私の働いてる職場は、様々な赤ちゃんが産まれてきて治療を受ける場所で、
ここで働いてから下から産むことが当たり前ではないことや元気に産まれてくることが当たり前ではないことを知った。
泣いてるお母さんを見るたび、自分もあゆが右耳が奇形なことを知り病室で泣いていたことを思い出す。
前職は、保育補助として保育園で働いていたが
あゆのように発達障害のある疑いがある子がいた。
その子は、集団活動に参加することが難しく、暴言や暴力を振るいおともだちとよくトラブルになったり、
先生たちも毎日どうしてあげたらいいのか頭を抱えていた。
その子がみんなのお昼寝中、1人で教室で遊んでいて手の空いた先生が代わる代わるその子の相手をしていたある日、
その子に声をかけたことがきっかけで私に懐いてくれ、
今日は、どの先生と遊びたい?と聞かれると
私を毎日指名してくれるようになった。
あゆと似てるようで似てないまた違った特性の子だったけど
この子の本当はしたいことや、気持ちが、行動とは違うことが
あゆを重ねると理解できた。
一緒に全力で寒い中、園庭を走ったり、
友達と遊びたいときは代わりに声をかけ一緒に遊んだり、
でもうまく関われなくて手をだしてしまい、悪者になってしまう。
なんとかしてあげたい。ではなく、
そうゆう子の気持ちに寄り添ってあげて理解してあげることが
本人への安心につながることをなんとく分かっていた私は、寄り添うことができた。
でも、家に帰るとあゆにその子のように同じように接してあげれる余裕はなく、叱ってばかり。
毎日、なんで人の子には優しく出来るのに自分の子には出来ないんやろう。と反省する日々。
反省するだけで毎日同じことの繰り返し。
頭で分かっていてもなかなか行動に移せない。
自分の子には、責任があると思うと、尚更厳しくなんとかしないと!と叱ってしまう。
抱きしめることも当たり前ではない。
我が子を抱きしめたくても抱きしめることすら出来ない母親は、世の中には色んな事情である。
わたしには抱きしめてあげることが出来るのに、
なかなかできない。
そんな自分がすごく嫌。
この子が病気じゃなかったらよかったのに。
と幸いなことにまだ一度も思ったことはないけど
これがあゆ。全部ひっくるめてあゆ。と思っているのに
あゆの病気と向き合うことは、私にとって簡単なことではなく、周りに接し方について教わる言葉も全部頭では分かっているけどできない。だから苦しいのに。
綺麗事並べないでほしい。と思う自分がいる。
楽天的に考えれたらどんなに楽で、
あゆも穏やかになる気がするのに、出来ない。
分かっているのにできない。
でも、あゆの為にほかの娘2人よりも何をするのも優先に考えて動いている自分がまだいることで
大事に思っている。と自分の中でまだ大丈夫。と思えている。