ようこそ、私のブログへ。

そして、おかえりなさい。

 

寂しい気持ちを大切にする,

自爆系恋愛の救世主

 

心理カウンセラー 石黒アサミ です。

 

 

 

さて、昨日のブログの続きです。

 

「パートナーとの心理的距離が両親と子どものような距離」であるような場合、どうしていくのがいいか。

 

 

 

 

 モヤモヤは傷を癒すチャンス!

 

 心理的距離が近いからこそ「わかって欲しい。」「受け止めて欲しい」がわんさか出てきました。



その気持ちを伝えられないために


拗ねる、

不機嫌になる、


の行動をとりがちでした。

(我慢、抑圧)





そこで

こんな助言をもらいました。

 




「それってチャンス。イライラやモヤモヤは傷を癒すチャンス!」

 

 

 

 

「ん?!傷を癒す??チャンス??」

 

 

苛立ち、モヤモヤってした時に

 

「何がそんなに嫌なの?」「どうしてモヤモヤするの?」

 

って深掘りするといいと。


そこで振り返りをしていったんです、

(後からですが)



 

そうしてわかったことがあります。



それは、

ワタシ自身が昔からあるその傷を見ようとせずに

 



「なんとかしてよ〜!」と相手任せだったいうこと。

 

 

それは彼からしたら

 

「いやいや、そんな無茶な・・・。知らんし。」ってなるのは当然でしょうねぇ。

 

 

 

 

 

 だから逃げる

 

 

 

人生を振り返れば、苦痛を伴った時のパターンとして

 

「どうにもならなかったら?嫌われれしまうかな?だったら我慢。」ってそれを我慢するか、

 



「でも苦しい、彼にどうにかしてもらうしかない。」って他者の力でなんとかしようと考えていることがパターンで、

 


 

「自分で向き合って処理(癒す)っていうことを自分ができるって信じられなかった。だからずっと逃げてた。」

 




 

自分を信じることが出来ない = 失敗が怖い = だから逃げる

 

 

これなんだなぁ。と私の弱さです。



 

 

 不完全であることを受け入れる。

 

セルフ・コンパッションのワークでもあったのにも関わらず、

まだまだワタシの中では染み込んでなくて。

 




とっても必要な感覚なんだろうって改めて感じるんです。

 

 

 

「自分が不完全さを受け入れて、それを認めてあげること。

不完全で当たり前、完璧な人はいない、それは自分も、他者も。」

 

 

 

まだまだ修行中なのです、

成熟した大人として過ごすために日々練習していく所存です(恥)

 

 

 

そういえば、帽子を被ったおしゃれなカウンセラーさんが言ってたなぁー。

 

 

 

「人は、長所で愛し、短所で愛される。」

 

 

 

 

そっか、だから人間は愛し合うのか。と腑に落ちたりして。

 

 

 

 今朝、子供らにもこれを伝えました。


「完璧な人なんていないよ。私も不完全なの。」

 



 

 あなたの弱さも全て愛したいの。

 

 

 

 

これからはそんな自分のその弱さを不完全さを

 

怖がらず、

否定せず、

隠さず、

 

 

認めて、癒していきたいんです。

 

 

 

 

 

そうすることで、

受け入れられないことや認められないことが怖くてぎゅっと彼にしがみついた両腕を離して、


 

それをそのまま、そっと自分で包み込むように抱きしめて、

 

 

 

「私がここにいる。大丈夫。どんな私でもワタシがそばにいるから。」

 

 

 

 

そう伝えたいんですよね。

 

 

 

そして、

安心したらその両腕で彼を抱きしめてあげて、

 

 

 

「私もあなたも不完全であっていいの。忘れないで。

私はあなたの弱さも全て愛したいの。」

 

そう伝えていきたいんです。

そうなりたいんです。


 

そんなパートナーシップを作り上げていきたいし、

 

世界中がそんなパートナーシップになったら、最高!!


 

って心から願うので

まずはワタシから始めていきます。

 

 

そのためにこれからワタシはもっともっと自分の「弱さ」を受け入れて癒しながら生きようと決めました。

 

 

 

 

では、今日はこのへんで、

またお会いできるのを楽しみにしてます!

ごきげんよう♪

ようこそ、私のブログへ。

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寂しい気持ちを大切にする,

自爆系恋愛の救世主

 

心理カウンセラー 石黒アサミ です。

 

 

久々のブログ更新になってしまいました。

今日は気づきのシェアになります。

 

 

 

 負のサイクル

 

この頃のワタシは本業関係でワークをすることが多く、そこで自分と向き合う時間がとても増えていたんです。

(マインドフル・セルフコンパッションワーク、完走しました!

我ながらやる時はとことんヤルモードになってしまうんで 恥)

 

このワークは楽勝でした!とは言えないもので、

ワンワン泣くことが多くて。

 

 

自分の苦しい状況に置かれた時に昔の古傷が疼くんです。

 

ほら、傷口を綺麗に縫合しても

その傷跡をみて

「あぁ。そんなこともあったわ〜。あの時、辛かったな〜」

 

ってその状況を思い出して涙する感覚。(癒しとも言うのかな。)

 

 

 

そこで、私の中の甘えたがりのワタシが

「ねぇ、これ、なんとかしたい。今すぐ。でもどうしたらいいんだろう。。。」

 

 

そこですぐに

「あっ!そうだ!私のことをまるっと全部受け入れてくれた人がいた!なんとかしてくれるはず。これで一安心だわ〜」

 

 

と物理的にも心理的にも近しいパートナーに目が向いていました。

 

 

でもパートナーからしたら

 

「何?!えっ?!どういうこと?!」と摩訶不思議、理解不能ってなわけで。

 

で、わたしはというと、

 

「なんでよ!全部受け止めるって約束したじゃんか!嘘つき!もういい(拗ねる)」という負のサイクルでした。

 

 

 

 出会いの瞬間に幻の両親をみていた

この心理的な距離が近くなっているという指摘をミナトさんのセッションで知ることができて、今は適度な距離に戻れました。

(ミナトさん、そしてグループの皆さん、いつもありがとうございます)

 

そこで、今回のことをさらに自分で深掘りしてみたんです。

 

どうしてパートナーに惹かれたのか、出会いを振り返ってみて気づきがありました。

 

 

 

 

付き合う前に私が彼のために予定を詰め込んでいたら、彼は犠牲のマインドに気づいてこう言ってくれたんです。

 

 

「そんなに頑張らなくていいよ。そのままで。」

 

 

衝撃でした。目玉が飛び出るくらいに。

 

「嘘だ!だってそんなことがあるはずないよ。でも・・本当なの?いいの?」

 

自分が好きな人が犠牲を伴わなくてもそばにいてくれるなんて・・・。

 

 

不完全な弱くて自分を愛せないワタシを彼はマルッと受け入れてくれたとき、

そこに私は幻の両親をみていたんです。

 

 

 

 親と子どもの関係

 

そう感じてから自分のネガティブな感情が出てくるごとに彼にぎゅっとしがみついてきました。

 

 

 

「ねぇ、私が嫌うところも受け入れてくれるんでしょ?」

 

「全部マルっと。そう言ったでしょ?」

 

「ワタシは嫌いだけど、あなたは好きでいてよ!」

 

 

そういう態度でいました。

その腕を振り払われたら

 

 

「そうじゃないじゃん!!そんなの望んでない!!もういい(拗ねる)」

 

 

まるで駄々をこねる子どもみたいに。

 

これを続けていてはパートナーではなく

「親と子どもの関係」ですよね。

 

 

 

でもこの関係から今は少しずつ適切な心理的な距離になっている気がします。

(今、この瞬間も)

 

どうしてそうなったのか、

 

続きはまた明日!

 

 

 

 

では、今日はこのへんで、

またお会いできるのを楽しみにしてます!

ごきげんよう♪

ようこそ、私のブログへ。

そして、おかえりなさい。

 

 

寂しい気持ちを大切にする,

自爆系恋愛の救世主

 

心理カウンセラー 石黒アサミ です。

 



 

先日、エモーショナルフォーカスセラピーの研修に2日間、参加しました。

 





 

外部研修は久々だったのとワタシの職種以外の方が多くなんだかドキドキでした。

 

 






研修では講義の途中にワークもあって、その場でアドバイスを頂けたりと、とっても貴重な体験ができました。ありがとうございました。

 

 





個人的には講義の中で紹介してもらった

ブレネー・ブラウンさんにどハマりしています。

 (先日、本も購入。)

 





中でも講義中に紹介のあった

【共感と同情の違い】の動画をみて振り返っていました。

 






 

この動画、とってもわかりやすくて好きです。

 

 

 

(日本語字幕が設定から行えます。)

 

 

 

 

 

ワタシの職場では辛い境遇に耐えられず

生きることを諦めてしまう人もいます。

 

 





 

そういった人に対して面談もするのですが、

このところ、その死にたいくらい辛い気持ちに共感をすることを避けていたなぁって感じたんです。

 





ブレネーさんが言うように、

 

 





共感は「心を曝け出す勇気」がいる選択。

相手のこころを開くためには

自分も、自分の過去の暗い気持ちと向き合う必要があるから。

他人の苦悩を聞くのって

私たちにとってすごく辛いことだから。

 

 

という言葉が刺さりまくりました。

 



「そうなんだよね、一緒に毎回暗くて辛くてしんどい穴に入り込んでいるとそこから出てもまだ目が慣れない。そんな感じになってたりしてたなぁ。。」






共感は自分のメンタルも整えていかないと、すごいパワーを持っていかれる=疲れる。





だからこのところちょっと距離を置いていたんだったんだな〜ってこの動画で納得しました。

 

 

 

 

そして、このところのワタシは

相手へ共感をするよりも、落ち込んで俯いている相手の顔をぐぐっとこっちの都合で上へ持ち上げて

 

 




「まぁ、そんな時もあるよ。でも大丈夫。ほら、上を見てごらんよ、“一筋の光”があるから!!」 

 

 

と「共感」するよりも先に「同情」をしていた、という気づきを得ました。

 




 

でも、やっぱり感情に同情するのではなく、共感したいです。

 






それには言葉もいらない時もあるんですよね、






その空間をただ一緒に味わう、


ただそばにいる、





なぜなら、言葉一つでガラッと何かが変わることなんて滅多にないですから。





思考よりも、感情をより大切に。



スルーせずに。





自分との繋がりが持てるように。人との繋がりも。





それは、

ワタシ自身もです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、今日はこのへんで、

またお会いできるのを楽しみにしてます!

ごきげんよう♪