基本的人権を無視した日本の入管制度の憂鬱 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

名古屋入管の犯罪

基本的人権を無視した日本の入管制度に未来はあるのだろうか。

画像は在りし日のスリランカ人女性

 

2021年3月、名古屋入管の収容施設に収容されていたスリランカ人女性「ラスナヤケ・リヤナゲ・ウィシュマ・サンダマリ」さん」(33)が亡くなった。面会を重ねた支援者によれば、彼女は年初から体調を崩し、誰の目にも衰弱は明らかだった。入管側に何度も外部の病院に移すよう求めたが、認められることはなかった。

 

ウィシュマさんの死亡後、実は病状が即入院すべきレベルで、一時的に収容を解く「仮放免」を医師が勧めていたことも明らかとなった。

 

だが、入管は自らの責任を一切認めていない。それどころか収容中の監視映像を求める遺族の切実な訴えも、保安上問題があるとして拒否している。意味が分からない話である。

 

収容施設での死亡事例は後を絶たない。なにしろ、過去15年間で、少なくとも17人の外国人の死亡が報告されている。長期収容が横行し、医療も精神的ケアも不十分なのである。

問題の根源が収容者に対する入管の人権軽視政策にあることは明らかだ。

 

政府はこうした実態を放置したまま、さらに入管の権限を拡大させるだけの入管難民法改正案を今国会で成立させようと躍起になっている。改正案は難民申請の回数に制限を加え、国外退去に従わない者には刑事罰の適用も検討されている。祖国に帰れないやむを得ない事情がある外国人を、保護するどころか、法の運用で「犯罪者」に仕立てあげるものだ。ここは、共産主義絶対主権の国だったのか。

 

法学者の大沼保昭が著した『単一民族社会の神話を超えて』によると、戦前の入管は内務省の管轄で、実務の担い手は特高警察だった。戦後の一時期も旧特高出身者に引き継がれ、朝鮮人などの監視を主業務としたという。入管の隠蔽体質や強権的な姿勢は、こうした出自が影響しているのでは、と疑わざるを得ない。

 

外国人政策は、国の人権意識を測る試薬だ。日本で生きたいと願う人々を守るのか、追い出すのか。

難民認定率が1%にも満たないこの国で、問われているのはそこだ。命の問題だ。

国際人権法に照らしても、これ以上の後退は絶対に許されない。

 

少子高齢化が恐ろしい速度で進んでいる。 いずれにしても、将来は大勢の外国人を受け入れざるを得ないのだ。

やれやれ、どこへ行く日本。