台湾映画「さよなら 再見」は、買春目的で台湾に訪れる日本人たちと、彼らに群がる台湾人をコメディータッチに批判した作品。
左傾的傾向の著者「黄春明」が、日本の企業戦士と台湾人の出会いを映画化した。
時期は1978年頃のこと。
日本ではバブルがはじまり好景気で、円高を背景に、多くの日本人が海外へ出て行った。
この「さよなら 再見」は、当時のサラリーマンが、ツアーを組んで台湾に「買春」に行ったことがテーマになっている。
黄春明は、当時台北で広告会社に勤めており、社長の命令で、日本人の買春の案内役をさせられてしまった。
心の中では、台湾の若い女性の体をむさぼる日本人を憎みながらも、仕事でその案内をしなければならない葛藤が、この小説を書くにいたった動機と云われる。
舞台は台湾の礁渓温泉、宜蘭市の北にある東海岸の町である。北投温泉はその道では有名だが、礁渓温泉も日本時代からなかなかの観光地なっている。相手をする女たちは、この作品で描かれているように16歳くらいから20歳くらいの娘たちなのだから、少々くたびれた日本の水商売の女にはない新鮮さがあり日本人に人気があったのであろう。
汽車を待つ買春ツアーの企業戦士は、昨晩の成果を楽しそうに話している。
主人公は、本当に困った様子で、「そんな話を人前でしないでください。中国人は人前でそんな話をしません」と、懸命に諫める。
1978年頃の台湾は、経済的にはそれほど発展してはおらず、庶民の暮らしはまだまだ貧しく、男相手の商売に身を落とす少女が多かったという時代背景がある。
逆に日本経済は順調に発展していた。さらに円高のために海外旅行が比較的割安になった。企業戦士の買春ツアーは東南アジア全域にまで浸食する。今では想像もつかない現象である。
帰りのホームで一人の台湾の青年が主人公に話しかけてきた。この映画のヤマを迎えるのだ。
青年は、中国の古典文学を研究していた。そして、近く日本に行きたいという。彼は、主人公に通訳して欲しいと話しかけてきた。
主人公は、青年の投げかけた質問に嘘の通訳を仕掛ける。「買春戦士」への悪戯半分の反撃のつもりであった。
嘘の通訳とは、「この学生は日本の教科書問題について皆さんはどうお考えかと聞いています」
企業戦士は、その問いに猛然と反発するのだ。
「歴史の事実は正確でなければならない。南京虐殺なんて幻だ!」と叫んでしまう。
それを聞いた主人公は激高し、「われわれ中国人は、日本の侵略を決して忘れませんよ!」と声を荒げてしまう。
そこに戦後世代の企業戦士が仲間に加わった。「我々は、戦争に続いて経済侵略をやっているのかも」
さらに戦争経験者の企業戦士はいきり立って「太平洋戦争肯定論」を持ち出す。
驚いたのが台湾の青年だった。オロオロして、主人公に「僕は何か悪い事を質問しました?」
「いやなに、この日本人は、日本に行くよりもこの台湾でやれるだけのことをやるべきです、といっている」
と、主人公は嘘の通訳を重ねる。
「さよなら 再見」というタイトルは、何を意味しているのだろう。
おそらく次のような意味だろうと思う。
「今度会う時は、お互いの民族・歴史を今以上に理解してからにしようぜ」
日米台湾新時代が始まろうとしている。
見逃した人には激しくおススメ。