〜白い風の囁き・京都洛北のちょこっと田舎暮らしの日記〜

〜白い風の囁き・京都洛北のちょこっと田舎暮らしの日記〜

気がつけば
この星に生まれて半世紀以上が過ぎ、

遂にアラカンを迎えました。

日々のつれづれや
お?っというような発見や
寺社で感じたことなど

ユル~く気ままに綴っているブログです。

気まぐれに日々のつれづれを綴っています。
新しい発見やホッとすること、楽しかったこと。
覚え書き日記ですが、
よろしければお立ち寄りください~



ようやく

連休明けから

時にひとりの昼下がりを

まったり過ごせる時間が戻ってきて






窓際のカーテンを

ゆっくり揺らす風や

初夏の風の青い匂いとか

なーんてことのないキッチンの風景






ひと山乗り越えた感とか

淹れたてのコーヒーのおいしさとか

こういう時間の過ごし方が

実はとても大切やったんやな〜

と、また再認識したりして





ひとりでいられる空間と時間

コレがなくなると

マジでストレス溜まるなぁと。

もう何度目の再認識だろう?笑い泣き笑い泣き笑い泣き






日々のまにまに

いろんなところで目に耳にしてきた

「自分と向き合う」ということ






それは

具体的にどういうことなんだろう?

何を、どうすることを言うんだろう?

どういう状態、状況のことを指してんのかなぁ?





私がワタシと向き合うとは

実際、私自身が

どうなっていることをいうのだろうか?

と、長く疑問に感じてきたが…






なんとな〜く

こういうことか?な?という

当然、コレは自分限定なのだろうけれど







こういう時間を過ごすということなのかも?

みたいな、

言葉で表現するのは難しい状態だけれど

コレのことかも?

みたいな雰囲気、感覚がわかってきた様な

気がし始めた





きっと

向き合うということから

逃げているんだろうな〜

と自分の不甲斐なさを罪悪感の様に

感じたりもしてきたけれど







そういうもんじゃ〜

ないんだよな〜

みたいなことが

自分なりには分かってきた、というか






例えば

自分を最優先とか主観的が悪いことではなくて

基準はやっぱり自分にしておかないと







内側にしかないものを

なんとなく外側の何かや誰かに求めてみても

満足できる答えは無いんだな、と

いまさらながら

やっぱり、

そうなんだよな〜と感じてるし。





ひとりひとり、

違う

それぞれに、違う

正解も間違いも、それぞれに違う






誰かの成功例や正解が

自分にハマるとも限らないし

「おいしい」と感じるのも

自分だけかもしれない







他の誰かが、どこかで

どんなに「おいしい」と言っていたとしても

「自分には」おいしいと感じられないなら

「自分が」おいしいと感じられるものを

私は食べたい





残念ながら「自分には」

おいしいとは感じられないと

聞かれもしないのに

声高にいう必要もないだろうし







もし、聞かれた時には

私はこちらを選ぶ、と答えるだけ






そういう

自分に正直でシンプルな世界で

穏やかに静かに過ごしたい







「自分と向き合う」って

例えば、そういうことかな〜

って感じている今日、この頃。

私だけかもしれないけれど。爆笑爆笑爆笑




互いの繋がり方、さかいめ、

境界線や距離感の分かり合える存在とだけ

共有できるところでゆっくり生きている






そんな幸せを

つれづれに思う昼下がり

照れ照れ照れ