9月18日読了


K2嵐の夏/クルト ディームベルガー

¥2,520

”K2”そこは世界第2の高峰。

パキスタンと中国国境の奥地カラコルム山脈にある。

1856年インドの測量隊がカラコルム山脈の測量を行い無名の山にカラコルムの頭文字「K」をとって順番にK1、K2、K3、K4、K5と測量番号をつけた。

K2以外の山は名前をつけられたがK2だけは現在までK2のまま測量番号が山名になった。

その姿は見事な三角錐上で、不安定な天候と急峻なルートのため世界1の高峰エベレストに比べると圧倒的に登頂者が少なく、また遭難者も多い。

1986年世界中の著名な登山家がK2に集まり、登頂を狙っていたが実に1シーズンで13人も命を落としその年は登山界の間で「ブラックサマー」とよばれている。

著者はその1986年に登頂を目指した一人で、登頂に成功したものの8000メートル付近のキャンプ地で嵐に巻き込まれ嵐に閉じ込められた7名のうち5名が死亡し、著者ともう1名の2名が生還することができた。

山岳遭難物の実話は圧倒的なリアリティと、7500m以上の地は「デスゾーン」と呼ばれるように、人間なんかは簡単に死んでしまうことに驚かされる。

以前読んだことがある1996年のエベレストの大量遭難を書いたドキュメント「空へ」 ジョン・クラカワー を読んだときも衝撃だったが、本書もキャンプ地に閉じ込められて、著者よりも有名な登山家「アラン・ランス」が精神を病み、下山が困難な状態になり死んでいくところや、オーストリア隊の3名と一緒に下山を試みるが2名がアランと同様にテントを出ることを拒み、精神障害を引き起こし死んでいくところなど壮絶な現場だったことを想像させる。

著者含め閉じ込められた7名は水も食料も満足に無い中、デスゾーンに4日間も閉じ込められ、ベースキャンプでも全員の死を確信していた。

前述のオーストリア人2名もテントを出ることを拒んだが、水も食料も無く、著者と同じタイミングで下山を試みないと「確実に」死にいたることは明白だった。



K2、その姿を見るだけでも困難な山。


その見事な姿で見る人を魅了する山、K2。


私は見たくてたまらない。世界最大級のバルトロ氷河を何日もトレッキングして、その奥のゴットウィン・オースチン氷河に入ってはじめてその姿を現す、K2。


本当に見てみたい!