シオン ~ボチボチと「い」(行)(生)きましょう~ -9ページ目

シオン ~ボチボチと「い」(行)(生)きましょう~

LINE BLOGがサービスを終了する…ということで、4月からになりますが、再びこちらで書き込みを再開しようかな?と思ってます。

ここ最近書き込みができていないので、申し訳ないんですが…f(^_^;。

ま、ボチボチとやっていきますんで、今後ともどうぞよろしくです。



めにみえるものが

せかいのすべてじゃない


その「さらにおく」に

こころをむけるんだ


くもりぞらの

「むこう(おく)」には

いつだって

たいようがかがやいているし

あざやかなそらが

ひろがっている


「こころ」を「せまくして」しまうと

‘ほんとうにだいじなもの’を

みうしなってしまうよ



ここ最近の気温の変化のせいか、またまた身体の痛みが戻ってきました(嬉しくねぇよ(;´д`))。

前回ほど痛みは激しくないんですが、シクシクと首から肩(脇の辺りまで)が痛む。

「こいつ」とは「ながーーい付き合い」なので、「あ、また来たね」という感じですよ(なんと呑気なf(^^;))。

「辛くない」っていったら嘘になりますが、嘆いたところでしかたがない。

「まだ生きている」

そんで

「まだ生きてやる」

そういう気持ちでやっていかなきゃ。



↑の「言葉」は、いつものごとく「なんとなくの言葉」です。

「言葉」自体はなんとなくですが、日常のなかで、時々思うことでもあります。

自分が見聞きしたこと・体験したこと…それらを「飛び越えて」、その「奥」に在るもの…そういうもんを「感じてみる」…。

例えていうなら…「空気」を「視る」ようなもんです。

空気をみることなんて、俺らにはできない…当たり前だf(^^;ハハハ。

でも、「空気」という存在は確実にそこに在り、それらによって俺らは活かされている。

だとしたら、その「見えないもの」に意識を巡らせることは、「必要ないこと」かもしれないが「無駄ではない」と、思うんです。

曇り空の向こう側にある、晴れた空を想像すること。

言葉の端々に覗かれる、その人の「心の内」を。



「必要ねぇな」と思う人は、それでも良いと思う。

知ったところで、「社会」の役には立ちゃしない。

でも、他の奴より少しばかりでも「己の‘心’を広げる」事はできるはずだ…

そう思うんです…が…


…考えすぎですかねf(^^;


明日一日、皆さんに良い「風」が吹きますように…(`人´)パシッ!!



読んでくれてありがとう


では、また。