生きる理由などなくとも生きていていい。

そう気づいている人は、ずっと生きていける。


少なくとも、わたしは拒絶されていないのだ。それだけでわたしはどこまでもいけるし、なんでもできる気がする。

夏秋冬全部足して割ったら春になるそんな気がする!

ちょっとやそっとじゃ心が動いたり感動したりすることが減ってきたような気がする、もっと小学生の夏休みくらい触れるものすべてに感動したいんだけどやっぱり大人になるとそうはいかなくて、だからこそちゃんと目の前のことを感じて味わい尽くして持って帰んなきゃなと思いました

だからこそ新しい世界に行こうとしている人を心から尊敬できるしまたこうやっていつものあそこで集まって確かめ合えたらいいなと思いました

ほんとーに、個人的な見解なんだけど、好きって言ったら終わっちゃう、言われても終わっちゃうものってあるよね。その周りでふわふわしてるものたち。つかまえられないものたち。かけがえのないものたち。ひらがな多い。

今日は共愛のライブだった。


懐かしい場所で、懐かしい人と懐かしい話をして、

懐かしい曲にわかり易いノスタルジアをこっそり心の中で感じたりして、


あの頃と変わらない楽しさと、

でももう絶対にその頃には戻れない

不可逆へのちょっとのさみしさと、


でもそう思えるってことは、

今まで自分が過ぎてきた時間のすべてが

どっこも間違ってなかったんだなあーと

素直に心の芯から思ってしまった日。



一人で生きていけるけど、まぁ、寂しいじゃん。寂しいのは嫌だけど、でもそれで誰かと二人でいたって、自分を好きになれなかったら、結局一人だしさ。好きになれる自分と一緒にいたいし、一人でも幸せになれると思うんだよね。

死ぬ気でやらん、殺す気でいく、期待や信頼を裏切られるのを怖がるんじゃない、そんなことする奴は徹底的に潰す、
強気でいけば大体のことはなんとかなるってこと

運命という言葉、概念、あんまり信じてないし好きじゃないけど、しいて言うならば、

運命の人って生涯苦楽を共にする人だけじゃなくて、出会って、心を突き動かされて、自分の人生や価値観を大きく変えてくれた人は、もう会えなくても、もう話せなくても、それは運命の人だと思う、

出会った瞬間にわかる運命より、別れ際に認識できるような運命を、ちょっとだけ信じています