タイレノール薬物事件が発生したのは、1982年9月30日である。
事件の名前にもなっているタイレノールとは、製薬・医療機器、数々のヘルスケア関連製品を取り扱う多国籍企業、「ジョンソン・エンド・ジョンソン」を象徴する鎮痛剤の商品名である。
現在では日本でも「いつでも(空腹時でも)のめて効く頭痛薬」として販売されている。
タイレノールを服用したシカゴ周辺の人々がなんと次々に「突然死」を遂げるというという不可解な事態が発生したのだ。
これを機に、「ジョンソン・エンド・ジョンソン」は社会からの信頼を大きく失墜させ、倒産寸前にまで追い込まれるという状況に陥るのだ。
1982年の「タイレノール事件」発生直後、ジョンソン・エンド・ジョンソンの当時のCEOであるジェームズ・パーク氏は、7人構成の対応戦略チームを編成し「まず顧客を守るためにはどうしたらいいかを考え、その次にこの商品をどう救うかを検討する」という指示を出す。
当初は、第三者による意図的な犯行なのか、それとも生産過程で生じた問題なのかもわからない中、社員の多くは動揺を隠せずにいた。
しかし、CEOのジェームズ・パーク氏は自社には責任がないと言い逃れをすることもなく、すぐにマスコミを通して「アメリカの消費者にタイレノールを一切服用しないこと」という旨の警告を発信し、自主的に商品の回収を行う。
「タイレノール事件」の発生後、同社が行った情報公開の対応では、衛生放送を使った30都市にも渡る同時放送、専用フリーダイヤルの設置(事件後11日間で、136,000件の電話があったため)、新聞の一面広告、TV放映(全米85%もの世帯が2.5回見た計算になる露出回数)と、当時の考え得るありとあらゆる手段を講じたという。
同社は重要な情報を包み隠さず発信し続け、マスコミからの厳しい追及を受けても決して委縮せず、常に誠意ある対応を取り続けたのである。
そのあたり、「雪印」当時の社長は、逆切れして「寝てないんだ!」と発した記者会見とはまるで対極にある。
「タイレノール事件」の発生後、「ジョンソン・エンド・ジョンソン」はマスコミ各社への情報公開と共に、今までにないタイレノールの新パッケージの開発に着手する。
それは、異物混入を防ぐために作られた「3層密封構造」と呼ばれる特殊な形状のパッケージで、革新的な仕組みとして話題を呼ぶのだ。なお、この時に開発されたタイレノールのパッケージは、異物混入を防ぐ業界のスタンダードとして、今でもアメリカの内科医や薬剤師からの多くの支持を得ているという。
実際、「タイレノール事件」が発生した原因が、本当に毒物などの異物混入だったのかは今でも明らかになっていないのだ。しかし、この時同社がとった迅速な対応は、後に「ビジネス史上最も優れた危機対応」と称され、現在では経営者向けのケーススタディとして世界各国で取り上げられるまでになっている。