歴史は好きだけど,詳しくない
地元ならなんとかわかる、

戦国時代のはなし

福岡に新宮町があります。
立花宗茂の話しを大河ドラマに。
そんな のぼりがあります

この立花宗茂は、大宰府とも
ゆかりがあります


戦国時代には、当然 各地で戦がありました。

その前に
四王寺山や大野城山と今は呼ばれる山に
他の城があり、それは

さらに、さかのぼり663年

日本は、白村江の戦いに敗れ、連合軍が もし攻めてきて、大宰府が危険に
なる時の逃げ道として山城を作りました
今は大野城山とも呼ばれます。


今回の話は戦国時代のものです。
そして父から聞いた話に
ちよっと色をつけました。

太宰府には戦国マニアの方は
ご存知と思いますが
岩屋城と宝満山城がありました。

岩屋山城を守るのは
高橋 紹運です。

そして、その子に宝満山城を
守らせました。



宝満山は山伏の修業の山
簡単に落城しない

だから、我が子に守らせた。
そんな思いがあったかもしれませんね

1586年です。
九州制覇のため、大宰府の城を攻撃したのは島津軍です

岩屋城を守るのは、僅か700の兵
島津軍は、5万です。

流石に勝てない。、


 すぐに降伏する。そう思っていました。

でも島津軍からの降伏に応じる事は
ありません。

忠義を押し通し、なんと14日間も
城を守り 高橋紹運は自害しました。

まさか、岩屋城をおとすのに
14日も、
島津軍は焦ります。


そして宝満山城は、道が険しく
落城するまでに
援軍が到着するかもしれません。

やむをえず島津軍は撤退します。

違うのでは?

その通り違います。 

あくまでも父の話に手を加えました。


落城と立花宗茂の話を
すこし深めたいと思います。 


 宗茂は今の新宮にある立花城
城主


最強武士 立花宗茂 第二話

 


 岩屋城の戦いが終わり
父の敗北、

宝満山城の城主は
降伏しました。


 無敗の立花宗茂が
あっさり降伏? 


 これは私の無知?
いや、降伏はしましたが
長期戦にもちこんだかもしれませんね。


 そして立花宗茂の親の名前が違う 


そんな記事もあります。


まず、宝満山城を守っていたのは
高橋統増ですが、立花宗茂もいた。 


そんな話もあります。

また、高橋ではなく立花に名前が
変わっています。 


  1581年.高橋の盟友でした立花道雪

実は跡継ぎの男子がいないため
立花宗茂と娘の誾千代と養子縁組をくんだ
そうです。


 ですので、長男宗茂は
立花に婿入りし立花を継ぐのでした。

そして島津軍は立花城へ迎います

奮闘して島津を破った
そう伝わりますが 


援軍がそこまで来ていた。
やむなく島津軍は撤退が
本当と思います。


さて、関ヶ原の合戦


途中で城攻め

関ヶ原の闘いは

あっけなく終わり

間に合い間に合いません


九州にかえる時、島津軍と遭遇


父の仇

そう言われた宗茂


それは卑怯と島津を攻めません。

そのまま九州へ


見張られて過ごし後に柳川の

藩主となりました


読んで下さりありがとうございます、