申し上げましたディッシュ2点合計4点です。




写真1 ↑








写真2 ↑









上部9枚の写真が以前ドイツより購入したセットですが、この2つのペアーセットが写真1のセットARマークの真贋を判定するのに非常に重要な役割を演じました。

ARマーク真正判定の根拠を列記致しますと次の通りとなります。

1.先ず第一に、写真2のティーカップ&ソーサーセットの双剣マークがまぎれも無く真正のマイセン(1725~1763年)作品に間違いないと判断される事。



2.両作品共、生地の材質、焼成、釉薬、絵付け、金彩等の材質、クオリティー、技術が非常に高く又、同一のペインターに拠る絵付けだと推測される事。

3.写真1はNo,9、写真2はNo,10金彩師ナンバーが記載されている事。

上記事由に拠り、写真1の作品は18世紀前半期に於けるマイセンARマーク作品である根拠となった訳です。

もっと細かく分析しますと、ヘロルトウイーン窯よりマイセンに移籍したのが、1720年

それまでのマイセン窯は、シノワズリ(東洋嗜好主義)スタイルの絵付けが中心でした。

こちらの2点は、18世紀初頭欧州に於いて流行していたロココスタイルで、フランスの画家アントワーヌ・ヴァトー/Antoine Watteauが描いたロマンスシーンをモチーフとした作品となっております。

                               
Antoine Watteau

実際に
マイセンがロココスタイルの絵付けや造形を開始したのは、1720年以降と言われております。

又、アウグストⅡ世強健王(ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグストⅠ世)1733年死去後、息子のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグストⅡ世が、ザクセン選帝侯となり、後にアウグストⅢ世として次のポーランド王に選出されている為、その時期の献上品、贈答品として制作された可能性もあると考えられます。

上記を踏まえ、こちらの2点は1725~1730年代中盤までの間に制作された作品だと考えられると思います。

■さて、この辺で先日手に入れた2点をご紹介させて頂きます。




写真3 ↑
2


写真4 ↑
1











マークをご覧頂いてお判り頂けたかと存じますが、写真3、写真4の作品と写真1の作品のARマークは全て同一のマーカーの手に拠りマーキングされたものと思われます。

写真1、2の作品も18世紀前半の作品(300年物)と致しましては、かなり上々のコンディションで御座いますが、写真3、4に於きましては全く信じられない程の状態の良さです。

恐らくキャビネット等にも飾らず、箱詰めの状態で保管されていた感が御座いますが、正真正銘の18世紀初期の作品で御座います。

皆様の御忌憚の無いご意見や御質問をお待ち申し上げております。


それでは又・・ m(_)m



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