結構以前の話であるが、「ゆで卵がどのくらい長持ちするか」で、友人と論戦になったことがある。


「理系は、一度自分が正しいと思ったら、ちょっとやそっとでは考えを変えない」


さて、この時

友人:「ゆで卵が半年保ったという記事を見た事がある」

私:「そんなに保つはずがないよ!」


さて、正しかったのはどちらなのだろうか。


私は、調査に1週間掛けた。

正解は「どちらも部分的に正しく、部分的に間違っていた」


生卵は、条件が良ければ数ヶ月保つ。本当に好条件の場合、半年間常温で棚に放り出されていた生卵が腐っていなかった、という事例があったらしい。


生卵は、数段に分かれた防御機構を持っている。

まず、生みたての生卵の表面はクチクラ質(ロウのような成分)に覆われている。

通気性はあるが雑菌を通さない皮膜である。これは、内部を無菌状態に保つ。

また、鶏の体内にある卵は炭酸ガスで飽和されている。


生卵を洗卵せずに棚に置いておくと、クチクラ層が残っているので、運がよければ内部は長期間無菌状態を保つ。

炭酸ガスはその状態でも徐々に抜けて行くが、クチクラ層が酸化して失われるにはかなり時間が掛かる。

また、棚の上というのは条件によっては埃が届きにくくなるので、卵の表面に雑菌が付く可能性も少し下がる。

結果的に、運がよければ卵は雑菌が付かず、カラカラになったクチクラに守られて保存される事もありえる。


ただし、「腐っていなかった」というのは、腐敗菌にやられなかった、という事であって、タンパク質が酸化する事は避けがたい。

これに対する防壁は、卵の殻の内側にある薄い皮膜だけで、これは内部の炭酸ガスが失われるとともに効果をなくす(酸素はこの皮膜を抜けて浸透し始める)ので、少なくとも味は保障できないものになっていたろうと思う。


これはあくまで、生卵の話である。


ゆで卵にしてしまった場合、まず、卵の殻の表面からクチクラ層が失われる。

また、炭酸ガスなどは抜けてしまう。

この状態でゆで卵はどのくらい保つものだろうか?


通常は冷蔵して1~2週間で限界らしい。


卵の殻は多孔質で、クチクラなしでは細菌の透過を防ぎきれない。

スーパーなどで売っている卵は洗卵してあるので、クチクラが失われている。

内側の薄い皮膜は細菌には抵抗するが、ガスが抜けるのは阻止できないため、酸化は速く進む。

内部の炭酸ガスと、無菌に保たれたパックがなければ、たちまち細菌にやられてしまうだろう。


つまり、

生みたて生卵>洗卵した生卵 で、無菌のパックに入れれば1~2週間保つ(保障されてない範囲なら多分1ヶ月でも保つだろう。細菌がつく確率なんて分からんし)。

ゆで卵は、細菌がつけばほとんど無防備だが、表面から侵されていくので侵食は遅く、低温に保っていればある程度は保つと思われる。


通常の状態では、6ヶ月も保つ可能性はほとんどない。


ところが。


ゆで卵はたんぱく質が変性した状態にある。

この状態のたんぱく質が、さらに「ガラス化」という特殊な状態になった時(トレハロースを使うと人工的にそういう状態を作れるようだが)抵抗力が非常に高まり、まれに長期間腐敗せずに保つ事があるらしい。


この状態の存在を突き止めるまで1週間掛かった。

友人が記事を見たのは20年くらい前のはずなので、トレハロースについてはほとんど知られていなかったはずである(日本の企業がでんぷんからの大量合成に成功するまで、おそろしく高くつく物質だったのだ)。

タンパク質のガラス化が起きる機構の詳細は調べだせなかったのだが、クマムシがカラカラに乾いても死なない不死身性も、トレハロースの働きによる。細胞が乾ききっても、水で戻せば復旧されるのである。

友人の記憶には間違いないのだが、一般的にはゆで卵は長保ちしない。

ガラス化を意図的に起こさせるのが難しいからである。


論戦になった時お互いに譲らなかったのだが、結果的に最後まで食い下がって調査を進めた結果、まあ無駄知識は増えた。