インクルーシブ教育は特別な教育ではありません。
教育的に至極当然の方法です。
インクルーシブ教育とは、多様性のある集団で学ぶ教育。
現在の日本の教育は障害児を健常児と分離し、一か所に集めて指導しています。
これは行政側のコストの問題です。
その方が1つの学校施設、同じ教職員で一度に指導できるから。
健常児も同じです。
35名をすし詰めにして教育するのはその方が行政コストが削減できるから。
日本は未だに軍隊訓練の延長線上にいるのです。
教育的効果を考えればこれは明らかに間違っています。
人間はグラデーションです。
同じようで皆少しずつ違います。
例えばグラデーションの両端に白と黒が位置し、中間に様々な色があるとしましょう。
純粋な白、純粋な黒、純粋な赤、純粋な黄色、純粋な青は1つずつ。
それ以外は少しずつ混ざり合ってできた色です。
割合が違うだけ。
でも確実に違う。
この人間、年齢、知能、身体的特徴などの要素を持つ人全てを同じ教室に集めて指導しているのが今の日本の公教育です。
灰色も朱色も紫色も全て一斉指導でそれぞれの才能を輝かせろと言われています。
それは無理な話です。
ならばと、際立った特徴を持ち人数の少ない純粋な色たちだけ特別支援学校に集めて指導し始めました。
知的障害児、情緒障害児、肢体不自由児、視覚障害児、聴覚障害児、病児
するとどうでしょう?
純粋な色たちは自分たち以外の色を見ることができなくなってしまいました。
グラデーションの色たちも純粋な色たちを見ることができなくなってしまいました。
その結果、全ての色の変化・成長が止まってしまったのです。
なぜなら、純粋な色たちは成長の仕方や交わり方がわからないから。
グラデーションの色たちはもし目立つ色になったらこの自由なパレットから弾き出されることを脳に深く刻み込まれたから。
この日本のパレット(社会)は自由に大きく動くと排除されてしまう。
その場でおとなしくしていなければ「勝手なことをするな」と無理矢理混ざりたくない色にされてしまう。
よくわからない恐怖による一斉指導はいい加減やめるべきです。号令一つで動く指導などして個性が伸びるわけがありません。
同じパレット上にいていい
いろんな色がいていい。
どんな色になってもいい。
どんな色に変化しても、ここにいていい。
学習時だけ自分の色やなりたい色に合わせた指導をすればいい。
小さな集団で個性に合わせた指導をした方が大きく成長するでしょう。