映画「イージーライダー」同調圧力の殺意 | ブロッコリーな日々

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アイドルマート下花店店長の落書き

ピーター・フォンダ:製作・脚本・主演

「イージーライダー」は、アメリカン・ニューシネマを象徴する金字塔的作品として、映画史にその名を残す傑作である。この作品は、社会学の良質なテキストとして堪能して欲しい。

自由と平和を求めて、アメリカ横断の旅に出た2人の青年が、アメリカ南部で偏見・恐怖・憎しみに直面する姿を描いている。低予算ながら世界的ヒットを記録し、インディペンデント映画をハリウッドメジャーが配給した最初の成功例として、それまでの映画会社主導による映画製作システムを覆した。

 

舞台は、1960年代のアメリカ。

ドラッグ密輸で大金を手にしたワイアットとビリーは、ハーレーダビッドソンにまたがって旅に出る。

ロサンゼルスから謝肉祭の行われるニューオーリンズを目指す2人は、農家で食事をご馳走になったり、ヒッピーのコミューンに滞在したりと気ままな旅を続ける。だが、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の人々の思わぬ拒絶に遭うのだ。

 

そして、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面する。

 

ジョージ・ハンセンは、地域住民と思われる普通の人々に殴り殺される。

ビリーと他の一人も虫けらのように殺された。

 

この3人を殺した地域住民たちの動機は、「異質なよそ者」に対する憎悪」である。

 

住人たちにとって、この自由な若者を見るのはとても怖い事であった。それは、彼らが現実の不自由性を再認識させられるからである。現実の世界には、自由などは存在しないものだ。それは、アメリカであろうと日本であろうと同じ事である。

 

日本では、ホームレス衝撃事件が繰り返されている。

犯人の心理は、作品に出てくる普通の殺意を持った地域住人と同じである。