誰にでもあるらしいが
私にとって 5月 6月は ツイてないとか
バイオリズムが低下するとか
言葉は忘れたけれど
そのような占いを何度か聞いたことがある

それでも 外へお勤めに出なくなり
会社員の頃の100分の1くらいの苦難で
生きられるようになってからは
アクシデントも 回数が減り
なんとか心臓を守りながら生きていけている
アクシデント時の心臓の痛みは
子供の頃から本当に恐怖だ

ところでわたしに何が起こるかというと
要するに 
学校へ行っても 何かよくわからない
社会に出ても 何かよくわからない
そんなことでは よくわからないまま
気づかないまま
置いてけぼりをくう 

でも まともな自分もいるから
それに気づいた時のダメージを見過ごせないし
事が起きてからは理解できる

例えば下校して自宅に着く
宿題はない
翌日学校へ行く
私は宿題をしていない
忘れた子は毎日居残りをする

つまり私にとっては忘れたのではなく
宿題はなかったという認識 家では

でも学校へ行けば
あったことも否定できない

でも昔は 先生や親のサポートが
今のようには なかった
誰も心配もしていなかっただろう

成績は中の上くらいだから


進学も就職も 仕方がわからなかった
相談できる人もいなかったし
相談をするという知識もなかった
親と先生が決めた進学校へ行き
高校にも馴染めず
3年生になったけれど
良さそうな大学には入れそうもないが
進学校へ行かされた身からすれば
就職をする気はない
というかまだ子どもなのに
何もわからないのに働くとか
わけわからん……

という理由で 専門学校へ進学した
高校より楽しかったけれど
授業の目的はよくわからなかった
生活のために
おしゃれな飲食店でアルバイトをしたけれど
他のスタッフとは ルックスが違いすぎたため
社長から「ブスは引っ込んでろ」と
洗い場へ送られた
洗い場は良いけれど理由はひどいな…

また就職活動の時期が来て
いちばん文字の大きな求人票の会社を選び入社した
仕事は覚えられなかった
3年で20kg痩せだけれど
石にはかじりつくもの
私は何でも
すぐに辞めたことがなかったなぁ
そして3年4ヶ月でやめた
 

次に 23歳の花盛り
この世の果てのような
朽ちた薄暗く汚い工場でパートを始めた

26歳でイヤイヤながら結婚した
相談できる人がいなかった


入社してもみんなどんどんやめていくような会社で13年勤めた

辞めるきっかけは 社長の裏切
そこを去ることにした
辞める前の数ヶ月で
7kg痩せた


辛かったけれど
ものづくりや職人気質といったことは
長い時間をかけて そこで身についた

こんな私では
こどもは育てられないので
産まない条件で結婚したのに
17年目  赤ちゃんが産まれた
とても不安だったけれど
相談できる人はいなかった

このような具合で
いつもちょっと待って
まだ決めていないのに
進学 就職 結婚 育児と
思わない方へ運命していく
私は何もわからないこどもなのに と
いつも思う
こどもが働いたり育児をしたり
自分をそんなふうに思う
ずっと優しい親元で箱入り娘の一生が理想だったけれど
私は出ていく子として育てられていたから
お支度金をもらって家は出ていく

こうして暮らしていても
私だけ知らない、聞いていない
そう思うことがまだ続いている

また昨日 オートロックの鍵が壊れたので
管理人さんに交換先を尋ねた

教えてくれた会社に現金書留を送ると
返信の電話がきた
「この鍵はもう 製造をしておらず 追加で
作ることができません」
私は
「管理会社には伝えていますか?」
と尋ねた
「お伝えしています」

私は管理人は知らないのだと思い
これからの人のためにも周知しなければと思い
管理人さんに
「この鍵はもう作れないそうです」
と伝えに行くと
「そうですよ」
と返された
知っていたなら 昨日言ってほしかったと思ったけれど
「みんな知っているんですね
知らないのは私だけ…」
と言うと
「そうですね」


まただ 私は理解できていなかった
知らなかった
忘れていた?
全く記憶にない
誰も悪くない

このような落ち度が
そういえば5月から増えていた

でもいつもひとりだから
リカバリーできるし
誰にもバレないから責められることもない

私はこうして 他者より何倍も
経験と時間を重ねながらでなければ
何もできない
ゆっくりゆっくり

不器用でも仕上がりにはこだわるから
ずーっと仕事に手を取られる
前に計算したら 時給は¥80 くらいになってしまう

でもそれが私なんだ
とても器用な人だと思われている
自営業ができるママ

大きく見せたりはしていないから
こんな私でも
隣の芝というやつなのだろう

落ち込みながら
プハーッと吹き返しながら
私の居場所を見つける旅はまだ続いている