カウンセリングのことをまったく知らない人に、

「カウンセリングって何するの?」と素朴に聞かれることがある。

「・・・・・・・。」しばしの沈黙。

カウンセリングって、何をするんだろう。どんなことに効果があるんだろう。

これは伝えていかねばならんなあ。



カウンセラーは、カウンセリングの対価としてお金を頂戴します。

そのお金って、何に対するお金なんだろう。

だってカウンセラーは、占い師みたいにアドバイスをくれるわけじゃない。

お医者さんみたいに薬を処方してくれるわけでもない。

モノを売るわけでもない。いったい、何に対してお金を払うのだろう。



強いていうなら、トレーニング料?それにしても、カウンセラーは

「ああしろ、こうしろ。ここを直せ」なんて言わないもんだから、自主練に近い^ ^;

何を求めて、何に対してお金を払うかはクライエントさんによって違うとは思うが、

私が思うカウンセリングの「売り」は、安全な試行錯誤スペースである点。



人の成長には迷いや失敗や反復が必要。大人になったからといって、

いつでも一発合格や的確な判断ができるとは限らない。だけど見渡してみて・・どうでしょう?

失敗が許されない場(と私たちが思っているだけなんだけど)の、何と多いことか。



自分のペースで自分の才能を発見したり、開花させたりする喜び・・感じてますか?

自分のために生きていないと、いつしか、「何のために頑張っているんだろう」

「何のために生きているんだろう」そんなギモンが生じてきますね。

このギモンって、実は怖いですよね。自分の存在がかかったギモンですから。

だから、そのギモンを打ち消すように、終わりなく自分に鞭打ってしまう・・。



子どものころ、試行錯誤させてもらえなかった人、大人になってからできなくなった人。

誰かの夢をかなえるために必死に生きてきて、いい加減疲れちゃった人。

もうず~っとず~っとつらい思いを抱えて生きてきて破裂しそう&息切れしそうな人。

なんだかもっと違う自分がいるんじゃないかと、うっすら気づいている人。

今までうまくいっていたことが、うまくいかなくなってきた人。



カウンセラーはその思いを聴きます。聴きながら、その人にとっての幸せって何だろうと考えます。

その人が自分の人生を大切に思えるまで、その人らしい選択ができるまで、いくらでも付き合います。

否定や批判をせず、クライエントさんが自分の気持ちに集中できるような空間を守ります。

カウンセラーは、そんなことを頑張っているのです。



カウンセリングによって、どんなことが起こるかは断定できません。

このような方向に持っていきますからね、という宣言もできません。

だけど、カウンセリングによって人間のチカラってすごいなあとか、

人の存在ってすばらしいなあと思うできごとには、よく遭遇します。


抽象的ですが、今日はこのへんで。







シマシマカプチーノ

【エンカウンター】

“エンカウンター”という用語は、“出会い”という意味です。

エンカウンターとは、人と人との縁を大事にしたふれあいであり、

本音と本音の交流をするという意味でも使います。

エンカウンターでは本音を表現しあい、それを互いに認めあう体験をします。

この体験が自分や他者への気づきを深め、人と共に生きる喜びや

自分の道を歩む勇気をもたらします。


エンカウンターとは、何も特別なことではないのです。

日常の中で本音の交流をし、他者と信頼関係を築くことができ、

自分らしく無理なく暮らしている場合、エンカウンターの精神が

日常に根付いているといえるでしょうね。

それをあえて2泊や3泊の宿泊で、もしくは丸1日を使ってやる意義とは。

・・というのを最近考えはじめました。

○自分の力を再発見し、新しい自己概念を持てる

○自分が他者に貢献している事実に気づく

○自分が他者に受け入れてもらっている事実に気づく

私個人は、↑のような体験を何度も何度も重ねてようやく、

ナチュラルに人を信頼することができている自分を発見!!

これまでの自分の経験で、無駄なことは何ひとつない。

今の自分にたどり着くために、すべてなくてはならないものだった。

そんな風に思うたびに、ひとつひとつ癒されてきたように感じます。

エンカウンターワークショップに参加することは、私にとって

積極的に自分を癒すことであり、自分の意思で人生を生きること。

大げさなようだが、そんな風に思う今日この頃・・。

カウンセリングは、エンカウンターを2人でやっているようなもの。

クライエントとカウンセラーの共同作業。

お互いがまず自分自身に対して正直に、そして相手に対して

誠意と愛情をもって正直に向き合えたとき、何かが起こる。

人の力って、すばらしいと思う瞬間です

バターコーン

箱庭のミニチュアって、専用のモノしか使えないわけではないんです。

基本的に揃えるジャンルはありますが、それ以外は自由。

ミニチュアの棚には個性的なミニチュアたちが並びます。

私自身も、心惹かれたミニチュアたちを棚に並べ続けています。

水色とピンクの天然石のコースターは色がきれいで、

神秘的なイメージで使われることが多いようです。

箱のカタチの小物入れ(木製&ガラス製)も、

わりと象徴的に使われることが多いですね。

相棒が大量に持ってきた小動物たちも、いつも大活躍。

ビー玉やゴジラ、ウルトラマンなんかも使う人によって

まったく違う意味をもっています。

その人の思いに添って、箱の中で息づいているのです。

自分が選んだミニチュアに、どんな意味を持たせてもいい。

第三者にわかるように作る必要なんてない・・それがいいところ。

写真は、バターコーンと生絞りグレープフルーツのミニチュア。

細かいものが散らばらないようにボンドで補強して、棚に並べます。

果たして、この子が使われることがあるだろうか。

どんなふうに使われるだろうか・・楽しみに送り出します。

ちょっと調子が悪いな・・という自覚があった今日。

仕事のパートナーが、何気なく肩に手を置いて

ヒーリングをはじめてくれた。

私の癒されたい願望が見えたのかしら・・

と思うほど的確にからだがほぐれていく。


気持ちよかった。で、お返しにやってあげました。

パートナーはその間、私の変な夢の話を聴いてくれたのです。


【銀色のうぶ毛の夢】

バスの中。女性が下半身はだかでバスの運賃箱の前にいる。

はだかなんだけど、よくみるとお尻に銀色のうぶ毛が生えている!!

あまりに変な光景で、最初は「ぷっ」と吹き出したいような感じ。

それから、徐々に毛があることでその光景が自然で尊いものに思えてくる。


これは、バスの中でうたたねしている間にみた夢です。

夢の中の女性は、実際にバスの中でみかけた人でした。

(毛は生えていないと思いますが)

聴いてもらっているうちに、うぶ毛がすごく気になってきました。

どんなうぶ毛?と聞かれるままに話していくと、とても動物的

というか、自然なものとしてのイメージが浮かんできます。


何も身につけないむき出しのからだは、ちょっと恥ずかしい

けれど、そのうぶ毛があることで自然で神聖な命を感じる。

何のイメージだろうと思ったけれど、私がほしいものの

ひとつだなと思いました。


夢分析は途中で終わりましたが、確かに感覚として

残っているものがあるのです。

自分のものとして、なんだか言葉にはできないけれど

「イイモノ」を得たような・・。


頭で考えて言うならば・・・

「見かけのイメージや既存の価値観でみるのではなく、

その人のあるがままの姿、自然な命の姿をみること」

を示唆されたような気がしたのでした。


文章ではうまくかけないのですが、夢を思い出したり

話したりしながらイメージがわいてくるときは、体感を

ともなっています。夢の記憶をたどるというよりは、

からだの奥の方で確かに感じているものをたぐり寄せていく作業。


フォーカシングという技法では、この作業をくり返していきます。

自分のからだが感じていることに焦点をあてるのです。


フォーカシングについてはまた次回、取り上げてみたいと思います。

ちんちくりん監督



カウンセラーは、教育分析やスーパーヴィジョンというものを受けます。

他のカウンセラーにカウンセリングを受けたり、アドバイスを受けたりすることです。

カウンセリングの技法と知識を学んでカウンセラーになったらそれっきりではなく、

常に自分自身と向き合う作業をしていくことが必要だからです。



そんなわけで私も先日、教育分析に行ってきました。

夢のことを話すつもりはなかったのですが、その前日に分析した夢のことが

気になっていて、考える間もなく「夢をみたんですが・・」と話し出していました。



【撮影の夢】

私は役者という設定で、撮影を済ませてモニターをチェック中。

いかにも素人っぽい写りや容姿の中途半端さに、凹んでいる自分。

その脇に、メガネで格好もフツーな感じの、“ちんちくりん”な監督。

しかし、どうも監督は素人っぽい私の容姿や振る舞いには何の反応もしない。

どうやら、役者に求められるかっこよさ、美しさというのは彼の評価の対象外らしい。

「完璧でない」「プロらしくない」自分を責めていた私は、ほっとする。

別の場所で、おばさんたちが役者をこき下ろしている。

視聴者側の、無責任かつ率直な意見交換といった風情。

(※写真は、夢分析をしながら描いた監督のイラスト!!)




そして夢が教えてくれたのは、あたらしい自己評価の仕方。

「あるがままを受け入れた姿・・不恰好でも不器用でも表現することが大事。」

そして、さらにそのことをスローガンにしている監督のような仕事をしたいらしい・・。

たしかにそう。私がクライエントさんや受講生さんに対して思うことは、

かっこつけなくていい、そのままの自分と出会って受け入れてほしい。



教育分析のとき、実は監督が妙にちんちくりんで痩せているのが気になっていたのです。

深めたところ・・「もっとそれなりでいいんじゃないか」という答えが出ました。

必要以上に小さくある必要もないし、素敵なことをやっているのだから堂々としていたらいい。

“ちんちくりん”の監督に、私の中の「痩せ信仰」を見たような気がしたのです。



10年以上前、拒食症が始まったとき、痩せてさえいれば攻撃されない。

何でも上手く運ぶに違いない。と信じていたのは確かです。

拒食・過食の症状はなくなっても、根っこにある「痩せ」への執着は消えていなかったんですね。

もう、小さくなっていなくてもいい自分。堂々と、私が私として存在していることを表現していい。

そんなことを、教育分析の帰り道に考えていました。

気づきは次の気づきを呼び、また一人でいるときも熟成していくものなんですね。